雇用流動化と働く人の「ボイス」 なぜ海外では7割が賃金交渉をしているのに、日本は3割に留まるのか?

労働組合の役割は賃金交渉からキャリア支援へ

三井物産労働組合とUAゼンセンの挑戦 ―労働組合の新たな役割―」では、国際調査や国内の先進的な取り組みから、労働組合の役割が、雇用維持や賃上げだけでなく、労働者のキャリア形成の支援にも広がっていることをお伝えしました。

労働組合の担ってきた役割の変化は、これだけに留まりません。国際調査の結果、日本の今後を示唆するもう1つ顕著な特徴が発見されたのです。それは賃金交渉のあり方です。 

図表1は、日本・アメリカ・フランス・デンマーク・中国で、民間企業で働く大卒30代・40代を対象に行った調査の結果をまとめたものです。
どの国でも、賃金の決定要因として、「労働市場の賃金相場」や「会社の人事制度や就業規則」の割合が高いという点は共通しています。

図表1 賃金の決定要因図表1賃金の決定要因.png※賃金の決定要因として1番目、2番目、3番目のいずれかとしてあげられた割合
※週労働20時間以上のみを集計
出所:リクルートワークス研究所(2020)「5カ国リレーション調査」

賃金決定、日本は不明、海外は個別交渉

一方で図表1において、日本ならではの特徴を3点見出すことができます。1点目は、「労働組合と使用者の団体交渉」の割合が日本は20%と5カ国のなかで最も低いことです。

この連載で論じてきたように、企業別労働組合は日本的雇用の基盤であり、賃金交渉は労働組合の中核的機能の1つです。にもかかわらず、日本では賃金決定に関する労働組合の関与は十分に認識されていません。これは、労働組合は賃金交渉に取り組んでいるのに認識されていない面と、そもそも賃上げ交渉を行う労働組合に加入している人が少ないという面の両方があるでしょう。

2点目は、賃金決定における「個人と会社の個別交渉」の割合が、他国では5割以上あるのに対し、日本では2割しかないことです。
日本では、賃金交渉といえばもっぱら労働組合のイメージがありますが、海外では個人での賃金交渉も一般的なことを、この結果は示しています。労働市場が流動的でジョブ型雇用だと、入社タイミングや入社ポストは個人ごとに決まるため、集団ではなく個人での労働条件決定が重要だからでしょう。

3点目は、日本では賃金の決定要因は「わからない」が33%と、他国に比べて顕著に高いことです。
海外では企業を移りながらキャリアを形成することは珍しくないため、賃金決定メカニズムが企業横断的に発達し、賃金の相場情報が流通しています。一方、日本では賃金水準は企業内のバランスを重視して決められ、賃金決定の仕組みがブラックボックスになっているからだと考えられます。

まとめると、日本ではそもそも賃金の決定メカニズムを理解していない人が3割もおり、他国に比べて労働組合や個人での賃金に関する交渉が行われていないか、もしくは、行われていることを認知していません。日本は、賃金決定における労働者の当事者性が低い国といえるでしょう

入社時の賃金の要望、海外では約7割

日本と海外で賃金決定に関する労働者の当事者性が違うことは、入社時の労働条件の決定や、入社後の賃上げ要望の有無においても観察されます。

図表2は、転職者が入社時に賃金について要望したのかどうかと、その要望が叶ったかどうかをまとめたものです。日本は「会社から提示された額で合意した」が58%と6割近いのに対して、他国では「会社から提示された額で合意した」は3割もありません。

逆に他の国では、「自分から希望額を伝えた」、もしくは、「会社から額を提示された後に、自分の希望を伝えた」を合わせると約7割以上になっています。一方、日本は「自分から希望額を伝えた」「会社から額を提示された後に、自分の希望を伝えた」を合わせても3割強しかありません。

つまり、海外では入社時に賃金について要望するが7割、しない、もしくは、わからないが3割なのに対し、日本は賃金について要望するが3割、しない、もしくは、わからないが7割と正反対の構造にあるのです

図表2 入社時の賃金交渉とその結果図表2 入社時の賃金交渉とその結果.png

※転職者のみを集計
出所:リクルートワークス研究所(2020)「5カ国リレーション調査」

海外では、入社後も賃上げ要望が続く

個人が賃金について要望するのは、海外では入社時に限りません。入社後も機会をみて、企業に賃上げを求めています。

図表3は入社後に賃金交渉したかどうかの結果です。日本は「賃上げを求めたことはない」が約7割ですが、他国では最も多いデンマークでも3割強しかありません。つまり、入社後の賃上げ交渉も、海外7割、日本3割という実態があるのです

では海外では、個人はいつ企業に賃金の要望を伝えているのか。国によって多少の違いはありますが、「雇用契約の更新時に求めた」「評価のフィードバックの時に求めた」「来期の役割を決定する時に求めた」が高い傾向にあります。

職務の内容や仕事ぶりについて企業とすりあわせるタイミングで、賃上げを要望しているのです。年功賃金のもとでは職務の内容と賃金水準は連動しませんが、ジョブ型雇用のもとでは職務と賃金が直結するからでしょう。

また、日本では賃上げを「転職や離職を考えた時に求めた」は5%しかありませんが、他国では「転職や離職を考えた時に求めた」も1割を超えています。日本では会社に対する帰属意識が求められるため、転職意向を伝えると信頼を損ないかねませんし、そもそも賃金について明示的にすりあわせる風土もないのに対し、海外ではより良い待遇やポストを目指して転職するのが当たり前だからでしょう。

図表3 入社後の賃金交渉(複数選択)

図表3 入社後の賃金交渉(複数選択).png※転職者のみを集計
出所:リクルートワークス研究所(2020)「5カ国リレーション調査」

正反対の日本と海外、原因は?

海外では入社時も入社後も約7割の個人が自身で賃金について企業に要望していて、要望していない人は約3割に留まるのに対し、日本では自ら賃金について要望している人が約3割で、残りの7割は賃金について声をあげていない。この正反対の構造は、いったいなぜ発生しているのでしょうか。

その理由は2つ考えられます。1つは雇用制度の違いであり、もう1つはコミュニケーションスタイルの違いです。

日本的雇用では、学校卒業年の4月に新卒一括採用で就職し、その後は定年まで1つの企業で働くのが典型的なキャリアパターンです。賃金などの労働条件を他の企業と比較するのは、就職のタイミング一度だけ。

入社すると年功をベースとした職能という層別管理で賃金が決まっていくため、職務の内容と賃金水準にギャップが生まれることもあります。しかし、評価や賞与で賃金に差がつくことはあっても、全社で整備された賃金決定の仕組みから逸脱することは難しいため、声をあげる気になかなかなりません。職場によっては「自己中心的な要望を主張している」とさえ見られかねず、長く働くのであれば、賃金について要望したりせず、黙って受容しているほうが、波風が立ちません。

それに対して、ジョブ型雇用の海外では、入社のタイミングも職務の内容やポストも個人によってバラバラです。入社ではなく入職であり、全員が同じタイミングで、同じ職務レベルで就職しないので、個人ごとに待遇に差がつきます。

また、キャリアアップや好条件を求めて転職するのは当たり前なので、個人は「今の会社に留まるのか、他の会社に移るのか」という選択肢をもって、企業に賃金や職務の内容について確認したり、要望したりします。

日本では労働条件が企業全体で最適化された仕組みで決まるのに対し、海外では個人ごと、少なくとも職務内容ごとに最適化されて決まるという違いによって、賃上げに対する個人の行動に差が生まれているのです。

コミュニケーションスタイルの違い

賃上げに対する発言の有無が海外と日本でこれほどまでに違うもう1つの理由は、コミュニケーションの仕方にあります。

アメリカ人やフランス人、デンマーク人はローコンテクストな文化をもつのに対し、日本人は最もハイコンテクストの文化をもつ民族だといわれています(※1)。ローコンテクストの文化とは、言語によってメッセージの大部分が伝達される文化です。伝えたいことや本音が言語にこめられており、会話の量も多い傾向があります。

一方、ハイコンテクストの文化とは、明確な表現は避けて文脈から互いに相手の意図をくみとる文化です。メッセージは、言葉よりも状況や人にあり、言葉は必ずしも本音を伝えておらず、会話の量も少ないため、相手の真意をくみとる作業が日常的に発生します。「察する」「空気を読む」「話さなくてもわかる」「以心伝心」などと表現されることもあります(※2)。

つまり日本では、賃金に限らず、明示的な言葉にして要望を伝えることが、必ずしも自然ではないのです。

加えて、日本は労働市場の流動性が低く、他社の賃金水準と自分のそれを比較する機会や情報が乏しいため、「賃金が安すぎる」「賃金はもっと高くて当然だ」といった判断がつきません。また、企業のなかには忍耐を美徳とする風土もあります(※3)。

賃金が安いか高いかを自分も他人も客観的に判断できず、仮に安すぎたとしても我慢して当然だと考えられている職場で、賃上げを声高に主張することは空気を読まないことと同義です。
ハイコンテクストな人間関係の職場では、賃金や待遇に不満があったとしても、正面から要求せずに、それとなく伝え、相手がくみとるのを待つことが好まれるでしょう。

賃上げ要望機能の消失という脅威

ここまでの議論を整理すると、日本的雇用システムは変容し、労働組合は衰退傾向が続いています。労働組合の最も重要な機能である賃金交渉に関しては、日本は他国に比べて労働組合の存在感が乏しいだけでなく、個人で賃金交渉する割合も諸外国の半分未満でした。

日本でも雇用の流動化やジョブ型雇用への移行が進んでいることを考えると、海外諸国のように個人での賃金要望も普及する必要があります。しかし日本では、賃金相場に関する情報が乏しいために、個人は賃上げを要望する必然性が曖昧です。

しかも、職場では要望をはっきり口に出して伝えるよりも、オブラートに包んだコミュニケーションが好まれる。だとすると、個人での賃金交渉もそう簡単に広がっていくとは考えられません。

つまり、日本は現状、集団的賃金交渉が衰退し、それを補う個人単位での賃金交渉も根付いていないという危機的事態にあります。このままでは、日本企業の賃上げは、企業の自発的取り組みと政府の規制や要請によってしか実現されず、賃金の当事者の一方である労働者は賃金決定の仕組みの蚊帳の外になってしまいます

賃金という労働条件の根幹において、労働者はその決定に関与できないという、極めて深刻な事態が出現しているのです。

中村天江

(※1)Ferraro, Gary P., 1990, The Cultural Dimension of International Business, Prentice Hall,(江夏健一・太田正孝監訳,IBI国際ビジネス研究センター訳『異文化マネジメント―国際ビジネスと文化人類学』同文館出版,1992)
(※2)藤本久司(2011)「文化の類型とコミュニケーションギャップ」『三重大学人文論叢』28,145-155
(※3)中村天江(2018)「『忍耐力』という会社員のスキルの是非」『研究所員の鳥瞰虫瞰』3,リクルートワークス研究所 https://www.works-i.com/column/works03/detail035.html