コミュニケーションの型知現場に入って情報を得る

「型」を学んで繰り返し実践することで、いかなる場面でも活用できる「知」とする。それが「型知」。本連載ではチェンジエージェントである人事部長に必要となるコミュニケーションの「型知」を学ぶ。
たとえば、人事部長には、経営方針の変更後や組織改編後などで現場の状況を把握するにあたり、自らが現場に入って情報を得なければならない場面が数多くある。右に示した買収後の事業統合はまさにそうだ。そこで、第1回は現場に入って情報を得るための「型知」を取り上げる。

対話に臨むときは自然体の自分で

今回のシーンにおける具体的なコミュニケーションの流れを解説しよう。最初の目的は、「相手の心を開く」ことだ(右図)。
カウンセリング研究の第一人者である法政大学教授の末武康弘氏は、「相手から情報を得るときに、前提として注意しておくべきポイントは、安全性と信頼関係です」と語る。
買収先の企業の事業部長やマネジャーは、「これから自分自身の身に何が起きるのだろうか」という不安を抱き、買収元企業の人事部長に対しては当然警戒心が強くなっている。また、聞き手となる人事部長自身にも大きなプレッシャーがかかっている。この両者が面談する場合、緊張した雰囲気に陥りやすいため、人事部長はコミュニケーションを工夫する必要がある。
そこで、事前に配慮しておくべきなのは場所と時間の設定。静かで人の目のない場所を用意し、所要時間はあらかじめ明らかにしておく。カウンセリングでは集中力が途切れないよう、時間は60分前後が標準とされており、それに倣うのが適当だ。
また、聞き手には、対話の準備として、自分自身の気持ちを「相手に脅威を与えるつもりはない」状態にしておくことが求められる。とくに設定したシーンの場合、買収元の人事部長というポジションが相手に不安感を抱かせる。聞き手は、「面談の目的は何か」「経営からのプレッシャーに自分は支配されていないか」「相手に対して攻撃的な感情はないか」など自問し、確認しておくことが重要だ。
さて、安全性は確保した。ここからは信頼関係を築くための対話を始める。この段階でのポイントは何か。「近年、カウンセリングの世界で注目されているのが、カウンセラーとクライアントがお互いに変化しながら協働的な関係を築いていくという考え方です。そのときは、身体動作、表情、話し方などが律動的、秩序的であることが重要です」
ここでいう律動的、秩序的とは自然でリラックスした姿勢、動作、視線、普段より深くゆっくりとした呼吸、同様にゆっくりと落ち着いた話し方などのこと。これらが両者間でシンクロすると、信頼関係が構築される。
聞き手には、相手の様子を観察し、律動的でないと感じたら、その都度リラックスさせるよう働きかけることが求められる。また、聞き手自身が律動的、秩序的であることも重要。面談のロールプレイを録画して、自分の動作や癖などを客観的にチェックしておくとよいだろう。
相手をリラックスさせるためには、相手に対する関心を示す質問も効果的だが、それでも相手の警戒心が解けない場合は、オープンクエスチョンや肯定的なフィードバックといった手法も採り入れていきたい。

「傾聴」で自分から本音を話すように促す

動作、話し方の律動性、秩序性などから、相手が心を開いてきたことを確認できたら、相手から本音を聞き出す(下図)。
本題を切り出すにあたっては、相手の気持ちに対して共感的理解を示し、協働の場であることを強調する言葉が必要だ。
とくに今回のシーンでは買収された側である相手は上下関係に敏感になっているため、「一方的に情報を引き出そうとしているわけではなく、この場で意見交換することで一緒によい会社にしていきたいのだ」という意思を伝えたい。その上で、「傾聴」のプロセスに入る。
傾聴は、カウンセリングの分野では、クライアントが自ら本音を話すことで、自分自身に対する理解を深め、建設的な行動がとれるようにするためのコミュニケーションの技法だ。近年ではビジネスシーンでも、必須のスキルとして紹介されるようになっている。その代表的な手法を確認しよう。
まずは、うなずきやあいづちによる「受容」だ。ポイントになるのは、疑念や批判を差しはさまないこと。話が一段落し、間ができたら、それまでの相手の発言を「要約」して伝える。疑問がある場合は、この時に相手に投げかけるようにする。

個人の前向きな力を引き出す効果も

また、会話の要所要所で採り入れていきたいのが、「伝え返し」と「感情の反射」だ。下図のコメント例では、「とくにマネジャーが不安なのですね」が伝え返しに、「どう対応したらよいか悩まれているのですね」が感情の反射に当たる。
「2つは相互に関係するスキルです。相手が発した言葉と抱えている感情の両方に共感的理解を示すことで、相手が安心し、本心を自然と打ち明けるようになる効果があります」
さらに踏み込んだ于法としては「明確化」がある。相手がまだ言語化できていない感情を明確にし、言葉で伝えることで、相手の考えや気持ちの整理を促す意味がある。
なお、これらのスキルで必ずしもすぐに本音が引き出せるとは限らない。カウンセリングの現場では数回、面談を繰り返すことも多い。だが、ビジネスの現場ではそれは難しい。その場合、今まで見てきた一つひとつの型を丁寧にやることが重要だ。
傾聴をはじめとするこの一連のプロセスは、話を聞いてもらった人の心を開き、ポジティブにしていく効能がある。こうして前向きな個人を人事部長自ら増やすことができれば、経営統合や事業変革などの難しい局面でも、現場の一人ひとりの力によって、組織を望ましい状態に変えていくことができるだろう。

Text=伊藤敬太郎Photo=平山 論

末武康弘氏
法務大学教授。現代福祉学部学部長
Suetake Yasuhiro 専門は臨床心理学、カウンセリング・心理療法。傾聴を基本とするカウンセリング手法である来談者中心療法の第一人者。