問題提起 多様な生き方・キャリアの選択はなぜ難しいのか揺らぐ企業社会、日本人は「キャリア孤立」に陥っている

キャリア形成は個人の努力の問題なのか?

ワークスタイルやライフスタイルの多様化が進み、働く人一人ひとりが自分らしいキャリアを実現できる環境が求められている。しかし、「第1回 希望するライフキャリアを選べない国、ニッポン」で指摘したように、今の日本では、個人がライフキャリアを希望通りに実現することは難しい。

原因ははたしてどこにあるのか。複合的な要因があるものの、あえて簡潔に述べるならば、「キャリア形成を個人の自助努力の問題に矮小化しすぎているから」である。
記事をお読みの方は、「個人のキャリア形成を個人の問題と考えて、何がおかしいのか」「他人が誰かのキャリアを代わりに形成することなどできないのに、いったい何をいっているのか」「企業人事は社員のキャリア形成を支援している」と思われたかもしれない。
しかし、個人のキャリア形成を、単なる個人の努力の問題ではなく、社会の構造問題ととらえなおすことで、個人が仕事と仕事以外の人生を組み合わせて、自分らしいキャリアを歩むことができるようになると、筆者らは考えている。

これまで日本は「企業社会」だった

日本社会ではこれまで、企業が実に多様な役割を果たしてきた。雇用の場を提供し、所得を保障し、能力を開発し、さらに個人の居場所にもなってきた。企業が様々な役割を担う一方、働く人は企業の指揮命令を受け入れることを求められ、仕事内容や勤務地について主体的に選択することは難しかった。この様子は「企業社会」といわれるほどだ。

図8.pngしかし、人材の流動化やワークスタイルの多様化により、もはや終身雇用は主流ではない。働き始めてから一度でも退職したことがある個人は70%に達する。最も雇用が安定している男性正社員に限っても、55%は退職経験がある(リクルートワークス研究所「全国就業実態パネル調査2017」)。
1つの企業で職業人生を終えるのであれば、企業の人事命令に受け身で応えていくというキャリア戦略も有効だったろう。実際いまだに、人事命令に不平をいわず異動する社員を、キャリア形成に対する要望や不満の多い社員よりも、評価する企業は多い。しかし、このような受け身のキャリア形成は、不確実な環境の下では通用しない。
さらに今後、企業社会はますます揺らいでいく。個人の寿命が延び、働く期間が長くなる一方で、事業やジョブの寿命は短くなっており、もはや企業が雇用やキャリア形成のすべての責任を負うことはできなくなっているからだ。

大切だが浸透していない「キャリア自立」

今後、個人にはキャリア形成の主体性が強く求められるが、自身の希望やニーズに合った働き方を叶えるキャリアの自立意識が、今の日本には根づいていない。
米国や中国、インドでは、「キャリアは自分が決める」という意識が7割程度あるにもかかわらず、日本は5割を切っている(図表1)。日本で自己決定意識が浸透していないのは、日本的雇用では異動や昇進の主導権を企業が持ち、社員は受動的にキャリアを形成せざるをえなかったからだ。一方、海外では、仕事内容やポジションを変えるには本人の同意が必要であり、個人も職位や給与額を上げるためには、社内外のポストに応募しなければならない。その分、キャリア形成の主体性が育ちやすい。
キャリア自立意識(※1)の低い個人が、転職や独立に備えたり、ましてや自分らしいワークライフバランスを叶えたりするのは容易ではない。

図表1 「キャリアは自分が決める 」の国際比較図表1.png
(出所)リクルートワークス研究所「五カ国マネジャー調査」を基に作成

国の失業・転職への支出が極めて少ない

さらに、雇用が安定し、キャリア形成が一つの企業に閉じていたため、日本は仕事探しや失業したときの生活を補助する公助が貧弱で、多様なキャリア選択を十分に支えることができていない。

キャリア形成に対する公的支援は、「積極的措置」と「消極的措置」の二つに分類できる。「積極的措置」とは次の仕事に就くための支援であり、ハローワークの職業紹介や公共職業訓練などで、「消極的措置」とは失業しても生活できる支えで、失業時の給付などである。日本は、再就職までを後押しする積極的措置の支援規模が小さく、消極的措置も受けにくい国なのである。
図表2が、各国の労働市場政策の公的支出がGDPに占める割合をまとめたものである。日本における公的支援のGDPに占める割合は、積極的措置が0.14%、消極的措置が0.16%、合計0.30%しかなく、17カ国中下から2番目である。唯一、日本より支出割合が低い米国は、格差が大きく、貧困率も高いため、理想的な社会とはいえないだろう。対して、欧州では支出割合が2%を超える国が散見され、個人のキャリア形成に対する公的な支援が日本よりもはるかに手厚い。特に支出割合が高い北欧諸国は、国民の幸福度が高いことでもよく知られている。

日本が公的支出をここまで抑制できたのは、失業率が低く、雇用や職業訓練の役割を企業が担ってきたからである。しかし、企業がこれまでのように、個人の雇用やキャリアを保障できなくなる中、従来の企業社会を前提とした公助の不足が露呈しはじめている。

図表2 GDPに占める労働市場政策への公的支出(2016年)

図表2.png

(注)「積極的措置」は、公共職業サービス、職業訓練、雇用インセンティブ、保護及び援助雇用とリハビリテーション、直接的雇用創出、創業インセンティブ、「消極的措置」は失業又は無業所得の補助・支援、早期退職からなる。
(出所)労働政策研究・研修機構「データブック国際労働比較2019」を基に作成

行き過ぎた「自己責任論」の歪み

 まとめると、日本は企業社会だったがゆえに、キャリアの自立意識が浸透しておらず、キャリアを支える公的支援も最低限しか整備されてこなかった。ところが、今や企業社会は崩れ、個人のキャリア形成は難しくなっている。その中で、キャリア形成に関しては、個人の自助努力が強く求められるようになった。
それを象徴するのが、「キャリア形成は自己責任」という言葉だろう。しかし、就職氷河期に正社員になれなかった学生は、売り手市場の年に就職した学生に比べ、能力や努力が足りなかったのだろうか。パートナーの転勤や長時間労働で子育てや介護のために仕事を辞め、キャリアが途切れたのは本人だけのせいだろうか。パワハラ上司の理不尽な評価により、昇進機会を奪われたのは、部下が至らなかったのだろうか。このように自己責任以外の要因でキャリアの袋小路に入り、抜け出せずにいる個人は少なくない。

キャリア形成は、周囲や環境の影響も大きく、個人の努力だけの問題ではない。ふりかえってみれば、仕事仲間や家族の支えがあったからこそ、今のキャリアがある人がほとんどのはずだ。
にもかかわらず、キャリア形成において自己責任を過度に求めると、構造的な問題を個人の問題に矮小化してしまう。当事者が置かれている環境や他者のサポートにもっと目を向ける必要がある。

キャリア孤立から、真のキャリア自立へ

 独立して働くときに重要なのは、仕事を頼んだり、チームを組んだりできる人とのつながりである。リクルートワークス研究所の分析でも、人とのつながりが豊かな個人ほど、キャリアに展望を持っていた(※2)。
「『自立』とは、依存しなくなることだと思われがちです。でも、そうではありません。『依存先を増やしていくこと』こそが、自立なのです。これは障害の有無にかかわらず、すべての人に通じる普遍的なことだと、私は思います」と、脳性麻痺による障害があり、医師でもある東京大学の熊谷晋一郎准教授はあるインタビューで述べている(※3)。
孤立からキャリア自立は生まれない。支え、支えられるから、人は自立できる。十人十色のキャリア選択は、本人の自助努力と、周囲の協力や社会の支援の両方があることで、はじめて可能になる。

自己責任を過剰に求める、見せかけのキャリア自立から、真のキャリア自立へ。
次回「第3回 真のキャリア自立には、共助・公助による支援が必要だ」では、個人がキャリア孤立から脱し、主体的にキャリアを叶えていくための社会のありようについて論じていく。

(執筆)中村天江

(※1)花田・宮地・大木(2003)は、「キャリア自律」とは、「めまぐるしく変化する環境のなかで、自らのキャリア構築と継続的学習に取り組む、生涯に渡るコミットメント」と定義する。
(※2) リクルートワークス研究所(2020)「マルチリレーション社会 ―多様なつながりを尊重し、関係性の質を重視する社会」
(※3)東京大学先端科学技術研究センター准教授 熊谷晋一郎 「自立とは『依存先を増やすこと』」全国大学生活協同組合連合会 https://www.univcoop.or.jp/parents/kyosai/parents_guide01.html