問題提起 多様な生き方・キャリアの選択はなぜ難しいのかオランダにおける多様な人生選択の鍵は、自己決定を尊重し、支える社会にある 中谷文美 氏

DSC06235_リサイズ.jpg中谷文美氏

岡山大学大学院社会文化科学研究科教授
英国・オックスフォード大学大学院博士課程修了。京都文教大学助手、岡山大学文学部専任講師などを経て、2008年より現職。専門分野は文化人類学、ジェンダー論。インドネシア・バリ島やオランダをフィールドに、主に女性労働に関する研究に取り組む。編著書に『オランダ流ワーク・ライフ・バランス』(2015)、『仕事の人類学』(2016)などがある。

オランダは多様な組み合わせの選択がスタンダード

多様な組み合わせの選択を支える発想

オランダ社会を考えるうえで、“選択”は重要なキーワードです。日本社会でも、ライフコースの選択というような言い方はあります。ただ日本の場合は、とくに女性に関して、大学を卒業したら一斉に働き始め、そのキャリアの過程のどこかで結婚をする。次に出産のタイミングがくる。そのような節目のたびに、このまま会社で働き続けるか、それとも退職するかといったライフコースの選択を迫られるという使い方がよくされます。つまり、いくつかのパターンが目の前に並んでいて、その中から選択をする、あるいはさせられるというイメージです。

他方で、オランダの場合ですと、個人のそのときどきの状況に合わせてパーツを組み合わせていくというやり方をしています。たとえば、仕事、家族、子どもとの時間、家族のケア、友人との関係構築、趣味などのパーツに対して、時間とエネルギーをどのように費やすのかを自分で決めているのです。
その際、大事なことは、パートナーと組み合わせのシミュレーションを熱心に行うことです。そして、不満や解決すべき課題があれば、職場を変えたり、家を引っ越してみたり、通勤時間を縮めてみたりするなど、問題の解消に向けて行動を起こします。その大前提となっているのは、自分の考えと異なるパターンに無理に合わせる必要はない、という社会全体の共通認識です。

たくさんのロールモデルが多様な組み合わせの選択を広げる

オランダでは、目の前の現実に一人でがんじがらめになっている人は多くないように見えます。たとえば、子育てと仕事の両立でいえば、ほかの人がどのように生活のパーツを組み合わせているのか、ということに関心が高く、頻繁に情報交換を行っています。また、オランダ国内に限らず、スウェーデン、ノルウェーなどの北欧やフランス、ドイツの人々がどのような組み合わせをしているのか、などほかの国の事例にも関心があります。そういう情報を仕入れつつ、常に、自分はどういう自分でありたいのか、どんな暮らし方をしたいのかを考えているのです。
このことからもわかるように、自分自身でオリジナルな選択パターンを考えるというよりは、周囲とのコミュニケーションや比較によって参照枠を持ち、常にその枠組みをアップデートしていったうえで、選択をしています。それぞれが置かれた状況の中で、最終的には自分自身がどうしたいのかという観点で選択を行っているため、ロールモデルは無数に存在しているのです。

社会保障制度が多様な組み合わせの選択を後押しする

いざ次のステップに踏み出そうというとき、その本人が大きな不利を被らないと思える社会システムが整備されていることも大事です。たとえば、オランダでは公営住宅が整備されており、仮にシングルマザーが短時間勤務を選択しても生活に困ることはありません。また、必要があれば失業手当、生活保護の給付などを積極的に受けます。
残念ながら、日本では負の印象がつきまといますが、オランダの人々はそれを受け取ることを当然の権利だと思っています。ステップとステップとの間で、立ち止まる時期があった場合には、みんな大手を振って失業手当や生活保護給付をもらっています。

多様な組み合わせの選択を可能にした背景

画一的な社会からの脱却

1960年代前半までのオランダ社会は、今の日本よりも画一的で、型にはめられた社会だったといえます。当時は、宗教的な価値観や宗派別の行動パターンが定められており、見るテレビ番組まで互いに監視しあうほどでした。
それは、性別役割分業にも影響を与えていました。その頃は、既婚女性の就業率は日本よりも低く、女性は家庭にいるべきだ、という社会通念が蔓延していたのです。しかし、教会勢力が次第に影響力を失い、社会全体の個人化、柔軟化、そして世俗化と呼ばれた変化が進みます。この変化は、一人ひとりが自分の希望に合わせた選択をすることを後押ししました。こういった流れを受けて、労働政策や経済政策も1980年代から大きく変わっていきました。

自ら選択できる教育の仕組み

その一つに、教育制度の変化があります。たとえば、学校のカリキュラムにおける飛び級の仕組み、学びたい科目を生徒が自ら決められるといったことです。一人ひとりの学びのスピードに合わせて、小学生のうちから1年留年することもあります。ですが、子どもは自分の頭を使って、将来の目標を目指して選択をしていくうちに、自分の人生を自分で決めているという自負を持つようになります。
よくオランダの子どもは世界一幸せだといわれますが、その幸せというのは、ただ単に経済的な豊かさや、物質的な豊かさによるものではなく、“自ら選択ができる”ことなのだと思います。

オランダから日本が学べること

お互いの助け合いが社会参画の起点に

人々を孤立させずに、社会に参加してもらうための施策は多くあります。労働参画のほか、NPO、ボランティア活動、趣味の集まりなど社会参加の機会は多岐にわたります。身近な社会生活における助け合いを超えて、開発途上国への援助や、環境保護活動といった活動に、自分がどのように参画できるのかということも当たり前のように語られます。周囲をサポートすることが当たり前と思う価値観は、人々のキャリアの選択肢の一つとして考えられています。

主張できる教育を

ふりかえって、日本では自分の意見を組み立て、主張することに慣れていない風潮がありますね。私の学生でも留学経験者のなかには、留学先で自分と同じ年代の大学生たちが、その国の政治あるいは国際政治について意見を持つばかりでなく、日常的に話題にしていることに驚いたという人が何人もいます。留学中は、周囲に引っ張られて政治の話をするようになったものの、日本に帰ってきたら同級生とそのような話は絶対にできないというのです。
自分の意見を表明し合い、建設的な意見交換を重ねるような経験が、初等教育から高等教育に至るまで、日本の教育では欠けていると思います。

こうでなくてもいいはずだ、という発想の転換を

どんな場所に置かれても、しんどいことがあったら、こうじゃなくてもいいかもしれないとまず思ってほしいのです。ハッピーじゃないことが生じたときに、特に自分の職場で自分以外に苦しんでいる人がいるとわかったときに、「しょうがないよね」ではなく、「こうでなくてもいいはずだ」「何かを変えることができるはずだ」というようにまず発想を転換してもらいたいです。これは他人だけでなく、自分自身に対してもそうできるよう心にとめてもらいたいことです。

若者が生きやすい社会システムを

これまで日本経済を支えてきた人たちによる、仕事の進め方や価値観の押し付けが、これから日本を支える若者へのストッパーになっているように思います。若者への古い価値観の押し付けはやめましょう。今の社会で意思決定できる立場にある大人たちは、自分の子ども世代にあたる若い人たちが生きやすいシステム構築について本気で考える必要があるように思います。このことは、誰もがもっと自分事として考えていくべきです。
既に待ったなしの状態です。オランダでいうと、国としても個人としても国際競争力をいかに確保していくのかという議論をしています。その一方で、日本は、いまだに世代間での課題の議論に時間を取られてしまっています。働き手が就業しやすい形で、各々の能力を伸ばし、そして社会貢献するといったシステムの再構築ができなければ、日本全体が沈没してしまうでしょう。

こういった課題を乗り越えた先に、男女を問わない多様な組み合わせの選択を支える社会があるのではないでしょうか。

(執筆)千野翔平