壱岐市役所におけるDXと働き方変革—Slack導入を起点とした組織変革の試み

2025年06月20日

今回の実践レポートは、2018年頃から注目され始めた行政DXの取り組みについて、独自の目的設定と手法で取り組んだ壱岐市の事例を紹介する。

分庁体制下での非効率と組織課題

長崎県壱岐市は、20年前に島内の4つの町が合併して誕生した。しかし、総合庁舎建設に関する住民投票が否決されたため、現在も元の4町の庁舎を活用した分庁体制が続いている。この分庁体制のもとでは、各部署が別々の庁舎に分かれて業務を行っており、市民にとってはどの庁舎に行けばよいかが分かりづらく、職員にとっても他部署との打ち合わせのために15分かけて車で移動する必要があるなど、不便な状況が生まれていた。

加えて、部署ごとに物理的な距離が存在していることが職員間の心理的な壁を生み、庁内の横断的な取り組みを難しくし、市役所全体としての一体感を欠く原因となっていた。

なぜ組織変革が必要だったのか

こうした状況の中で、近年は移住推進など新たな政策が求められるようになった。これらは観光をはじめとした接点づくり、移住希望者の住まいや仕事探しの支援、地域コミュニティへの参加促進など、多岐にわたる対応が必要であり、既存の担当部署を横断する形での対応が不可欠である。

しかし、市役所の組織は長年の縦割り運営に慣れており、部署を超えた連携や協働にはハードルが存在する。同時に、職員数は行政改革の一環として減少が続く中で、市民ニーズの多様化により行政サービスも多様化しており、職員の業務負荷が増大していた。こうした背景から、業務効率化を進めつつ、職員が部署の壁を越えて協業できるようにしていくことが急務となっていた。

DXの取り組みの目的設定

そんな折に、世の中の行政DXの流れを受けて、壱岐市長は2020年に情報管理課に対してDXの推進を指示した。私はその段階から取り組み方針の相談を受けたが、業務効率化や部門間の協業促進にとどまらず、「職員のエンゲージメント向上」を目的の1つとして加えることを提案した。

当時はまだ明確な課題とは捉えられていなかったが、これまであまり見られなかった若手職員の退職が発生したり、新卒採用応募者数に減少傾向が表れ始めたりしていた。これらの兆候は、総じて職員の働きがいの低下を示しており、根本的な解決には時間がかかる。そこで、DXを切り口とした組織変革に組み込むことで、早期に着手するべきだと考えた。

市役所でエンゲージメントの向上に取り組む意味

しかし、行政組織においてエンゲージメント向上の取り組みは一筋縄ではいかない。なぜなら、行政組織は官僚制組織特有の原則に基づいて運営されてきた歴史があり、形成されている独自の文化が職員の業務の進め方に大きな影響を与えているからである。

例えば、私自身も職員として職務に関わる中でよく目にしたのは、業務が引き継がれる際に対面での指導や伴走がほとんど行われず、前任者が残した文書をもとに新担当が独学で業務を習得するという光景だった。さらに、多くの業務は担当者が1人だけアサインされ、上司に報告が必要なタイミングまでは基本的に自力で業務を進めることが当たり前とされていた。そのため、キャリアの浅い職員は進め方が分からなくなった仕事を抱え込みがちとなっていたり、キャリアが長い職員であったとしても、未経験の部署への異動時には孤独感を含めて大きな心理的負荷を感じたりしていた。

こうした慣行は、「文書主義」や「専門訓練に基づいた分業」「権限の原則(規則で権限を明確に定義)」といった官僚制組織の原則に根差しており、組織で働く人を機械のパーツのように見なすことで、特定の個人に権限が集まることを防ぎ、固定化された組織役割や業務プロセスを合理的に遂行することには有益である。

一方で、エンゲージメントの向上を図るということは「共感に基づく主体的な貢献意欲」を高めるということを意味し、働く人の充実感を高め、現場レベルでの創意工夫の活性化を実現していくということである。

つまり、行政組織においてエンゲージメントの向上に取り組むということは、部分的ではあるが、官僚制組織の意義や組織原則に抗い、職員の働き方や関係性の在り方を見直していくことを意味する。その是非については様々な見解が存在すると思われるが、私は個人主義的な労働観への変化や、地方公務員の相対的な魅力度が下がってきている現状を考えれば、エンゲージメントの向上に取り組むべきだと考えている。それが遅れてしまうと、担い手不足により、人材力や組織力が低下し、地域や市民のニーズの変化に対応できない組織となってしまう。

このように、エンゲージメントの向上は、単なる職場満足度の問題ではなく、行政組織が地域社会に対して持続的に価値を発揮し続けるための、より本質的な取り組みと捉えるべきである。そしてその実現のためには、日常の仕事の進め方に踏み込み、時間をかけて文化の変容を実現していく必要がある。

壱岐市デジタル本庁舎構想

当時、行政DXといえば窓口業務をIT化するというものが主流だったが、業務の効率化と部署を超えた協業の促進、そしてエンゲージメントの向上に同時に取り組むとしたら、職員間の日常的なコミュニケーションの在り方を変え、その上に成立している業務プロセスを変えていくことだと考えた。そこで私は壱岐市版行政DXの初手として、ビジネスコラボレーションツール「Slack」の全庁導入を提案した。

Slack導入の狙いは、任意のメンバーで構成されるチャンネルと呼ばれるグループの中でのやり取りによって「業務遂行と情報共有を同時に行うこと」である。チャンネルは各職員が所属する課やプロジェクトチームごとに設置され、チャネル内では互いの業務の進捗報告や相談など仕事の過程が開示されることになる。

これにより多くの場合、同じ職場で隣の席に座っているよりも周囲の同僚がどんな仕事を進めていて、何に困っているかがよく分かるようになる。もちろん対面での情報共有の価値は変わらないが、忙しい職場においては、一人ひとりの個別の仕事の状況を共有し合う時間は取りづらい。その点、チャットツールを利用した非同期型のコミュニケーションは、情報の出し手も受け手もそれぞれ自分の都合が良いタイミングで情報にアクセスできるため情報共有の効率が良い。
 
壱岐市では、こうしたデジタルツールの特性を活用しつつ、物理的に分かれている4つの庁舎を仮想的に1つの本庁舎に集約することを「壱岐市デジタル本庁舎構想」と名付けて推進し、あたかも職員同士が同じ職場で働いているように仕事を進められる場をオンライン上に構築することを目指した。

Slackが自分たちの職場になるまで

では、デジタル空間を職場にするとはどういうことなのか? 壱岐市デジタル本庁舎構想では「相談や雑談までが行われること」を職場の本質として実現を目指した。職場におけるコミュニケーションはホウレンソウ(報告・連絡・相談)と整理されることが多い。その内、報告と連絡は対象となる相手や人数等に違いはあれど、いずれも一方通行のコミュニケーションである。それに対して、相談は特定の人に向けた双方向で継続的なコミュニケーションといえる。このやり取りが増えていくことで、チャンネルは掲示板から職場へと変わっていく。

もちろん、言うは易し行うは難しで、チャットツールの利用は初めてという職員が多い中で、上手く使いこなしてもらうハードルはとても高く、導入から数年経っている現在でも全員が相談までをSlack上で行っているわけではない。それでも、具体的な相談のやり取りを例示してSlackを職場にするための取り組みを続けてきたことで、現在壱岐市のSlack上では日常的に多くの相談が行われている。


具体的なやり取りのスクリーンショット

壱岐市が目指す組織の姿

職場で相談が可視化されると、周囲の同僚からのアドバイスが生まれる。このアドバイスは知識やノウハウ、そして分かる人を紹介するという意味のノウフーなど様々な形があるが、いずれも相談者の効率的・効果的な業務遂行の助けとなる。

その次は感謝が生まれる。これによりアドバイスを送った同僚は誰かの役に立てた実感を持ち、相談者は次は自分が何かの役に立ちたいと思うようになる。こうした助け合いが重ねられていくことで互酬的な関係性が育まれていく。

やがてチームや組織は信頼で結ばれるようになり、互いの成果を喜び合い、一体感が生まれ、組織の成果をより高めようという主体性が生まれてくる。この状態になると、職員は互いの知識や経験を共有資産として積極的に活用し合うようになり、一人ひとりの業務効率が高まる。また、ネットワークの共有により担当や組織の壁を超えた協業が自然と生まれてくる。

これが壱岐市がデジタル本庁舎構想によって目指している組織の姿であり、職員の働き方である。職員のエンゲージメントはこの働き方が実現されていく結果として高まっていき、離職防止や採用力の向上といった中期的なインパクトを生み出していく。

DXで実現する人間味ある組織

AI技術は別として、私はITの本質的な力は圧倒的な効率で情報を集め・編集し・届けるということだと思っている。行政DXに限らず、多くのDXの取り組みはこのITの力を使って業務プロセスを効率化するということに向けられている。

しかし、今回紹介した壱岐市の取り組みは、ITの力を使うことで組織の中でこれまで生まれにくかった人と人の関係性を生み出し、その関係性が職員の業務効率と主体性を高めていくことを目指したものだ。

私はIT、もしくはそれを活用したDXの取り組みは、そこで働く人が人間的な喜びや充足感を感じ、それが原動力となって成果や変化を生み出していくものであって欲しい。それは全ての組織に当てはまることだが、とりわけ「非人格的に職務に服すこと」を原則として運営されてきた行政組織においては、特に意識して取り組まれるべきことだと考えている。

壱岐市の組織変革の取り組みは新市長にも引き継がれて現在も進行中である。持続的な地域を生み出すための魅力的な政策を遂行する傍らで、時代に適合した新たな行政組織の在り方を実現するためにこれからも伴走を続けたい。


執筆:中村駿介

中村 駿介

2006年株式会社リクルート入社、以来一貫して人事関連の業務に従事。2019年に新たな人事のパラダイムを模索する実証実験組織「ヒトラボ」を立ち上げる。2020年に長崎県壱岐市に移住、地域活性化企業人として政策立案と実行、市役所の組織改革に取り組む。2023年3月、慶應義塾大学大学院・政策メディア研究科を修了、同年、北海道東川町との2拠点生活を始め、同自治体の政策アドバイザーを務める。合わせて、現在は壱岐市政策顧問、慶應義塾大学SFC研究所上席所員としても地方創生に関わっている。

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