現役時代のキャリアから高齢期のキャリアへ定年後の仕事にどう向き合うか

谷口ちさ(NPO法人いろどりキャリア理事)

前回のコラムでは、「シニアの就労実態調査」にもとづくインタビュー調査の分析結果をご紹介した。

調査にあたり、インタビュー対象者には、学卒後からのライフラインチャート作成にもご協力いただいた。ライフラインチャートとはキャリアの棚卸しの際によく使われる手法であり、時系列で出来事やそれに伴う感情の揺れ動きを可視化することで、客観的な視点から自身の価値観を探索できるツールである。

今回のコラムでは、シニアが描くライフラインチャートから見える人生の転機(トランジション)について考察する。

転機とそれに伴う葛藤に着目

転機(※1)とはウィリアム・ブリッジズが提唱した理論であり、状況の変化に直面した際の心理的な変化のプロセスを指す。転機(トランジション)には(1)終わり、(2)ニュートラルゾーン、(3)新たな始まりの3つのプロセスが伴う。

状況が変化するとはすなわち「何かが終わる」ことを指す。「終わり」を受け入れ、時間をかけてこれまでのやり方を手放すことで、新しい始まりを迎え入れることができる、という理論である。しかし古いものを手放すことは簡単ではない。いわばアイデンティティのスクラップ&ビルドを強いられる期間でもあるため、「ニュートラルゾーン」は葛藤を伴う居心地の悪いものとなる。

たとえば「定年を迎えて再雇用される」という出来事は、「正規雇用の終わり」と「非正規雇用の始まり」で構成されているが、それ自体は雇用形態の変化でしかない。

転機においては、非正規雇用という「新たな始まり」を迎えるために、正規雇用の「終わり」に対する自らの葛藤を捉え、それを昇華するプロセス(ニュートラルゾーン)を味わい尽くすことが重要となる。転機は誰にでも起こりうることであるが、「終わり」には苦痛を伴うことがあるため、当然ながら、それを避ける人もいる。

波のないライフラインチャート

調査対象者が描いたライフラインチャートを見ていくと、そこには驚くべき3つの特徴があった。

・全体を通じてプラスに描かれている(上振れ傾向)

・全体を通じて平坦な線で描かれている(横ばい傾向)

・それまでと比較すると現職はやや低い位置で描かれているが、マイナスではない

「驚くべき」と添えたのは、筆者がキャリアコンサルタントとして活動する中で、これほどまでに波のないライフラインチャートを見るのは初めてだったからである。これだけを見れば、彼らの人生に転機はないと読み取れるが、実際にはどうなのか。

図表1 a氏のライフラインチャート

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図表2 b氏のライフラインチャート

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図表3 c氏のライフラインチャート

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転機には苦痛が伴うため、心の中で回避してしまう

ここでは例として、a氏のインタビュー内容を確認していこう。a氏の語りの中には「自分の得意分野じゃないことをやらなきゃいけないっていうのは、ちょっと大変でしたね」とあり、現役時代(※2)に不本意な異動を経験したことがわかる。不得意なことをやらざるを得ない状況になってしまったa氏だが、「自分のできることできないことを割り切って、できないことはできる人間に任せる」という方法でこれに対処している。

この「割り切る」という対処スタイルはこのときだけでなく、苦手な上司に当たったとき、定年退職を経て定年再雇用に切り替わるとき、長年勤めた企業を去って現職に就くときなど、a氏の語りの中に何度も登場している。そのため、インタビュアーがa氏にとっての「割り切る」の意味について質問したところ、「割り切るっていうのは、要するに自分の心の中で嫌な部分を極力外してしまうっていうことでしょうね」と回答した。

転機には苦痛が伴うため、ニュートラルゾーンの回避はよく起こることである。a氏は「心の中で嫌な部分」に遭遇するたびに「割り切る」という方法でニュートラルゾーンを回避してきたと読み解くことができる。したがって、横ばい傾向のライフラインチャートを描いたa氏には、転機は起きていなかったと結論づけることができるだろう。

一方で、自身の中で転機を認識している人も存在した。次回以降、人々は転機にどう向き合っているのか明らかにしていこう。

(※1)ウィリアム・ブリッジズ(2014)『トランジション 人生の転機を活かすために』パンローリング(訳・倉光修、小林哲郎)
(※2)このコラムにおいては学卒後から60歳までを指す。