研究所員の鳥瞰虫瞰 Vol.4「#大学生の日常も大事だ」の核心は何か? ──豊田義博

コロナ渦中で、大学生が揺れている。特に今年の新入生。後期が始まった今でも、まだ一度もキャンパスに足を踏み入れていない、という学生が多数派だ。Twitterで「#大学生の日常も大事だ」を検索すると、彼ら彼女らの悲痛な声が並んでいる。以下の学生の呟きは、その状況を簡潔に表している。

大学は現状でいいと思っているのか?
家の中、たった独りで授業に向かう事がどれだけ苦痛で不安か。
一方的な映像視聴の後に出される沢山の課題。
休学して最初からやり直したいと思わせるほど、学生は疲弊し、追い詰められている。

課題はいくつもあるように思われる。だが、オンライン授業で一方的に提供される「映像」の内容の質は、対面授業で行ってきたものと大きな違いはない(向上している、という説もある)し、「沢山の課題」と取り組むことは、学習機会が増えているということでもある。問題は、「たった独りで」という点に集約されているように思う。

「たった独り」が「苦痛」と「不安」をもたらす

学びの基本は観察だ。「みようみまね」で、ひとは何かを学んでいく。スポーツに取り組んだり言語を学ぶ上では、上級者の観察に勝る方法はない。視覚、聴覚など五感をフルに駆使して、ひとはスキルや知識を体得していく。

大学生の学びは、それには当たらない、と思われるかもしれない。一年生の授業の中心は講義スタイルのもの。形式化された知識をインプットし、何かをアウトプットする、という学習プロセスは観察とは無縁だ、と思われるかもしれない。

しかし、そうした知識のインプット以前に、その授業にどのような期待をし、どのような姿勢で臨むか、という態度形成は、間違いなく観察によって促進される。同級生たちの様子を「感じる」ことによって。それは、授業が始まる前の様子かもしれないし、授業中の態度かもしれない。授業が終わった後に交わされている声などもあるだろう。

その授業に臨む態度のベースには、もちろん学生本人の興味・関心のレベルがある。しかし、そのレベルが同級生の中でいかほどのレベルなのか、自分より強く関心を持っている人が多いのか、それとも、みんなあまり興味を持っていないのか、という状況が、観察を通して本人の態度形成に強い影響を及ぼす。だから、観察によって学習態度は前向きにも後ろ向きにもなる。しかし、どちらになったとしても、学生本人の中には「苦痛」や「不安」はなくなる。「こんな感じでやっていけばいいんだな」という心の安定がもたらされるからだ。

今、多くの学生に欠落しているもの。それは、この心の安定なのだと思う。学習態度が定まっていないということなのだと思う。リアルに学生が集まる場であれば、さほど意識もせずに、観察を通して形成されていくものが、宙ぶらりんのままになっている。その姿勢が定まらない中で次々と課題が出されていく。そして、課される課題の多くは、正解のないもの。これは「苦痛」だ。そして「不安」にもなる。

学習への「展望」が生まれる「環境」を創り出そう

だが、こうした「苦痛」や「不安」は、少人数でのゼミや演習科目ではあまり生じていないように思われる。グループで課題に取り組んだり、授業中にもZOOMのブレイクアウトセッションのような機能を活用して学生同士が対話する中で、学生の態度形成は促進される。対面で実施していた時と同じレベルになっているとは言えないだろうが、同じものを学んでいるコミュニティの形成がもたらす力は大きいと言えそうだ。

となれば。大人数講義にも、こうしたインタラクションの機会を織り込むことで、つまりは「たった独り」にしないことで、「苦痛」や「不安」を軽減することができるのではないか。マイナス幅を小さくするばかりではなく、意図した機会を創る中で、積極的な学習態度を形成するように持っていくこともできるのではないか。学生同士の対話が可能になる「環境」の創造により、授業を半期のプロジェクトコミュニティの場へと仕立て、その対話を通して、その授業を通して何を学び、どうなりたいか、という「展望」を学生個々が抱くようにできるのではないか。

コロナがいつか収束したとしても、オンライン授業は大学教育の中の様々なシーンで活用されていくことになるだろう。「大学の手抜き」のためでは決してなく、半年間の試行錯誤を通して、オンラインでの学習機会提供が持つ可能性に気づき始めているからだ。ツールを活かせば、学習効果を高めることができる、という手ごたえを感じる声も聞こえている。そうした知見を集める研究活動、実践活動もいくつも動いている。その中には、こうした学生間の関係構築を促進するものもある。知人の教員は、バーチャルSNS《cluster》が注目されていると教えてくれた。VR/AR技術の応用は大きな可能性を感じさせる。学生はこうした世界に何の抵抗もなく入っていけるはずだ。

そうした動きから、新しい大学教育のありかたが生まれることを強く期待している。そして、その取り組みの先にあるものは「たった独りで授業に向かう苦痛と不安」が完全に消失したものであることを切に願う。