対話型学びを進める職場継続的な学びの文化を醸成する数々の構造化された施策――日本IBM(前編)

「教育に飽和点はない」――これは、IBM創立者であるトーマス・ワトソン・シニアが標榜した、同社に100年以上脈打つ教育理念です。理念を象徴する継続的な学びの文化は、常にトップがコミットすることで醸成されてきました。そして、全方位に構築された学びの仕組みによって、文化は浸透し続けています。くわしくお話を聞いたのは、日本IBM15年以上、人材育成に携わってきた山田淑子氏。前編では「個人の成長のためのプラットフォーム」を土台とした数々の施策を取り上げます。学びが広い概念で捉えられ、すべての社員に対してきめ細かく構造化されているのが特徴的です。

山田淑子氏山田淑子氏
テクノロジー事業本部 セールス・イネーブルメント部長
日本IBM L&Kスクワッド リーダー

いつの時代も、経営トップが牽引してきた学びの文化

――学びの文化は長い歳月をかけて醸成されたものだと思います。まず、その背景や特徴から教えてください。

「教育に飽和点はない」というのは、弊社がグローバル共通でとても大切にしている教育理念です。IBMDNAともいえる「THINK」に至る道筋・READ(読む)→ LISTEN(他者の声を聞く)→DISCUSS(話し合う)→ OBSERVE(観察する)→THINK(考える)は、単に知識を得るだけでなく、自分のなかにしっかり取り込み、考えて発信するところまでを表しています。

IBM NY州研修センター入口の石段 (1956年当時)IBM NY州研修センター入口の石段 (1956年当時)

この理念に基づいて学び続ける土壌はあったのですが、10年前に、ジニー・ロメッティ(前IBM会長)が初めて学習時間にKPIを設定した「THINK40」を提唱し、それが一つの転換点となりました。お客様と自分の成長のために、年間最低40時間は学びましょう、と。当時は「40時間も?」という感じではあったんです。ですが、研修を受けるのも、コミュニティ活動をするのも、あるいは本を読むのも、すべてが学び。対象を広く捉えた点に特徴があり、他方、社員が学びに費やす時間というものを初めて意識する機会になりました。ちなみに、現在の日本IBM社員の年間学習時間は平均で108 時間。とうに40時間は超えているのですが、THINK40は「学び続ける合言葉」として今も残っています。

さらに、現CEOであるアービンド・クリシュナは、就任した際、IBMの文化は「Continuous Learning Culture」だと明言しました。常に学び続けるグロースマインドセットを持つことで、誰もが大きく成長する余地があるという、全社員に向けたメッセージです。継続的な学びの文化は、言うまでもなく一朝一夕でできるものではありません。いつの時代も経営トップが提唱し、コミットしてきたことが非常に大きかったのだと思います。

インプットをアウトプットにつなげてこその「学び」

――学習時間のようにKPIが設定されているものは、どういった仕組みで、どのように検証されるのでしょう。

まず、社内の学習プラットフォームであるYour Learningのマイページには、自分の学習時間が表示されているので、すぐにわかるようになっています。加えて、マネジャーは管轄するチームメンバーの学習時間を見ることができますし、ほかの部門ではどれぐらいの平均学習時間になっているか、そういった数字も簡単に取れます。ただ、これに監督的な意味合いはなく、学習時間の多寡でもって評価されることはありません。あくまでも、個人が「学びにどれだけ時間を費やしているか」を知るための目安であり、マネジャーは伴走者として、それを共有・支援すると。先ほど言ったように学習時間も増えていますし、最近では学習時間というKPIがあまり重要ではなくなって、一つの目安という捉え方に変わってきましたね。

そして、仕組みとしては、社員を主役とした「成長のためのプラットフォーム」が大きな機能を果たしています。このなかにYour Learning(パーソナライズされた学習プラットフォーム)があり、研修の多くはこれを介して受けるのですが、受講するとシステム上で時間が積算されて、さらに、社外での学習時間も自分で登録することができます。それらスキルはさまざまなオープン・バッジで可視化もされているので、自分の“現状”を常に把握できるんです。

――学びを広く捉えている点に特徴があるというお話でしたが、学びの範囲として、何か取り決めはあるのですか?

それは社員からも質問されるので(笑)、案内は出しています。先述したように本を読むこともそうですし、参加した外部の研修や講演、あるいはプロジェクトでのOJTを通じて、学んだものがあればすべて登録してくださいと。

山田淑子氏インタビューカット

また、何かの機会で講師を務めた場合も登録して、カウントアップすることができます。インプットするだけでなく、それを咀嚼して、人に伝えることが一番の学びになりますから。Your Learning には社員自身が学習コンテンツを作成できるページもあって、誰でもナレッジを発信できるんですよ。「こういうテーマで講師をやりたい」というのを、研修部に上げなくても自分で企画・実践できるわけです。研修部が仕掛けなくても、いろいろな学習コンテンツが提供されていますし、ほかの社員にとってもハードルが下がって参加しやすいようです。何より、学んで発信して、ナレッジを自分のものとして“刈り取る”という好循環が生まれます。今、特にそうした発信や実践の機会を推進しているところで、社員も積極的に手を挙げる状態になっていますね。

――確かに好循環ですね。ただ、インプットした学びをアウトプットにつなげていくのは実際には難しく、課題感を持つ企業も多いと思います。

私たちが明確にメッセージしているのは、「学んだだけでは、それはまだスキルではない」ということ。いかに実践につなげ、自分のものにしていくか。それが大事なのです。ですので、私たちが提供する研修は、そのあとの実践とセットになっているものが非常に多いです。例えば、プレゼンテーションの研修を受けたら、2週間以内に実践する場を持つという課題をセットにするなどといった具合に……。

もちろん、すべてが実践とセットというわけではなく、ライトなセミナー形式のものも多くありますが、それでも、「今日学んだことを生かしたい」「もっと学びたい」というフックをかけることはできると思うのです。そういう意味では、学びのコンテンツを用意することより、循環させる仕組みづくり、工夫のほうが大事だと考えています。

キャリア開発と学びは切り離せないもの

――成長のためのプラットフォームは、ほかにどのような機能があるのでしょう。非常に構造化されたものだと聞いています。

先ほどのYour Learningと合わせて、Your CareerYour Guideという「3つのY」を含むツールと制度で構成されています。まず、Your Careerについてお話をすると、これは社員のキャリア開発を支援するためのツール。社員は自分の職種・ジョブロールに必要なスキルや関心のある項目を確認することができ、スキルレベルの評価を所属長と実施できるようになっています。ここで活用されているのはAIで、それまでの学習履歴や人事データなどといったデジタル・フットプリントを基に、AIがスキルレベルの推測も行っています。

また、システムとしては別の仕組みになるのですが、キャリアジャーニーマップには、部門を超えたさまざまなビジネス・ロールが紹介されていて、ほかにもエグゼブティブが自分のキャリアを紹介していたり、人事が社員にインタビューしたビデオがアップされていたりするので、キャリア開発を行う社員にとっては良い参照材料になっていると思います。

――「3つのY」最後のYour Guideというのは?

全世界のIBM社員のなかから、条件の合うメンターを探せるツールです。ここでもAIが活用されていて、希望条件に基づくお薦めのメンターを紹介してくれるんです。そして、マッチングしたメンターとの対話を通じて、キャリア開発やスキルアップの支援が受けられるのです。

キャリア開発支援については、もちろん所属長に相談することができますが、さらに別ラインとしてメンターやメンティーを持っている人は多いですね。私も今、2人ほどメンタリングしていますが、部署はまったく違います。Your Guideは、ツールにログインしたことのある社員全員が検索対象になるので、全世界の何万人というなかからメンターを探せるんですよ。敷居も高くありません。例えば、英語力を上げるために外国人にメンタリングをお願いすることもできるので、とても幅広く、自由に活用できるツールだと思っています。

――学びが広い概念で捉えられ、すべての社員に対してきめ細かく構造化されているのが非常に印象的です。

成長のためのプラットフォームは、こうしたさまざまなツールと人事施策が一つになって形成されている点に大きな特徴があります。学んで身につけたスキルをビジネスの成果につなげるというのが会社の視点だとしたら、個人には、それをどうキャリアに結びつけて、さらには何を目指すのかという視点があります。ですから、キャリアを考えることと、学ぶことは切り離せるものではないんですよ。弊社では会社と個人のそれぞれのパーパスが交わる部分を「MYパーパス」と呼び、社員がIBMのなかで成し遂げたいパーパスを言語化しています。

継続的な学びの文化を醸成する数々の構造化された施策

継続的な学びの文化を醸成する数々の構造化された施策――日本IBM(後編)へ続く

聞き手:辰巳哲子
執筆:内田丘子
撮影:刑部友康