第2章 研究探索 「生き生き働ける」人とは? 組織とは?第7回 「初期仏教」 アルボムッレ・スマナサーラ 氏

今この瞬間だけが現実。「今」だけに集中すればいい

【プロフィール】
アルボムッレ・スマナサーラ スリランカ上座部仏教(テーラワーダ仏教)長老。13歳で出家得度。国立ケラニヤ大学で仏教哲学の教鞭を執る。1980年来日。現在、日本テーラワーダ仏教協会などで初期仏教の伝道、ヴィパッサナー実践の指導に従事。朝日カルチャーセンター講師の他、NHK教育テレビ『心の時代』にも出演。主な著書に『怒らないこと』(2006)、『ブッダの実践心理学』全8巻(2013)など多数。

探求領域

仏教は宗教でも信仰ではない。人の生き方の科学的な教え

仏教は、今からおよそ2,600年前、釈迦牟尼仏陀(お釈迦様)によってひらかれ、時代の流れとともにさまざまな流派に分かれて世界中に広まりました。中国・チベット・朝鮮半島や日本に伝わったのは、お釈迦様の死後数百年たって成立した、いわゆる大乗仏教です。一方、お釈迦様時代からの伝統を引き継ぐ初期仏教も、スリランカ・タイ・ミャンマーなどで継承されてきました。現在はテーラワーダ仏教と呼ばれている流れがそれに当たります。
宗教というと日本の皆さんは、拝めば守ってもらえる神秘的なものだと思っているかもしれません。しかし、お釈迦様が説かれた本来の仏教は宗教ではないのです。学校で勉強する科学と同じものです。生きるとは如何なることなのか、人はどう生きるべきなのか、という大切なテーマについて学ぶ教えなのです。例えば、私たちはつい落ち込んだり、腹を立てたり、喧嘩したり、他人をバカにしたり、間違った判断をしたりして失敗してしまいますね。初期仏教の経典には、そのようなとき、私たちの心がどのように働いているのか、という心の仕組みを詳しく分析しています。それだけではありません。仏教は科学と同じですから、必ず理論と実践がセットになっているのです。ありがたい教えだと拝むのではなく、学んだ教えを生活の中で実践してみることで、私たちは人生のトラブルを未然に回避しながら、自分の人格をどこまでも向上させていくことができるのです。
ただ、そういう具体的な処方箋を教えても、誰もやりたがらないのが現実です。それよりは、神秘的な呪文や迷信の方にすがるのです。人間というのは、嘘でもいいから耳あたりのよい楽ちんな教えを信じたい性分なのですね。

探求領域×「生き生き働く」

生き生き働けないのは、頭が過去や将来に飛んでいるから

私たちには寿命があります。瞬間瞬間、確実に、死へと近づいているのです。だから毎日ストレスの塊になって仕事をして、くたくたに疲れ果てている場合ではないのです。そうしている間にも死は迫ってきているのですから。死に直面したときに、なんて虚しく無駄な人生だったのかと嘆くようでは、それこそ、人間に生まれた甲斐がありません。
だいたい、今、つらそうに働いている人々には決まった一つの特徴があるのです。心が「今」から離れている、ということです。「この調子では10年たっても昇格できない」とか「別の仕事を選んだ方が良かったのではないか」とか、心が「今」ではなく過去や未来に引っかかっている。お釈迦様は、過去を悔やみ、将来を悩んでいる人は、死んでいると同じだと説かれました。これを現代の言葉に直せば「ゾンビ」ですね。私たちは皆、ゾンビになって生きているのです。そうイメージすると気持ち悪いでしょう? だいたい、今をおろそかにしたまま、明るい将来を夢見て何になるのでしょうか? 将来のことは予測不能です。私たちにとって、確実な将来なんて、①年老いる、②死ぬという2つのことだけですよ。会社で昇格したって大したことはないし、平社員で終わっても大したことはない。「今」を充実させられなければ、苦しみながら老いて死ぬだけの損な人生で終わってしまうのです。

感情は危険。ファクトのないばかばかしい妄想に過ぎない

私たちが確実に把握できる、ファクト、データ、事実、現実は、「今」の瞬間にしか存在しません。だからこそ人は、「今」の瞬間にとことん集中するべきなのです。私たちが、なぜ過去や未来に迷うのかというと、感情のせいです。感情とは、客観的な事実に基づかない、自分の主観が作り出した妄想です。例えば、あなたが私を怒らせようとしたとしても、冗談で返して怒らないこともできますよ。怒るのは自分でしょう? 自分が勝手に怒りを作って、それで自分で傷ついたり精神的に打ちのめされたりしている。怒りに取り憑かれた人に冷静に仕事ができるわけないので、結局は自分が損をします。仕事には客観的な評価が必要ですからね。人間は長い間、感情に支配され、洗脳され続けてきました。でもこれは、すごく危険なことなのです。

「生き生き働く」ヒント

悩んだら、時間軸をチェックする 

ストレスを溜め込みながら働く日常を改善する方法はあります。一番簡単なのは、悩んでいることについて、「それは過去のこと? 今のこと? 将来のこと?」と、時間軸をチェックすることです。至って単純な話です。例えば、会社に行く前に奥さんにすごく怒られて、会社に着いても仕事が手につかない、という場合、あなたは過ぎ去った過去に取り憑かれています。また、腹を立てた奥さんが浮気しないか心配だ、という場合は、起こってもいない未来に引っかかっている。どちらも、「今・ここ」の現実から離れているのです。自分がグリップして動かせるのは今ある現実だけですから、過去や未来のあれこれにエネルギーを浪費しても仕方がありません。そうやって徹底的にリアリスティックになって、今という瞬間に自分を釘付けにして、心の安らぎを体験してみてください。それが「生き生き働く」ための仏教の処方箋です。

自分の将来や、ありたい姿など考えても仕方がない

仕事ができない人に限って、将来のことばかり考えて心配するのです。今の仕事もろくにできないのに、自分の将来やありたい姿など、考えなくてもいいんですよ。今、目の前にあるデータは、過去の因果関係によって表れた結果です。この瞬間にもファクトはどんどん変化し、次に起きる因果関係は全く変わってしまうのです。すべては無常で因果法則にしたがって変化します。ですから、自分の「今」に集中して、瞬間瞬間、未来に最適の結果を出す「因(原因)」を作ることに励みましょう。ベストな「今」を生きることで、将来は放っておいても好転します。自分で当初計画した目標よりもうまくいくのです。まともな組織であれば、「今」にベストを尽くす人に対しては、この能力を使わないでおくのはもったいないと、次の仕事やポストを作ってくれます。

現実的になる訓練をする

職場に、いつもイライラして、人に悪口を言ったり怒鳴ったりする最低の性格の上司や同僚がいたとしても、影響されて反応しないことです。そんな性格の悪い人に影響を受ける方がバカを見るんです。「仕事が遅い! 昨日も遅かっただろ!」と怒られても普通に「ああ、そうでしたね」と返す。それだけでいいのです。余計な感情は動かさなくていいんです。そうすると、怒りの感情はそのまま相手に跳ね返りますから、相手のプライドが潰れて、自然と性格が治っていきます。そうやって、感情の泥仕合を離れた、理性的で現実的な人間になる努力をしてほしいのです。

人の役に立っていることを思い出して

皆さんは、仕事とは何なのかと考えたことがありますか? 仏教から見れば、生きている誰もが、瞬間瞬間、止まることなく仕事をしているのです。一見無邪気に見える赤ちゃんが笑ったり泣いたりするのも、お母さんの心を刺激しておっぱいを出してもらうための仕事なのです。85歳のおじいさんにとっては、普通に呼吸し続けるのも結構大変な仕事なのです。
このように、生きることは24時間、仕事の連続です。でも、皆さんがイメージする仕事は、基本的に労働の対価としてお金をもらえる仕事のことだと思います。お金が関わるからややこしく見えますが、この社会にある仕事は非常にシンプルな形で成り立っています。ある人や組織が、自分にはできないことを誰かに頼むのです。頼まれた人がそれをやってあげると、頼んだ人や組織が助かったお礼として報酬をくれる。これが基本です。この基本がわかっていれば、目先の仕事の内容などどうでもいいと思えるはずです。会社で自分にとって不本意な部署に回されたとしても、ふてくされてはいけないんです。自分が仕事をすることで、誰かが助かっているのですから。仕事をサボってるとか、あるいは不当に搾取されているとかならともかく、任された仕事をきちんとこなしてその分の給料をもらえているならば、仕事の内容がなんであれ「自分は他の役に立っているのだ」と思っていいのです。
赤ちゃんでさえも仕事をしているのです。人が仕事をする場合、自分が生きるために、自分の命を支えるためにする仕事が第一で基本です。この仕事は一時も休むことができません。2番目の「他の役に立つ仕事」というのは、それよりワンランク上で、自分のみならず、他の生命を生かすため、他の生命を支えるための仕事なのです。それを仏教の言葉に入れ替えると「慈しみ」の行為になります。「慈しみ」にもランクがありますが、究極的には、人間のみならず一切の生命に対して、「生きとし生けるものが幸せでありますように」という気持ちを育てて、すべての生命の役に立つ生き方をすることが「慈しみ」の完成なのです。それは生命として最高の境地であるとお釈迦様が仰っています。
他の役に立つ仕事は、「慈しみ」の行為なのです。それはすべての生命の頂点を極める第一歩です。そうやって大きなスケールで考えると、仕事というものを甘く見てはいけないとわかるでしょう。

2-7-prof_4.jpg慈しみのある人は、得た収入を適切に管理して豊かに生活します。
慈しみのない人は、いつも「足りない」不安に苛まれます。
幸せになりたいならば、慈しみの心をどこまでも育てることです。
感情で「欲しがる」生き方をやめて、理性で「必要」を知る人は、
お金がなくても、豊かなのです。

――アルボムッレ・スマナサーラ

執筆/荻原美佳(ウィズ・インク)
※所属・肩書きは取材当時のものです。