兆し発見 キャリアの共助の「今」を探るほしい未来をみんなで創る社会へ。そのためにコミュニティ・オーガナイジングを広げたい

2019年9月、世界中の若者たちが気候変動への対策を求めて立ち上がった「グローバル気候マーチ」。10代の環境活動家、グレタ・トゥーンベリさんがたった1人で始めた運動が端緒となり、数百万人の若者を動かしたこのイベントに、多くの人が驚かされました。
しかし世界で400万人が集まったと報じられる中、日本の参加者は5000人にとどまりました。日本で「普通の人たち」が仲間と共に行動するためには、どうすればいいのでしょうか。市民による社会変革活動「コミュニティ・オーガナイジング(CO)」を国内に広める活動に取り組む鎌田華乃子さんに聞きました。

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鎌田 華乃子氏
NPO法人「コミュニティ・オーガナイジング・ジャパン」(COJ)共同設立者。慶応義塾大学グローバルリサーチインスティテュート客員研究員。神奈川県横浜市生まれ。子どものころから社会・環境問題に関心があり、日本大学農学部農芸化学科で環境問題を学ぶ。民間企業に11年勤務した後、ハーバード大学ケネディスクールで市民活動を研究。ニューヨークでCOを実践する地域組織に参加した後帰国し、2014年1月にCOJを設立した。COJの活動のほか、性暴力防止の運動にも関わっている。

沈みつつある泥船に気付かないのは危険。身を守るためのネットワークづくりを

――日本ではどうして、市民活動がなかなか盛り上がらないのでしょう。

さまざまな要因があると思いますが、一つ大きいのは日本では戦後長い間、自分の居場所を自分で作るのではなく、用意された場に入り、守られて生きることが当たり前になっていました。新卒一括採用によって、学校から職場へと円滑に移動でき、勤め先は終身雇用で、労働者の人生を丸抱えで面倒を見てくれました。一生を同じ企業で過ごす以上、「おかしい」と思うことがあっても、意見することで支払うコストが大きすぎて、声を上げられません。
こうした環境にいるうちに、多くの人が「誰かが何とかしてくれる」と考えるようになり、社会の問題を自分で解決しなければいけない、という当事者意識を失ってしまったのです。これはとても危険なことだと、気付かなければいけません。

――なぜ危険なのでしょうか。

自分たちが乗っている泥船が沈み始めていても、それに気付けない、あるいは気付いても何もできないからです。本当の危機が起きた時、お金や権力を持つ人は自分の身を守って逃げてしまい、市民の身を守ってはくれません。だから私たちは日ごろから、社会に働きかけるためのネットワークを作り、有事の際に身を守るセーフティネットを用意しておく必要があるのです。就職氷河期などによって「守られる場」を失ったロストジェネレーション世代も、ネットワークを持つ人ほど社会で生き残りやすかった、という研究が発表されています。

――市民活動に消極的なのは、日本人の国民性で「仕方のない」ことなのでしょうか。

そんなことはありません。確かに「出る杭は打たれる」という文化はあるかもしれませんが、14~16世紀は「一揆の時代」と呼ばれ、領主の理不尽な要求に対して民衆が盛んに行動を起こしました。明治、大正期も労働者層からエリート層まで盛んに声を上げていました。戦後も、二度と戦争を起こしてはならないという反省から民主主義が歓迎され、一時は安保闘争などの運動も盛り上がりました。
しかし、安保闘争の主力世代は高度成長の波に乗って就職し、安定した人生を選びました。安定した人生を選びたい、当たり前の選択だと思います。また、日本で最もポピュラーな市民組織である町内会も、第二次世界大戦中に政府が国家総動員のために利用したことで政治との距離が近く、市民活動を促す装置としては機能していません。これらが要因となって、市民社会への機運が冷めてしまったのだと思います。

閉じた組織で活動せず、新しい参加者を大事に

――市民の社会参加に対する意識に、変化の兆しは見えますか。

社会変革を目指す署名サイト「Change.org」の署名数が増えるなど、若い世代を中心に、行動が必要だという考えは広がっていると思います。コロナ禍をきっかけに、政治家ら権力者だけに意思決定を委ねてはいけないという意識も高まりました。
問題は、「おかしい」と声を上げた人を支援し、実践へと導く団体やメンターが少ないことです。声を上げた人の受け皿となる非営利団体を、もっと増やさないといけません。
ただ日本にNPO法が施行されたのは1998年12月で、1900年代初頭から法的に法人化されたNPOが存在した米国に比べて歴史は浅いのです。まだ発展途上な分、伸びしろは大きいともいえます。

――労働組合が受け皿となることはできませんか。

労組は広く参加者を募るより、既存のメンバーで活動する意識が強いと感じます。例えば国内最大の労組である連合は正社員主体で、労働市場で最も弱い立場にいる非正規労働者を、近年努力はされていますが、まだあまり巻き込めていません。日本の企業別労働組合は、海外の職業別組合と比べ、業界内の横のネットワークも作りづらくなっています。御用組合化して前例踏襲の色彩が強まった組織も多く、組合員との対話を通じて職場の問題をあぶり出す機能が薄れてしまいました。

労組は自分たちの存在意義が失われつつあるという危機感を持つべきです。最近、危機意識をもつ労組がコミュニティ・オーガナイジングを真剣に学び、実践しています。労組だけではなく非営利団体も、既存のメンバーで閉じた活動をしてしまいがちですが、いずれも新しい参加者を大事にし、リーダーシップを発揮する人材を育て、より多くの仲間を作る意識を持ってほしいと思います。

市民活動は、大人が主体性を学ぶ場になる

――「コミュニティ・オーガナイジング(CO)」は、どのような活動ですか。

日本人の多くは、市民活動に参加するには突出した問題意識とスキル、そしてカリスマ的なリーダーシップが必要だと思いこみ、参加に後ろ向きになってしまいがちです。政治は「お上」が担い、平民ごときが盾突いてはいけないという意識が強いことも、心理的な壁になっているのでしょう。
こうした「普通の人」に、社会変革に参加してもらうための手法がCOです。身近な相手に、自分の物語を語るというスモールステップから、仲間を作り、変化を起こすまでの具体的なやり方を示しています。

――市民活動は、参加する側にも得られるものがあるのでしょうか。

興味を持った非営利団体に参加するだけでも、得られるものは多いのです。大人しく受け入れていた社会の「おかしさ」に気付き、違う振る舞いをしようと決めることそのものが成長です。自分の行動が社会を変える力になったと思えて、自己肯定感も高まります。
また市民活動は、大人が「主体的な生き方」を学べる場でもあります。私たちは公教育を通じて、「生き方を自ら選ぶ」ことをほとんど学んできませんでした。にもかかわらず、大人になってから急に「主体的なキャリア形成」を求められる。これは無理な話です。
市民活動においては自分の意思で活動し、達成感を得る経験を繰り返す中で、やりたいことを自覚し、行動できるようになります。その積み重ねの結果、リーダーシップを発揮できるようになるのです。

――市民活動でのリーダーシップは、企業でのリーダーシップとは違いますか。

非営利団体は企業のように賃金や評価といった見返りを提供できないので、社会運動のリーダーは、メンバーの自発的な意欲を引き出し行動してもらう必要があり、とても難しい役割です。しかしそれはメンバーだけではなく、リーダーも大きく成長できるチャンスでもあります。その半面、失敗しても給料や評価に響くわけではないので、低リスクでリーダーシップを学べるともいえます。
企業の社員が非営利団体へ出向すれば、民間とは違うリーダーシップを学べる上に、非営利団体のミッションを通じて人生や社会のあり方を見直す機会にもなり、一石二鳥ではないでしょうか。非営利団体側も、お金をかけず人材を得られて、双方にとってメリットが大きいと思います。

非営利団体もリーダー育成の意識を。受益者を活動の仲間に変える

――市民を受け入れる、非営利団体側の心構えは何でしょうか。

社会変革の担い手を育てるという意識です。米国には一参加者からチームリーダーへ、そしてプロジェクトリーダーへと、はしごを上るようにキャリアアップさせる団体もありますが、日本は、人材育成の重要性を認識していない非営利団体が多いと感じます。
非営利団体は受益者を助けることに注力しがちですが、支援を受けるばかりでは、人は強くはなれません。例えば、岩手県に「まんまるママいわて」という産前産後ケアの団体がありますが、ケアを受けたお母さんたちは、回復するとケアする側に回ります。受益者を仲間に変えることが、その人をエンパワーメントし、能力を引き出すことにつながるのです。

――COを日本に広げるためには、何が必要でしょうか。

メキシコはCOを公教育に導入していますが、日本でも教育に取り入れてほしいと思います。メキシコの生徒たちは、どんな課題に取り組むべきかを話し合って決め、実際に行動して社会を変えるという民主的なプロセスを経験します。自分が社会を変えられるという達成感を得た子どもたちは、成長してからも市民活動に参加しやすくなります。

――教育を変えるには、教える側の大人が変わる必要もあります。

人生経験を重ねると、若者よりも自分の方が正しいと思いがちですが、「My way or the highway(私の考えに従わないなら出ていけ)」という考えを捨て、若者の話を聴くことが大事。その人の視点から見た判断なので、ある意味よさ、正しさがあるはずです。若者も、年上の人に話を聴いてもらえた、認められたと感じ、力づけられると思います。議論の中から学びを得るCOの手法を身につけることは、こうした面でも生かされるでしょう。

聞き手:大嶋寧子
執筆:有馬知子