“日本のエンジニア”はどこへ行く?ーEngineer's Career Journey 「転機イベント」がもたらす「転機からの学習」。それがCX資産の正体である

豊田義博
リクルートワークス研究所 特任研究員
ライフシフト・ジャパン 取締役CRO/ライフシフト研究所 所長

“日本のエンジニア”はどこへ行くのだろう。AIが世の中を変えようとし、 DXが各方面へと広がり、リスキリングが潮流となろうとする中で、我が国の「ものづくり」を支えてきた “日本のエンジニア”の未来には、どのようなCX(キャリア・トランスフォーメーション)が待ち受けているのだろう。大手メーカー4社のエンジニア40名へのインタビュー、エンジニア1000人への調査から未来の姿を探る。本稿では、 “日本のエンジニア” のキャリア・オーナーシップの鍵となるCX資産の形成プロセスに着眼する。キーワードは「転機イベント」だ。

「広げる」経験に潜んでいる「転機イベント」

前回の記事「CX資産。それは日本のエンジニアのキャリア・オーナーシップの鍵となるスタンス・マインドである」では、 CX資産10の類型をご紹介した。「40人インタビュー」のインタビュイーの声を交えて、その内容をお伝えしていった。
では、この CX資産は、どのようなことが契機となって一人ひとりの中に育まれ、どのように形成されていくのだろうか。

実は、その契機の大半は「広げる」経験にあった。

日本のエンジニアの多くは、豊かなエンジニアとしての「広げる」経験を持っている。越境的「広げる」経験をしている人も一定数いる。しかし、「広げる」経験をしているだけでは、 CX資産形成の契機にはならないことは、これまでの記事の中でお伝えしてきた通りだ。
しかし、一部の人は、この「広げる」経験の中に、自身の「転機イベント」を見出し、日本のエンジニアとしてのあり方、生き方のベースとなる価値観の変容をもたらす転機とするのだ。

「転機イベント」は4つに分けることができる。

1つ目は「内面の危機」だ。 日本のエンジニアとして働いていく中で、仕事やキャリアについての不安、不全感、違和感、不適応、挫折などによる自身の内面の心理的なゆらぎ、惑いが生じることがある。そして、それが仕事に臨む姿勢や価値観、ものの考え方を大きく変えることにつながる。

2つ目は「環境の危機」だ。事業の危機や再編、倒産、チームメンバーの離職など、外的環境の大きな変化によって、仕事に臨む姿勢や価値観、ものの考え方が大きく変わるのだ。
「内面の危機」「環境の危機」ともに、日本のエンジニアの多くが経験しているように思われる。しかし、イベントが発生していても、それが「転機イベント」になるとは限らない。そのイベントと向き合い、内省することなしには「転機イベント」とはなり得ないのだ。

3つ目は「異質な他者との交流」である。自分とは大きく異なるものの考え方や価値観を持った人との深い交流や、そういう人がたくさんいる環境に長く身を置くことによって、仕事に臨む姿勢や価値観、ものの考え方が大きく変わる。主に越境的「広げる」経験によってもたらされるものだが、異質な他者と同じ時空間をともにしても、そこから何らかの学びや気づきを得るか得ないかは、本人がその場に身を置く姿勢に依存する。

4つ目は「キャリア選択機会」だ。自身の進路やキャリアについて自分で判断したり、選択したり、決定したりするような状況になったことによって、仕事に臨む姿勢や価値観、ものの考え方が大きく変わるのだ。ジョブ型に準ずるようにキャリアをスタートさせている日本のエンジニアだが、「広がる」経験の多さが示すように、みなそれなりに人事異動を重ねている。多くの場合、それは会社からの辞令によるものだが、本人が意思決定したり、意向を表明したりするケースもある。近年はそうしたケースが増えてきているだろう(エンジニアに限らないことだが)。こうした状況は、本人に自分と向き合う内省機会をもたらす。「内面の危機」「環境の危機」「異質な他者との交流」よりも、「転機イベント」となる可能性の高いイベントといってもいいだろう。

「転機イベント」は主観的なものだ。特定の「広げる」経験をした人全員に転機が訪れる、というようなものではない。転機とは、前述したように「価値観の変容」を伴うものだ。同じ出来事があっても、価値観が変わらなければ、転機にはならない。また、転機の渦中にある時には、本人はそれを自覚できない。それが結果的に「転機イベント」であったと認識するのは、転機を過ぎてからのことになる。

「転機イベント」がもたらす「転機からの学習」

このような「転機イベント」は、本人に価値観の変容という学習をもたらす。今回のインタビューから見えてきた日本のエンジニアの「転機からの学習」は、3つに整理された。

第一の学習は「問題意識の形成」である。あるテーマや自身が置かれている状況に対して、自分自身が主体的に取り組まなくては、という問題意識が形成されるのだ。それらは、取り組むべきものであることが多く、取り組まなくてはならないものの場合もある。そうした「降り掛かった難題」は、こうした価値観の変容を通して「我がごと」になる。テーマへのオーナーシップが生まれるのだ。

第二の学習は「自己発見」である。「転機イベント」を通して、自身の強みや長所や特性、持ち味、あるいは弱みや短所、課題を発見するのだ。「異質な他者との交流」がこの学習を誘発するケースが多い。異質な他者に自身の特徴を指摘される場合も少なくない。
エンジニアに限ることではなく雇用されて働いている日本人全体に当てはまることだが、この「自己発見」や「自己理解」の程度が低い傾向が顕著だと常日頃より感じている。そして、これはキャリア・オーナーシップの根幹だとも思っている。

第三の学習は「本質の発見」だ。自身が大切にしていきたい価値観やものの考え方に気づき、そうあろうと意識し、行動するようになるのだ。価値観の変容そのものである。エンジニア資産の中には、「専門へのこだわり」など価値観といってもいいものがあるが、そうしたエンジニア固有のものではなく、ここでの発見はもっと普遍的な価値観であることが多い。そういった、ある人から言わせれば当たり前かもしれないことを、しみじみと実感しながら自分のものにしていく。
この「転機からの学習」こそが、実は、CX資産の正体なのだ。日本のエンジニアは、「広げる」経験に潜んでいる「転機イベント」を見出し、「転機からの学習」という形でCX資産を手に入れるのだ。

別の観点から整理してみよう。CX資産は「問題意識の形成」「自己発見」「本質の発見」という側面を持つ。その側面は、人によって異なる。例えば、「社会を想う」というCX資産を、ある人は自身が携わっているテーマとの関連から「問題意識の形成」として手に入れるが、別の人はもっと普遍的な気づきである「本質の発見」として手に入れる。また、別の人は、自身が「社会への想い」を持っていた(けれどもそれに無自覚にいたり、そうした意識を持って仕事に向かっていなかった)ということを、「転機イベント」を通じて「自己発見」する。

図表1 CX資産獲得のプロセス
図表1 CX資産獲得のプロセス

4名のCX資産獲得プロセス・ケーススタディ

4名のインタビュイーのCX資産獲得プロセスを簡潔に紹介しよう。

新規事業組織の統括者であるEさんは、新製品開発でプロジェクトリーダーとして活躍、グローバルシェアトップの製品を世に送り出すほどであり、本人も事業を生み出し続けるキャリアを想定していたが、突然の研究開発への異動にショックを受ける(内面の危機)。追い出されたような気もして忸怩たる思いを持ちながら、未知なる領域で広く学んでいく中で、企業の抱えている課題は本質的にはみな同じであることに気づくと同時に自社の持っている技術が優れたものであることにも気づく(本質の発見)。同時に自分がやることは自分で決めたい、という志向にも気づく(自己発見)。そして新規事業創出を提案し、その立ち上げを果たす(CX資産「自分起点」の獲得)。また、事業と研究をつなぐ役割が自分には向いていると自覚するようにもなる(CX資産「脱技術・脱エンジニア」の獲得)。

社内ベンチャー組織に所属しているFさんは、入社時に配属された事業が2年後に売却されたという経験を持つ(環境の危機)。その契機に自身を見つめ直し、何でもいいから新しいことがしたいと人事部門に訴え出る(キャリア選択機会)。その頃から、スペシャリスト的なキャリアに違和感を抱いていて(内面の危機)、いろいろなことができるゼネラリストを志向。社内ベンチャー部署に移ってからは、様々な役割を担い、自身の得手不得手を自覚(自己発見)し、目指すキャリア像が明確になってきている(CX資産「ニューゼネラリスト」「自分起点」の獲得)。

一貫して基幹ユニット開発の仕事に携わっているGさん。多くの同期が海外赴任を希望するようなタイミングでも、あえて希望して基幹ユニット開発の新テーマに取り組み続けていた。あるとき技術部門全体の支援組織へと異動。そこで、これまで出会ったことのない社内外の様々な人々と交流(異質な他者との交流)。開発現場に戻っても、職場活性化コミュニティの一員としての役割を得て、インフォーマルな活動として様々な人と様々な仕事をする中で、人との関わり方、動かし方を学ぶ。そうした一連の経験を通して、自分の持っている経験や能力が、基幹ユニットの開発だけではなく、幅広く活かせるものだということに気づく(本質の発見)(CX資産「人を動かす」の獲得)。

設計部隊の統括マネジャーであるHさんは、「クラフトマンシップ」等のエンジニア資産を高いレベルで持ち、キャリア初期の経験を通してCX資産「ニューゼネラリスト」を獲得し、現在はソフトウェアを本拠地としている。そんなHさんは、ある時、同期のソフトウェアエンジニアの多くが一度に辞めていく、というショッキングな出来事(環境の危機)に遭遇する。ソフトウェアエンジニアが自律的に働くことができないという業務構造、組織構造があることは認識していたが、それを何とかしないと自分たちの組織には明るい未来が開けないと痛感(問題意識の形成)し、組織改革を自身のテーマとして掲げ、改革を進めている(CX資産「チームドリブン」の獲得)。

このように、「転機イベント」を通して、「転機からの学習」=CX資産を手に入れると、日本のエンジニアにはどのような変化が起きるのか。育まれたキャリア・オーナーシップは、日本のエンジニアにどのようなキャリア展望をもたらすのか。次回の記事では、こうした未来に向けての変化に着目する。キーワードは「キャリア・ディレクション」だ。