フランスの「働く」を考えるフランス人の副業者は600万人

インフレと暴動の関係性

フランスでは9月に新年度がスタートする。バカンスで散財したフランス人たちが「副業」に勤しむシーズンでもある。今年は特に不況下における歴史的なインフレという背景も重なり、メディアでも「副業」の話題が多く取り上げられている。事実、食料品の価格は2023年3月時点で前年同時期に比べ平均16.3%も上昇している(※1)。たとえば、インフレ以前のバゲット1本の値段は1ユーロ前後であったが、現在は0.50ユーロ値上がりし1.50ユーロ前後となっている。主食が小麦(パン)であるフランスでこの値上がりは影響が大きく、人々の生活をさらに圧迫している。

フランス革命は「小麦価格の高騰」で食べられなくなった民衆の暴動がきっかけに起こったが、インフレ時には社会不安や暴動が起こる確率が高くなる。今年6月に発生したフランス各地での暴動は数週間も続いたが、これもインフレなどで生活が苦しくなった人々が日頃の鬱憤を吐出したものであった(※2)。物価上昇に連動して賃金が上昇することもないため、収入を上げる選択肢として必然的に「副業」が浮上する。

フランス人と「副業」

スラッシャー

フランスで副業を行う就業者数は2016年の400万人から、2022年には600万人へと増加している。これは、労働力人口のほぼ4分の1に当たるとされている(※3,4)。昼は企業の会計部に勤務し、夜はショッピングセンターのセキュリティーとして働くなど、時にまったく異なる複数の職務を組み合わせていることも多い。こうした労働者をフランス政府は「マルチアクティブ(multi-actifs)」と呼称している。主な事業形態は下記の3つである。「1つの給与所得活動と1つの自営業活動」は純粋な「副業」に当たる。「2つのパートタイム給与所得活動」や「異なる2つ(もしくは複数)の自営業活動」は「複業」とみなすことができるだろう。

フランスでは、雇用契約書で副業が禁止されていない限り、副業は法的に可能であるが、たとえば労働時間では、雇用主だけではなく、労働者も法定最長労働時間を守る必要がある。最長労働時間は原則として、1日10時間、1週間で48時間で、合計労働時間がこれを超えてはならず、それぞれの雇用契約にある所定の労働時間を超過した場合は割増手当が支払われる。ただし、自営業者や研究職、個人宅での事業などはこれに当てはまらない。その他、社会保険、税制の面でも基本的に同じ規則が適用される。

マルチアクティブは若い世代に限定された活動ではない。退職金を得ながら副業で収入を得る退職者も増加傾向にある。INSEEが2018年に実施した雇用調査では、55歳以上の年金受給者のうち、退職年金を受給しながら働いている人は4万8000人(3.4%)であった(※5)。生き甲斐を取り戻したい、長年培ってきたノウハウや技術をシェアしたい、退職金だけでは生活が苦しいから、などが副業を始めた主な理由である。

「スラッシャー」の出現

「副業」は、主となる本業以外の仕事で収入を得ることであるが、昨今、本業を持たずにさまざまな職業を同時に掛け持つ「スラッシャー(複業者)」の存在が、特にY世代、Z世代で顕著に伸張している。スラッシャーという呼び方は米国由来であるが、スラッシュ・キャリアを実践している人を指し、同時に複数の肩書や仕事を持ち、スキルアップしながらキャリア構築している人のことを指す。

スラッシャーの大半は35歳以下で、マルチタスクをこなし、高い教育水準であることも特徴的だ(※6)。OpinionWayがHoroquartzのために実施した調査(※7)によると、スラッシャーが多い地区は、人口1万4000人以上の都市であり、こうした地区では、30代以下の29%がスラッシャーである。スラッシャーは「終身雇用」という考えを持たないため、フランスの労働市場の規範を揺るがしている。また、Y世代、Z世代は「1つの仕事への執着が少ない」という特徴があり、興味のある分野や趣味をそのまま仕事にする傾向がある。

『スラッシャーという職業者』の著者であるマリエル・バルブ氏は、若年層でスラッシャーが急増しているのは「フランスの従来の賃金モデルや働き方に、もはや自分を見いだせなくなったという考えがこの世代に蔓延している」と分析しており、「CDI(正社員契約)という『トロフィー』はもはや足枷にすぎず、彼らはもっとフレキシブルな働き方を望んでいる」と語る。世代による価値観の変化がスラッシャーを増加させる背景となっているようだ。バルブ氏は、「この傾向はますます増え、今後はスラッシャー的な働き方が標準になるだろう」と予測している。

筆者もスラッシャーの一人である。ビジネス・コンサル、リサーチ、撮影コーディネート、吹き替え、翻訳・通訳、パティシエなどと、フリーランスで複数の職業を日々ジャグリングしている。どの仕事にもとても思い入れがあるため、本業は何かと聞かれると困ってしまう。パティシエなどはお菓子作りの趣味が高じて、次第にスキルアップし、いつしか重要なデイリーワークとなっていた。

扱いにくいプロフィール

スラッシャー多価

安定した雇用契約が得られないために「副業」をせざるを得ない人がいるなか、スラッシャーのキャリア構築は異質かもしれない。さまざまな職業を同時に行いながらスキルを身につけ、ポリバレント(多用途)に活躍する。多くの「経験」から、多面的な視点を持ち合わせ、専門分野で高い知識や技術レベルを保持している。現代の企業で重宝されるべき人材であるはずだが、労働時間を細分化できない業種や伝統的な企業では、受け入れられないことが多い。また、リテンションのため素晴らしい条件でCDIを提示しても、断られるため、理解に苦しむHRも多い。

人材紹介会社Happy To Meet You(※8)でエグゼクティブ採用を担当するフランソワ・グージョン氏は、「クライアント企業が伝統的なキャリアパスを提示し、5年も同じ仕事に専念してくれるエグゼクティブを探しているのであれば、スラッシャーは紹介できない」と説明する。スラッシャーは「給与やCDIなどの条件ではなく、新しいスキルを身につけることができる企業での『経験』を求めているからだ」と、付け加える。

グージョン氏は、タイムシェア方式でエグゼクティブに仕事を紹介する人材会社「Kom&Do(※9)」を立ち上げた理由を「フレキシブルに欠けるマネジメントのせいで、これらの企業は才能あるスラッシャーによって大きな利益をもたらす機会を失っているのは残念である」と説明している。

監査・コンサル大手のMazarsは、「従業員が同時に別の職業活動をすることは許可されない」とする雇用契約書内の条項を2019年に撤廃している。これは、Mazarsがスラッシャーを人材の一人として認めただけでなく、スラッシャーを自社に引きつけることを目的としている。

HRの本音

既出のOpinionWayの調査では、Y世代、Z世代の2人に1人は、正社員ではなく、スラッシャーやフリーランスとしての働き方を選択するという結果が出ているが、こうした動きが今後の労働市場に与えるインパクトはとても大きい。スラッシャーやフリーランサーはLinkedInでさまざまな職業の同時遂行を誇らしげに掲載するようになったのは、以前では考えられないことだ。複業者は不安定の象徴から、多才な能力のある人材へとイメージが変わった。

中学と高校を米国で過ごしたパリジャンのシリル氏は、パリ大学で通訳養成コースを修了した後、平日は大手化粧品会社で社員通訳として勤務しているが、週末や休暇中は音響エンジニアとして音楽グループのツアーに同行している。通訳と音響エンジニア以外にも俳優、モデルなどいくつもの職業を同時に行うスラッシャーだ。音響エンジニアの仕事は高校生の頃からミュージシャンである両親を手伝っていた延長で現在も続けているが、俳優とモデル業は音響エンジニアを担当していた音楽レーベルの担当者からスカウトされたことがきっかけで始めたそうだ。

HRはこうしたY世代、Z世代の働き方に対する考えや、スラッシャーなどマルチな複業者をどのように見ているのだろうか?

マイケル・ペイジのエグゼクティブ・ディレクターであるマレーヌ・リベイロ氏は、「複数の仕事を同じように遂行することは不可能、仕事の幅を広げすぎた結果、全ての職業が中途半端になる危険性がある」と指摘し、また「スラッシングはしばしば、どんなオファーでも引き受けるような、ご都合主義者と認識されてしまう」と説明する。リベイロ氏にとって、スラッシャーは「経験を増やしたいY世代やZ世代と、安定した職を見つけられないシニア世代」、この2つのタイプに分けることができるとしている。

「副業」に関しては寛大な意見が多いが、スラッシャー的な「複業」に関してはまだ意見が分かれる。これは、労働市場において正規雇用と非正規雇用の二極化が進んでいると捉えることもできる。希望に応じて両者間での行き来が可能になるような柔軟な働き方が定着していくことが望まれる。

TEXT=田中美紀(客員研究員)