労働政策で考える「働く」のこれから「賃金ダウンありきの転職」を乗り越える

「100年キャリア時代」で求められるキャリアトランジション

「100年キャリア時代」には、1社で勤務し続けるという働き方は減っていくだろう。これまでのキャリアは定年後数年間働き続け、長く見ても一生で働く期間は50年であったが、今後は80歳まで働き続けることも当たり前になり、働く期間は60年を超えようとしている。その一方で企業寿命はビジネス環境の変化や高スピード化によりますます短縮化し、一部の予測では20年くらいまで短くなるといわれている。これは、1社で生涯働き続ける可能性がますます低くなることを意味し、折に触れてキャリアを変化させながらも発展させていくことが必要になってくる。

これからは、転職や独立・起業などキャリアを変化させるという意味でのキャリアトランジションを円滑に進めていくことが重要になる。

現在でも見られるキャリアトランジションの代表的な例は転職であろう。日本ではこれまで、「転職をすると賃金が下がる」といわれ、キャリアトランジションがしにくい社会と考えられていた。そのなかで政策的にも、企業に休業中の雇用保障を求める雇用調整助成金から、転職を促進させる労働市場移動促進助成金に予算の重点配分を大きく切り替え、労働市場における転職促進を進めているが、キャリアトランジションしやすい社会とはまだいえないのが現状だろう。

以下では、転職の課題として、転職による賃金低下に焦点を当てて、転職の現状を見つめながら課題解決の方向性について考えていきたい。

転職により賃金が上がらない国は日本だけ

転職で賃金が上がるか下がるかは、転職する人のモチベーションにかかわる重要な問題だ。もし転職によって賃金が下がるのであれば、あえて転職しようと思わないだろうし、現職での環境が不満足であっても、特に家族がいて支出が多い家庭のある人であれば、現職で我慢し続けることにもなりかねない。転職によって賃金がどう変化しているか国際比較で見てみよう。

図表1は転職者の前職からの賃金変化を示したものである。転職によって賃金が増えたという人は、日本では22.7%にとどまり、G7とBRICsなどをあわせた13カ国平均の56.6%を大きく下回る。多くの国において賃金が上昇する人が半数を超えているので、世界的には転職によって賃金が上がるが、日本では賃金が上がらないといえる。日本では、転職によっても賃金が変わらない人が61.9%と多くを占め、ほかの国と比べても多いのが特徴だ。

図表1 転職前後の賃金変化 国際比較
出所:リクルートワークス研究所・BCG(2015)「求職トレンド調査2015」

年齢が上がるにつれて賃金が下がる構造

日本で、転職によってあまり賃金が上がらない構造になっているのはなぜだろうか。その答えのヒントが図表2にある。図表2は、正社員から正社員に転職した人に限り、転職前の1年間、転職後1年目、2年目の年収の平均値を示したものである。20代については転職後1年目の賃金は転職前の賃金とほとんど変わらず、2年目になると上がっていることがわかるが、30代以上では、転職後1年目の賃金は転職前の賃金よりも下がっている。30代では転職後2年目で転職前の賃金と同程度にまで回復しているが、40代、50代では転職後2年目でも転職前の賃金を下回っているのが現状だ。

図表2 年代別 転職前後の平均年収
出所:リクルートワークス研究所「全国就業実態パネル調査」
注:2014年中に入職をした転職者。転職前、転職後それぞれにおいて正社員に限定している。

こうした現状の背景には、いくつかの要因が含まれているだろう。1つは若年については、未経験者として中途採用されるため、転職後も賃金が伸びる余地がある一方、中高年については経験者として採用されることが多く、また、大企業から中小企業へ移動したり業種が変わったりすることにより、平均的に賃金が低い企業群に転職しているケースが多い。第2に、30代以降において、転職後1年目においては賞与が支給されないケースが多くその分賃金が下がっているが、転職後2年目においても転職前とそれほど変わらない、または下がってしまう状況では転職しようというモチベーションが起こらない。第3に、転職者の前職の賃金を見ると、同年代の正社員の賃金よりも平均的に低いため、会社での不満や能力不足を感じて転職する可能性もあり、そもそも高所得者層が転職しているわけではないといった構造的な課題がある。

"On the Job Search"では賃金が上昇

そのなかで転職をしても賃金が上がるケースとしてはどういうことがあるだろうか。いろいろな切り口があるだろうが検討した結果、転職先が決まるタイミングと離職するタイミングに関係があることがわかった。図表3は、正社員から正社員への転職者について、前職を辞めるタイミングと転職先が決まるタイミングを比較している。退職後に転職先が決定した人は、転職後1年目の賃金は転職前に比べ大きく低下し、転職後2年目においても転職前よりは下回る。一方、転職先が決まってから、前職を退職したケースの場合、転職後1年目の賃金は転職前よりもわずかに上回っており、2年目においてはさらに上昇している

図表3 転職先決定のタイミング別 転職前後の平均年収
出所:リクルートワークス研究所「全国就業実態パネル調査」
注:2014年中に入職をした転職者。転職前、転職後それぞれにおいて正社員に限定している。

転職先が決まってから前職を退職する、つまり"On the Job Search(オン・ザ・ジョブ・サーチ)" を行っている人は、現職よりも賃金の高い仕事を見つけてから転職できるため、現職よりも賃金の高い仕事が見つからなければ転職しないと考えられる。一方、退職後に転職先が決まった人は、失業期間を経ているわけであり、失業中の生活が困るだけでなく、働いていれば平日の昼間などに人と接する機会があるが、失業中では意識的に行動しない限り人と接する機会が限られることもあるため、賃金が低かったとしても早く就職してしまおうという心理が働いている可能性もある。

好条件の転職を生み出していくための打ち手

このように見てくると、キャリアトランジションとしての転職の環境を整備するには、4つの方向性があると考える。それぞれをまとめて終わりにしたい。

第1に、転職先が決まってから前職を退職し、転職するケースをもっと増やしていく。失業や賃金低下を怖がるのは自然な心理であり、それを経験しない形での転職を増やしていく。そのためには在職者でも自分のキャリアを考えつつ、いい条件の仕事を探しあえることが必要だ。政策的には、好条件での転職が可能な方法を周知・啓蒙していく必要がある。

第2に、好条件の転職を進めていくためにもより高次のマッチングを生み出すことが必要だ。個人の経験やスキルを評価する仕組みを官民一体でつくっていくことや、企業にとっても自社の賃金テーブルに当てはめることが難しいので転職者を受け入れられないという課題もあるので、貴重な人材と契約できるように、雇用条件の個別契約の普及と環境整備を図っていくことが求められる。

第3に、失業中でも金銭面が十分確保できるだけでなく、心理的にも安心して職探しができるシステムをつくることだ。前職を離職してから求職活動をするとなるとどうしても不安がつきまとうことが、転職による賃金低下の背景にある。安心して求職できる環境をつくるためには、たとえば「紐帯理論」が知られているように、人的ネットワークの活性化にも注目する必要があると考える。

第4に、転職という視点にとどまらず、個人がスキルを高めながら、企業もそれを評価する仕組みをつくることだ。高所得者の転職が少ない点を指摘したが、高所得者がもつスキルや経験が希少でありその結果賃金も高いのであれば、転職をするよりもそのスキルや経験を活かして起業をするほうが、メリットを1人で享受できるという意味で、より合理的であるといえる。転職だけに注目するとどうしても縮小均衡になってしまうのであれば、起業も視野に入れてキャリア形成の環境をどう整備するかを本格的に考えなくてはいけない。

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次回 「メンバーシップ型の日本での転職 ――「転職=即戦力」幻想の先へ」  12/18公開