研究所員の鳥瞰虫瞰 Vol.4自律を求める社会の罠 ―キャリア形成の“Will, Can, Must”に縛られない方法― ──橋本賢二

「VUCA(※1) 」「人生100年時代」「ジョブ型雇用」などのキーワードをきっかけに、キャリアについて一人ひとりの自律を求める動きが強くなっている。しかし、個人に自律を迫る風潮は、かえって個人を惑わせ、自律的なキャリア形成を難しくさせていないだろうか。本稿では、自律的なキャリア形成を巡る罠とその罠から抜け出す方法について考えたい。

あふれる自律プレッシャー

政府、経済界、大学界は、そろって個人の自律的なキャリア形成を求めている。政府が進めている「新しい資本主義実現会議」では、個人の自律的なキャリア形成が論点としてあり(※2) 、産学が人材育成を議論する「採用と大学教育の未来に関する産学協議会」でも、自律的なキャリア形成の推進がテーマとなっている(※3) 。

企業においても、自律的に行動できる人材の育成を目指す動きがある。例えば、双日では、中期経営計画における人材戦略として目指す姿を「多様性と自律性を備える『個』の集団」と掲げている(※4) 。損害保険ジャパンでは、求める人材像の一つとして、「自ら考え、自律的に行動し、学び続け、失敗を恐れず常に高い目標に向かってチャレンジし続ける社員」を挙げている(※5) 。社会の動きともあいまって、個人に自律を求める動きは、ますます強くなるだろう。

「人生100年時代」のきっかけをつくったグラットン&スコット(2016)は、人生が長くなることで多くの変化を経験することから、選択肢を持っておくことの価値が増すと指摘している。テクノロジーの進展やコロナ禍を経た働き方の変化など、社会や雇用関係が大きく変化しているからこそ、自らキャリアを考えて、自分がキャリアを選択して決めていく意識が求められている (※6)。
しかし、キャリア形成は自分の希望だけで実現できるものではない。自律的なキャリア形成には、自分が社会とどう関わるのかという視点が欠かせない。

独りよがりの“Will, Can, Must”の罠

chojuchukan_20230310.jpg自分自身のキャリアの進むべき方向性を整理する道具として、“Will, Can, Must”という方法論がある。やりたいことであるWill、できることであるCan、やるべきことであるMustでベン図を描いて、3つの円が重なる部分に注目する(※7) 。“Will, Can, Must”の視点で整理することにより、自分のキャリアが描きやすくなると考えられている 8(※)。

この3つの視点は、キャリア支援の現場でもよく用いられるフレームだが、過度に“Will, Can, Must”に囚われてしまうと、かえって自分のキャリアの進むべき方向性に迷ってしまうことがある。例えば、自分が納得できるWillを見つけようとして、いつまでも青い鳥を求めるように様々なことを追い続けてしまう。キャリア形成に有利になるよう様々な資格を取得してCanを増やすものの、なかなか仕事に結びつけられない。会社から与えられるMustを淡々とこなし続けたものの、定年などで会社を退職すると居場所に困ってしまう、などが考えられる。

“Will, Can, Must”はキャリアを考えるためには有用なツールだが、社会における自分の立ち位置を意識せずに固執してしまうと、自身のキャリアへの展望は切り開けず「“Will, Can, Must”症候群」とも表現できる状態になってしまう可能性がある。自分が社会とどう関わりたいのかがなければ、キャリア形成はできない。

まず、思い込みを明らかにする

個人のキャリアは、置かれている状況や環境の影響を受ける。だからこそ、自分で自分のキャリアを決められる状態にすることがセーフティネットとなる。前述のとおり、自律的なキャリア形成を妨げる“Will, Can, Must”の罠とは、それに固執してしまうことである。罠から抜け出すためには、自分の“Will, Can, Must”を持ちつつも、それを柔軟に修正していくことが必要となるが、何をするべきだろうか。

クランボルツ&レヴィン(2004)は、行動を妨げる障害を克服するには、自分にコントロールできる障害について自身の思い込みを明らかにする必要があると指摘する。意図せずに担当してつまらないと思っていた仕事が面白くなったり、相性が悪いと感じていたカウンターパートと打ち解けてよい関係を築けたりなど、最初の印象が時間の経過により変化することは日常にもある。仕事や相手を変えることは困難でも、自分の思い込みを変えることで、よい状態に切り替えることが可能となる。
罠にはまらずに自律的なキャリアを形成するには、社会とどう関わるのかを意識しながら、自分の中にある思い込みと向き合うことが必要である。そのための大切な方法が対話である。

対話で気づく思い込み

他者に語ることが、自分自身の思い込みに向き合うことにつながる。他者に話すからこそ、自分の考えが明確になる。他者に語る機会は、他者にも伝わる言葉を選ぶ機会となり、語りを聞いた他者からの反応も踏まえることで、考えていることが洗練されて自分にとっても明確なものとなる。梶谷(2018)は、考えることそのものが他者との対話だと説いている。人に話して初めて自分がわかっていないことに気が付くという経験は、多くの人が持っているだろう。

しかし、他者との対話は意外と難しい。梶谷(2018)は、他者との対話を始める時の難しさとして、①世間の常識や他者が考えることをそのまま語ってしまうこと、②誰に向けたのかわからない言葉で語ってしまうことの2点を挙げている。社会的望ましさを意識した言葉は、他者だけでなく自分も「わかったつもり」にしてしまう。誰に向けたのかわからない言葉は、誰にも受け止めてもらえずに差し障りのない反応となって返ってくる。このようにわかったつもりや差し障りのない反応では、自分自身の思い込みが明らかになることはない。だからこそ、他者を意識して自分自身の言葉で対話することが重要となる。相手を意識しながら自分自身の言葉で表現するからこそ、言葉のやりとりや他者からの反応を通じて、自分の思い込みがより明確になる。

自律的なキャリア形成とは、自分が社会にどう関わるかを意識しながら、自分自身のキャリアを自分で決めていくことである。「自分が決める」ことばかりを強く意識してしまうと、自分の思い込みで突き進んで“Will, Can, Must”の罠に陥りかねない。自律的なキャリア形成には、他者である相手を意識した自分自身の言葉で語る対話をすることからはじめたい。

<参考文献>
Gratton, L. & Scott, A. (2016) “THE 100-YEAR LIFE” Bloomsbury Information Ltd(池村千秋訳『ライフ・シフト』東洋経済新報社,2016)
Krumboltz, J. D. & Levin, A. S. (2004) “Luck is No Accident” Impact Pub(花田光世・大木紀子・宮地夕紀子訳『その幸運は偶然ではないんです!』ダイヤモンド社,2005)
梶谷真司(2018)『考えるとはどういうことか』幻冬舎
武石恵美子(2016)『キャリア開発論』中央経済社
宮城まり子(2021)「ウィズ・コロナ時代のキャリア形成」日本労働研究雑誌 No.729 pp.79-83
谷内篤博(2005)『大学生の職業意識とキャリア教育』勁草書房
田澤実(2018)「キャリアプランニングの視点“Will, Can, Must”は何を根拠にしたものか」生涯学習とキャリアデザイン 第15巻第2号 pp.33-38
ドラッカー, P. F. (2000)『プロフェッショナルの条件』上田惇生編訳, ダイヤモンド社
Schein, E. H. (1990) “Career Anchors: Discovering Your Real Values” Pfeiffer(金井壽宏訳『キャリア・アンカー』白桃書房,2003)

(※1)「Volatility(変動性)」「Uncertainty(不確実性)」「Complexity(複雑性)」「Ambiguity(曖昧性)」の頭文字を並べたもので、不確実性が高くなり、将来の予測が困難である状況を示す造語。
(※2)2023年2月15日に開催された第14回新しい資本主義実現会議において、岸田内閣総理大臣は「個人の自律的なキャリア形成を促すために、国の学び直し支援策については、個人への直接支援中心に見直しをします」と発言している。
(※3)「採用と大学教育の未来に関する産学協議会」は、日本経済団体連合会と大学のトップが直接対話する枠組みとして設置されている協議会であり、2022年4月に公表された報告書は「産学協働による自律的なキャリア形成の推進」とのタイトルが付されている。
(※4) https://www.sojitz.com/jp/csr/employee/mission/ (2023年3月9日閲覧)
(※5) https://www.sompo-japan.co.jp/company/initiatives/diversity_dev/development/(2023年3月9日閲覧)
(※6) このような指摘は、武石(2016)などによってコロナ禍以前からあり、宮城(2021)はコロナ禍を経てより強まっていると強調する。
(※7) 谷内(2005)は、大学生への指導経験から就職の成功要因の一つとして”Will, Can, Must”の明確化を挙げている。日経産業新聞「雇用環境の変化にどう対応?『doda』編集長に聞く」2022年12月17日2:00では、自己分析を「Will」「Can」「Must」の3段階に分けて考えることを勧めている。
(※8) “Will, Can, Must”の考え方について、田澤(2018)は、組織への貢献を重視したドラッカー(2000)の考え方やシャイン(1990)の自己イメージを根拠とした可能性を指摘している。