研究者が問いなおす「集まる意味」観察学習や副次的コミュニティが有する重要性――中西善信氏

中西善信氏【プロフィール】
中西善信(なかにし・よしのぶ) 東洋大学経営学部経営学科准教授。神戸大学大学院経営学研究科博士課程修了。長崎大学、全日本空輸株式会社などを経て、2021年より現職。主な研究分野は経営学、組織行動論。代表的な近著に『知識移転のダイナミズム:実践コミュニティは国境を越えて』(2018)がある。

副次的コミュニティの観点から見た「集まる意味」

観察学習、副次的コミュニティがもたらすもの

人が集まる、それも「物理的に同じ場に集まる」ことには、2つの重要な意味があると考えています。一つは、暗黙知の共有。主観的に捉えられる暗黙知は、同じ場で、他者の行動やそこにある雰囲気などを感じ取る、つまり観察学習によって得られるものです。そして、野中郁次郎先生(一橋大学名誉教授)がおっしゃるように、それら暗黙知は、場の共有を通じて形式知化されていくわけです。

もう一つの重要な意味は、集まった目的外の“ついでの学習”ができること。私の実感で言えば、たとえば学会などに出向くと、研究発表そのものよりも、むしろそれ以外に得るものがあったりします。休憩時間や学会後の懇親会で交わす雑談、研究話……思わぬ情報との出合いがあったり、学びがあったり。個人的にはこっちのほうが好きなくらいです。

言うなれば、副次的なコミュニティ。事前に目的化された学会という公式コミュニティに付随し、公式には話題にしづらいようなことでもさりげなく話せるインフォーマルな場です。そういったハードルの低さ、目的の枠を超えて得られるものの幅広さは、副次的な場でこそ共有できるものですから、やはり実際に会う、集まるというのは非常に大切なことだと思います。

ラポールは、オンラインを介してだけでは築けない

そもそも言語情報というのはコミュニケーションのごく一部ですし、それがオンラインを介してとなると、五感で言えば匂いや温度感、手触り感などが伝わらず、共有できるものがなおさら少なくなります。加えて、先述のような観察学習もできませんから、コミュニティや仲間づくりも難しくなってくるでしょう。

職場の場合、ある程度関係性が築かれたメンバー間であれば、オンラインでのコミュニケーションを取り込むのは比較的容易です。でも、たとえば新入社員に対して、いきなり画面越しに「この人たちがあなたの先輩、上司ですよ」と伝えても、なかなか打ち解けづらい。あるいは採用面接の場面ならば、採用する側、される側、ともに見聞きする情報は言語以外にもありますよね。会社にすれば「待合室で待機しているときから面接」ですし、採用される側にしても、ほかの社員たちや職場の雰囲気などといった面接以外の情報を取り入れているわけです。

そういう意味では、空気感の共有であるとか、ラポール(緊密な信頼関係)をつくるのって、オンラインだけではかなり難しいのではないでしょうか。この点は、大学の学生たちを見ていても、今まさに直面している事態だと感じます。長期的に見れば、コミュニティや組織文化の継承が難しくなるでしょうね。

懸念される“負の作用”

また、アイデアやイノベーションが生まれにくい状況になるように思います。これらは往々にして、限られた時間や会合のなかではなく、ふとしたきっかけで生まれるものです。偶然に知が組み合わさったときや、その場に生まれた言葉にできないような何かが引き金になったりする。オンラインには移動時間や手間を省けるというメリットがあるし、直接的な目的に向けては有効な側面もありますが、組織の長期的、全体的な活動においては徐々に、何かしら負の作用が出てくるのではないでしょうか。

私は、短期的な効率と長期的な生存はトレードオフにあると考えています。前者は今ある本業、テーマに専念し、選択と集中を図る。後者は、ポートフォリオをぎすぎすに削りすぎないというか、副次的、あるいは無駄と思えるようなことにも取り組んで生存の長期化を図る。自由な時間や活動がイノベーションを生み出すとして、よく例に挙がるものに3Mの「15%ルール」があります。これは、社員に対して自分のプロジェクトや好きな研究テーマに一定の時間を費やすよう促す仕組みで、実際、ここからユニークな商品が生まれたり、イノベーションが起きたりしています。

こういった目的外のことや副次的な活動を認める緩さ、いわば適正な冗長性は組織活動において必要だと思うのです。その割合は企業によって違うでしょうが、組織には、今の効率追求だけでは語れない何かがあったほうが本来健全なのだろうと。少し話がそれましたが、これがオンラインを介した活動だけになると欠落しやすく、長期的に見たとき、負の作用として出てくるのではないかと見ています。「やはり対面で」と、一定の企業でテレワークが進まないのは、こんなところに要因があるのかもしれません。

これからの「集まる」

オンラインのハンディキャップを軽減していく

周知のとおり、コロナ禍にあって、人が同じ場に集まる機会は減ってきています。加えて昨今の流れから、「授業は対面よりオンラインのほうがいい」という学生が出てきているのも、また確かです。でも、やっぱり私は、大学教育においても「実際に集まる」は重要な部分を占めていると思うのです。交流を通じて仲間ができ、財産になりと、そこには知識教育を受けるだけでは得られない多くの学びがあります。だから、キャンパスは大事な場なんですよ。

ただ、オンラインでできることもある程度わかってきましたし、今後、事態が収束してもすべてが元に戻ることはないでしょう。「人が集まる」重要性は変わらないので、リアルとオンライン交流、それぞれをどううまく活用していくかです。方向性としては、リアルはオンラインで足りないものを補うことにシフトする、そういった流れになると思います。

そのうえで、先に述べたように、オンラインでラポールを形成するのは難しいので、工夫したい、心がけたい点はあります。たとえば私のゼミでは、グループディスカッションはリアルで集まるときより少なめの人数で行う、最大でも4人までと心がけています。ラポールを築くための最大のポイントは少人数であることだし、話す人数をあえて減らすことで、結果、密度の高い議論をすることができます。また、ワールドカフェをうまく繰り返すとか、小さい単位だけれどそれを何度かシャッフルすることで、オンラインのハンディキャップを軽減するようにしています。

大切なのは「相手を理解できていない」という謙虚な姿勢

Zoomなどで集まるときって、誰かがしゃべっているとほかの人は入りにくいじゃないですか。その点、リアルな集まりだといろんな人と同時に話すことができるし、観察学習も併せて相手のことをつかみやすい。そうしたなか、この人とは何が共通しているのか、違うのかを探れるわけです。今までであれば、何気ない会話や観察のなかから互いを認知することができましたが、やはり、画面越しの交流ではなかなか難しいのが現状です。

オンラインを活用するにあたって、前提が同じ人が集まるのなら懸念はないけれど、初めて会うといった場面においては、お互いの認識をそろえることがとても重要になってきます。それは、境界をどうとるか、ラポールをどう築くか以前に大事なことで、共通点、相違点の理解が遅れると目的の達成も遅れてしまいます。繰り返し述べてきたように、オンラインでは情報が落ちますから、個人としては、たとえば自己紹介のスキルであるとか、アイスブレイクのスキルをもっと身につけていく必要があると思います。

そして、今のように「なかなか実際に会えない」環境下では、得られる情報が減っている前提に立ち、相手を理解できていないという謙虚さを持つことが大切です。人の心を知り、理解するのはいかに難しいか―心理学に集約されるこの本質は、リアルにしてもオンラインにしても同じですが、オンラインの場合はことさら謙虚になるとともに、宇田川元一先生(埼玉大学准教授)がおっしゃるように、「向こう岸に立って眺める」(相手の立場になって考える)といった姿勢が大事だと思いますね。

執筆/内田丘子(TANK)
※所属・肩書きは取材当時のものです。