中高年社員ならではのリスキリングの探索従業員がデジタル対応の遅れを指摘し、ベテラン社員にITスキル研修を実施(小売会社A)

B氏
小売会社A 取締役常務執行役員
C氏
小売会社A 人事部 人事課 係長 

都会に大規模な店舗を構えるA社は、収益構造の改革や顧客分析システムの開発といった戦略に挑む一方で、40代以上の従業員のリスキリングにも力を入れており、現在は基礎的なPCスキル研修を実施している。同社が中高年社員のITリテラシーの底上げを重点的に行う背景と方法について、陣頭指揮をとるB氏と、研修の組み立てや運営を行うC氏に聞いた。

DXを進めるために、中高年のITリテラシー向上に着手

小売業は従業員による接客でお客さまを喜ばせることを重視するため、従業員にとって、ITスキル習得の優先度は高くない。A社でも、接客スキルが高い従業員ほど、ITスキルの習得が後回しになっていた。贈り物を扱う部門ではマナーやしきたりが重視されるため、特にベテラン社員が多く配置されているなど、部門ごとにITスキルのレベルにはばらつきがあった。「従業員には『おもてなしのDNA』が存在していて、マニュアル的な対応によらずにお客さまのご要望を満たすことが、自分たちの価値だと自覚しています」(B氏)

しかし、A社が市場競争力を維持・強化するうえで、デジタル技術を活用した新たな挑戦は欠かせない。経営側は、業務の効率化やDXを進めていくときに、システムを導入しても使いこなせない従業員が多数いるという予測に危機感を覚えた。そこで、DXを成功させる基盤づくりの一環として着手したのが、中高年社員のITリテラシーを底上げするための取り組みである。

経営陣がタウンミーティングで従業員のニーズを特定

本格的に取り組む直接のきっかけとなったのは、2021年に実施したタウンミーティングであった。中期経営計画の策定に向けて、当時の経営企画担当専務とB氏が45回にわけて全従業員約500人の声を聞いたところ、従業員の多くが「人手不足」と「デジタル対応の遅れ」を課題に挙げた。

これらの課題は後方部門よりも店頭部門で深刻化していた。たとえばeコマースやLINE WORKSで顧客対応のデジタル化を進めても、ベテラン社員たちが付いていけずに若手社員に実務を任せがちで、若手の業務過多が起こっていた。人手不足を解消する手段であるはずの業務のデジタル化が、若手の負担増をもたらし、期待する業務効率化が進まなかったのである。

B氏は、「日常業務で必要なツールを使いこなせない従業員に対して、このまま打ち手を施さずにDXを進めれば、資金を投入しても無駄になるという懸念を抱きました。また、ITスキルを重視しない小売業界の中では、他社よりも先に、自社の従業員を社外でも通用する汎用的なITスキルがある状態にしたいと考えました」と語った。そこで、デジタル化を促進するための物理的な環境整備と並行して、ベテラン社員を対象としたITスキル研修を人事部に指示した。

誰一人取り残さないITスキル研修の3つのポイント

人事部のC氏が対象としたのは、40歳以上の一般社員。役職者にはさまざまな研修があるが、一般社員には教育機会を与えていないため、そのギャップを埋める必要があった。C氏は、各店舗のマネジャーを訪ねて、対象となるメンバーに対してどのような内容の研修を実施したらよいかをヒアリングした。そして、デジタル推進部と協力して、「社内イントラネットで各種申請を行う方法」や「業務上必要なソフトウエアの使い方」といった集合型研修を用意し、店舗マネジャーに人選と声がけを依頼したところ、約50名の申し込みがあった。

ただし、研修でPCを使えるようになっても、継続して触れる機会がなければ使い方を忘れてしまうため、次にeラーニングを導入した。ビジネスパーソンのOA、PCスキルの基礎となるMicrosoft WordやExcelの研修を3カ月間提供した。C氏が再び店舗マネジャーを介して40歳以上の従業員約190名に声をかけたところ、140名が手を挙げた。

マネジャーから参加を促されるという点で完全な手挙げ制ではなかったものの、これまではPCを必要とする事務作業に抵抗があった従業員が研修に意欲的だった背景は、3つある。1つ目は、本人が従前から課題感を持っていたことである。ベテラン社員は、若手の負担になっていることに問題意識を持ちながらも、ITへの恐怖心や失敗への不安が大きく、自分でソフトウエアを使いこなす自信がなかった。だからこそ、ITを学ぶきっかけを必要としており、上司からの声がけが後押しとなったのである。

2つ目は、集合型研修といえども、仲間と楽しく学ぶ雰囲気づくりが行われたことである。せっかく研修を受けても、難しすぎればITへの抵抗感が強まってしまう。A社では、研修時間を30分から1時間と参加しやすい長さにし、参加者が「小さなことでもできるようになって嬉しい」と思えるように褒め、場を盛り上げた。「参加者同士が、『次の時間も受ける?』と誘い合い、ITについてよくわからない気持ちを共有できる雰囲気だったこともよかったと思います」とC氏は振り返る。

3つ目は、事前課題と事後課題を与え、PCに触れる機会を増やしたことである。参加者はITスキルの必要性を感じていたためか、事前課題をすべて終えてから研修に臨んだという。事後課題についても、「課題を提出するまで私が電話で催促したので、全員に実践的なスキルが身についたと思います」とC氏。また、個別の声がけによって、運営側が自分たちのスキルアップを真剣に考えていることが伝わったことも、参加者が脱落せずに研修を終えられたことに影響した。

研修の成果は、円滑なデジタル化と若手の負担軽減

これまで対象者の約7割がITスキル研修を受講し、成果は確実に表れている。まず、店頭でソフトウエアを利用する業務が発生しても、ベテラン社員がスムーズに対応できるようになった。また、全社で勤怠システムや承認プロセス、経費精算などの電子化を順次に進めているが、大きな混乱なく従業員が使いこなせているという。ベテラン社員が大事にしている接客業務に直結する研修から始めたことで、汎用的なデジタルツールの導入が受け入れられやすくなったと考えられる。

何よりも、「デジタル対応の遅れ」という問題意識と、それを加速するためには「全員にITスキルが必要」との認識が、ベテラン社員本人を中心にマネジャーや経営陣、デジタル推進部門と全社で共有されていたことが、成果を生んだ大きな要因だろう。「人事部やデジタル推進部門にベテラン社員への教育研修の必要性を働きかけるときに、説得材料として用いたのは、タウンミーティングで集めた従業員の声です。業務を効率的に進めるためにデジタル化を行っても、それが負担になっている、付いていけない人たちがいる。システムの導入と従業員教育をセットで進めて、すべての従業員が活用できるようにしなければならないことを理解してもらいました」(B氏)。全社で共通認識を持つことは、変革を円滑に進める鍵だと考えられる。このことは、より高度なデジタル技術の導入を進める場合においても同様である。

デジタル化やDXは何か1つの施策を行って終わりではなく、継続的に価値創造のプロセスを刷新していく終わりなき取り組みである。A社のケースは、ベテラン社員、それ以外の従業員の現場の課題に向き合い、丁寧に知識やスキルの底上げを行ったことが、全社でDXを進める基盤づくりにつながった例と言えるだろう。

小売会社A
小売業、通信販売業およびこれらに関連する製造加工、輸出入業、卸売業。従業員数約500人。

聞き手・執筆:石川ルチア