企業が導入する「個人選択型異動」の姿社員の自律的キャリアは企業成長をもたらす「資産」:日本IBM

日本アイ・ビー・エム株式会社(以下、日本IBM)では、事業部に当たるビジネスユニット(BU)をまたいだ異動は社内公募(ジョブポスティング)による個人主導で行い、BU内の異動はBU全体の組織変更または個別の配置転換の形で企業主導で行っている。個人主導と企業主導の異動を使い分ける狙い、そして公募を通じて実現したい企業の姿などについて聞いた。

◆David Suzuki 氏
日本アイ・ビー・エム株式会社 人事 タレント・アクイジション 部長  
◆Lori Chung  氏
同 人事 タレント・アクイジション キャリア採用担当/Internal Career Mobility推進担当 

ビジネスへのメリットを認識 離職防止と人材確保にも役立つ

「IBMには社員一人ひとりの自律的なキャリア形成を重視する文化があります。社員が自分のキャリアを考え、次のポストへ挑戦する社内公募のシステムは、企業文化を体現するための重要なプロセスなのです」と、David氏は語る。

同社が社員に自律的なキャリア形成を促すのは、それがビジネスに大きなメリットをもたらすことを認識しているからこそだ。会社側が事業戦略に沿ったポストを設定することで、社員はポストを得るために必要なスキルや経験を身につけようとする。その結果、企業成長に必要な能力が社員に培われ、組織の「資産」になるのだという。公募を通じて、自分のいる部署以外のポストについて知ることで、社員が「あんな道もあるのか」と多様なキャリアを思い描けるようにもなる。
「多様な選択肢のなかから自らの道を定めることで、社員は目標達成に向けてもっと勉強しようと考えるようになります。その結果、仕事への意欲とエンゲージメントが高まり、さらに前向きな組織風土もつくられます」と、David氏は指摘する。

IT業界は他の業界に比べて、人材の流動性が高く採用競争も激しいが、こうした取り組みは離職防止と優秀な人材の確保にも役立つ。社員が自律的に、エンゲージメント高く働いた結果が業績に反映され、企業成長にもつながるのだという。

社外向け求人に社員も応募可能 選考プロセスは同じ

日本IBMは各事業部が収益の責任を負うBU制を敷いており、BU内の異動の多くは企業主導で行っている。各BUが事業戦略や組織の変化に応じて、必要なポストに適した人材を充てる必要があるためだ。このため個人主導で行われるのは、たとえばコンサルティング部門からテクノロジー部門へ、といったBUをまたいだ異動だ。一般社員が管理職のポストに応募するなど、昇格を伴うポストへの挑戦も可能だ。

また同社では、社外向けに募集しているポジションもすべて、社員にオープンにされている。「社外に公開されている求人に社員が応募できないのは、当社のダイバーシティの理念に反する。社内外すべての人材から、ポストに最も適した人材をフェアに選びたいのです」と、David氏は理由を説明した。

職場が人材を募集するには「ハイヤリング・チケット」と呼ばれるBU内の承認が必要だ。チケットを得られたら、まずBU内で適格者を探し、それでも確保できない場合、BU外へ社内公募を出す。社内公募されているポストとジョブディスクリプション、等級などはイントラネット上に公開される。応募者は職務経歴書を添付してポストに応募し、人事が基本的な適格性をスクリーニングした上で、BUにつなぐ。その後はBUの担当者が、書類選考や面接を実施する。社内公募でも要件に合う人が見つからない場合などは、社外へ求人を出す。この時点でも社員の応募は可能で、社員も社外の応募者も、人事の審査を経てBUへつながれるという、社内公募と同じ選考プロセスを踏むことになる。

学びのリソース用意し、不合格者に必要なスキルを提供

応募者にリスキリングやトレーニングへの参加を促し、挑戦するポストに見合ったスキルを獲得してもらうこともある。社員は社内にいるだけに、志望するBUについてある程度「土地勘」がある。面接官が社内情報を集め「あの人はマネジメントは未経験だが、資質はありそうだ」といった判断材料を得られることもある。

社員が希望するポストを得た場合、組織の承認と本人の最終判断を経て、異動の事務手続きに入る。同社は社員一人ひとりについて、期待される成果に応じて報酬や等級を定めているため、異動後の報酬水準や等級も、個別判断で決まる。
一方、ポジションを得られなかった人に対して面接官がフィードバックを行うことがある。人事サイドも「類似の領域で他のポジションへの挑戦を勧めたり、ポストに必要とされるスキルや経験を積んだ上で、再度応募するようアドバイスをすることもあります」(Lori氏)。選考を通じて、自分が考えていたキャリアパスと現実とのギャップに気づいた社員に対して、同社は多様な学びのリソースを用意している。「目指すキャリアを実現するには、社員自らどのようなスキルを身につけるべきかを予測し、学ぶことが求められます」とDavid氏は話した。

対話通じ、上司と部下の思いをすり合わせる

公募によって欠員が生じた時、BUが事業戦略上必要だと判断した場合は、人材の補充が行われる。ただ現場レベルではどうしても、欠員が出ることやチームのパフォーマンスが下がることを恐れて、上司が優秀な部下を囲い込もうとするケースも出てくる。将来の幹部候補として期待していた部下が部外へ出てしまうなど、上司と部下の思惑が食い違うこともある。
「すべてが理想通りにはいかないかもしれませんが、部下のキャリア形成を支援することこそがマネジャーの役割であり、優秀な部下は今所属しているチームの枠を超えてキャリアアップするという前提で、チームをマネジメントするべきだと伝えています」と、David氏は語る。

また同社は定期的な面談を通じて、部下が上司に希望するキャリアを、上司が部下に期待するキャリアを、お互いに伝え合う場を設けている。「上司と部下、双方が納得できる異動のポイントは、対話を通じて少しずつ、お互いのギャップをすり合わせることではないでしょうか」と、Lori氏は言う。
「そのために今後、マネジャーのトレーニングなども必要だと考えています」(David氏)

同社は今後、個人主導の異動をさらに増やしていく考えだ。Lori氏は「社員自身のキャリア形成がIBMのグローバル全体で重視されている点を考えると、十分普及したとは言えません」と指摘する。同社のビジネスは、テクノロジーとコンサルティングを融合させ、顧客の課題を解決することが柱となっている。このため技術畑の社員であっても顧客の視点が求められ、コンサル系の社員にも技術の知識は不可欠だ。
David氏は「だからこそ、社内公募によってBU間を越境するキャリアを可視化することで、社員に幅広いスキルと経験を身につける意識を高めてもらいたい」と語った。

聞き手:千野翔平
執筆:有馬知子