研究者が問いなおす「集まる意味」集まることで起こる相互作用をより重視する――森永雄太氏

森永雄太【プロフィール】
森永雄太(もりなが・ゆうた) 武蔵大学経済学部経営学科教授。神戸大学大学院経営学研究科博士課程修了。武蔵大学経済学部准教授、立教大学助教などを経て、2018年より現職。専門分野は組織論、組織行動論、経営管理論。近著に『ウェルビーイング経営の考え方と進め方 健康経営の新展開』(2019)がある。

相互作用の観点から見た「集まる意味」

他者の存在の重要性は恒常的なもの

このコロナ禍において、「集まる」を巡っては議論があるところでしょうし、リアルがいいのか、オンラインがいいのかなど、さまざまな場面で揺れ動きが起きています。集まることの意味を問いなおすというのは、基本的なことを改めて「考えないといけなくなった」、非常に大事なトピックだと思います。

他者の存在はどのような作用をもたらすのか。その点から見ると、人は他者の存在によって自分がやっている仕事の意味がわかったり、どう貢献しているのかを確認できたりするわけです。そして、「隣の人のために頑張ろう」という素朴なやる気が喚起される。他者の存在にはこういったプラスに働く側面と、反面、ネガティブな側面もあります。「見張られている感じ」「やらなきゃいけない」などといった億劫さを感じる部分です。

場を同じくする機会が減ると、いやな関わりも減るので、その点では「集まらない」がポジティブに捉えられた面も大きいと思うんですよ。ただ、それはコロナ禍初期の頃の話で、ずっと一人で仕事をしていると、「何のためにやっているのか見えなくなった」「孤独感に見舞われる」などといった面が強調されるようになってきました。やはり他者の存在、他者との交流が、人の動機付けに何かしらの影響を与えるのは確かなのでしょう。

私のジョブ・クラフティング研究からしても、人は誰かとの有効な結び付きがないと、やる気や仕事の意味をなかなか感じられないものです。社外にネットワークを作るとか、自分をちゃんと叱ってくれるメンターを持つとか、そういう人とのつながりがやる気を高めていくのもまた確かなので、他者の存在の重要性は恒常的なものだと思います。

重視すべきは「相互作用をもたらす場」

もう一つ、組織やチームがなぜ必要なのかという大きな視点での話があります。私が授業で学生に伝えているのは、「人が集まるとより大きなことができる」という基本です。組織の定義についてはいろんな見解があるでしょうが、極めてベーシックな意味合いとして、人が集まって情報を交わし、みんなの力を結集させれば一人では叶わないことができる。これは労働力の問題ではなく、さまざまな個性や専門性が結実すると、豊かなクリエイティビティが生まれるということです。こういった点に目を向けると、「人が集まる」というのは、先述した個人レベルでの話を超えて非常に大きな意味を持つと考えられます。

人が集まる目的は、おそらく以前より明確になり、集まる場面も変わってくるでしょう。単に情報伝達をするためというより、そこで情報のやり取りが行われる、相互作用が生まれる、そういったことがより重視されていくと思います。私の研究テーマの一つであるダイバーシティ&インクルージョンも、まさにその相互作用を期待するものです。多様性の高いチームが情報を交わし、情報同士を結び付けることによって新しいアイデアが生まれ、そして、個人にとっては学習や気づきがある。これらを得るために「集まりましょう」と。

私たちがやっていたのはリアルの職場を想定した多様性研究ですが、一方ではバーチャルチームの研究もあるんですよ。オンライン会議ならば、組織の枠にとらわれず、さまざまな専門家が集まってチームを組むことができるという点に着目した研究です。リアルとバーチャルとでは実践的に違う点がいろいろあるでしょうが、大きなコンセプトで言えば、近しいものがあると捉えています。

これからの「集まる」

多様な人を集めて、フラットに議論することを明示的に行う

オンライン型の集まりが増えるなか、誰でも気軽に入ってこられる場づくりは一層重要になります。もとより、気兼ねなく発言できる心理的安全性や信頼形成の必要性は主張されていますが、私たちの研究で言うと、インクルージョンには2側面あって、これらを同時に満たすのが大事だと考えています。

一つは、自分の独自性が認められている状態。いろんな研究者や専門家が集まると、たとえば特定の学問の知識ばかりが中心になって、マイナーな研究領域の人が自分の専門知識を言えなかったりする。あるいは階層が影響して、上の人の意見はみんなが拾って議論するけれど、若手の意見は無視されがちである……こういう状態は独自性が認められていないわけです。

2つ目は、仲間として認められ、所属感をちゃんと得られている状態。一応メンバーには入っているけれど、“外様”だと思われながら参加しているのと、仲間として認められて参加しているのとでは話が全然違ってきます。この2側面はあえて別に考え、両方の状態を同時に満たすことができれば、よりよい集まりの場になります。

多様な人を集めてフラットに議論することをより明示的に行う。これがうまくできない組織、管理者って、実は多いんじゃないかと思うのです。リアルの場でもそうですし、これがバーチャルとなると余計に難しさがありますよね。我々の研究プロジェクトも同様で、研究者それぞれに違う目的や貢献の仕方、モチベーションなどをどう束ねるか――そこで合意が形成され、皆でビジョンを共有できれば「うまくいった会議」「いい集まりの場」ということになるんだと思います。

早い段階から、互いを支援し合える関係構築を

すでにビジョン共有や役割分担がなされているとか、同じ会社、同じメンバーで互いの強みも弱みもわかっているような場合は、今までリアルでやっていたことをオンラインやハイブリッド型に置き換えていくだけの話で済みます。ですが、これからは「知らない人と仕事をする」機会が増えていくでしょうし、むしろ、そういう場面は積極的に活用していくべきです。

一層重要になるのは、フラットな場づくりです。その人の強みは何か。逆に助けが必要な部分はどこか。早い段階からフランクに会議をして、互いを支援し合える関係に持っていくことが肝要です。特にオンラインの場合は、常に横にいるわけではないので困っていることが共有しづらかったり、支援しづらかったりするので、意図的な場づくりも必要になるでしょう。どう実現していくか、ちょっと難しいマネジメントかもしれませんが、今後大きく求められるところだと思います。

新しい場づくりを考え、取り込んでみる

大学の教育現場で、私自身は「オンラインでも問題ない」と、わりとポジティブに捉えてきたんですね。学生たちはリアルに集まるゼミの場だけでなく、普段からLINEなども使ってゼミ活動をしています。グループ研究にしても、情報伝達はオンラインで行い、行き詰まったときなどは先生やゼミ仲間からアドバイスを受けるために集まるとか、そういう意味では、ゼミ活動はもともとハイブリッドだったと気づいたからです。

ただ、やっぱり難しいなと感じるのは、新学年になって新しい学生とゼミを立ち上げるときです。当然ですが、まだコミュニティ意識を持てていないので、グループ研究に入ろうとしてもなかなかうまくいきません。リアルの場であれば、最初の段階で体を動かすエクササイズだとか、距離を縮める工夫を取り入れることもできるんですけどね。それをどう置き換えていくかです。会えないことを逆手にとり、たとえば、LINE上でグループコミュニケーションをとりながら、「このエクササイズをやってみよう」というスタイルはできないだろうか……とか。せっかくなので、今は新しいやり方をいろいろ取り込んでみようと考えているところです。

執筆/内田丘子(TANK)
※所属・肩書きは取材当時のものです。