研究所員の鳥瞰虫瞰 Vol.2パラレルキャリアが人事に迫る 個人と企業とHRMの概念進化 藤井薫

上司・部下の関係を窮屈にする、個人(in+dividual)の呪能!?

上司「"自分"は将来何になりたいの?」
部下「"自分"は○○になりたいです!」

メンバーの中長期のキャリアに真摯に向き合う上長と、前向きな態度で希望を語るメンバー。職場でこんな会話が聞こえてきたら、その親密な関係に好感を抱く方も多いのではないだろうか。しかし、英訳すると不思議な会話だ。Boss : What do " you " want to be in the future? Sub. : " I " want to be a ○○○!
You are I &I am You!?。youにもIにも"自分"を使っている!胡蝶の夢(荘子)も、主客一体(利休)も知らない外国人にとって、一人称が二人称になる"自分"は、まるで忍者のように映る。かつて取材で伺った臨済宗僧侶で芥川賞作家の玄侑宗久さんには、「自分とは自然の分身」だと教えていただいた。"自分"は、そもそも変幻自在・融通無碍なのだ。

一方で、二人の会話の続きが、こんな風になら、どうお感じになるだろう?
部下「"個人"的なキャリアを考えて、社外の○○プロジェクトに参加し、スキルを磨こうと思います。本業シナジーもありますし、もちろん勤務時間外です」
上司「"個人"的に気持ちは分かるが、体は一つ。社内的に何かと問題があるから、一意専心(一社専心)で頑張れよ」。

"自分"が"個人"に変わった途端、上長の返答は、なんだか窮屈な気がしないだろうか。二人の関係も親密なものから、疎遠なものに変わってしまう。こんな会話が、世界中の職場で毎日、交わされていたとしたら、ヘルシーではないと思うのは筆者だけだろうか。

翻って、企業と個人の関係を窮屈にする "個人"とは、一体、何ものなのだろう?
そもそも"個人"は"individual "の訳。否定形のinと分けるのdivideからなる、in+dividual不可分の意だ。なるほど、これ以上分けられないのが"個人"。このモナドロジー的概念を持つ"個人"の呪能が、私たちを窮屈にさせるのではないだろうか。確かに "個"という字は、人偏に固いと書く……。

才能ある先駆的人材を異端審問するか、それとも?

"自分"が"個人"に変わった途端、窮屈になったのは、現代のビジネスパーソンだけではない。100年前、英国留学した夏目漱石も、近代個人主義に直面し、神経衰弱になった一人だ。懊悩の末、自らの概念工事をし、自己本位と則天去私を両立する生き方へ転回するまで、いたく消耗した。常識に反旗を翻し、時代の生け贄になった先駆者も数多い。400年前。ガリレオ・ガリレイは、地動説を支持したかどで裁判にかけられ軟禁された。異端誓絶を拒んでいれば、火刑の運命を辿ったかもしれない。

漱石が懊悩した個人主義と、ガリレオを断罪した一中心主義は、今日の社会にも重力のように影響を与えている。当然、個人と企業の関係を統べるHRMもその重力波から逃れられない。ワークライフバランスを叫びつつ、ライフワーク支援にコミットできない。ダイバーシティーを叫びつつ、キャリアの多様性は容認できない真因がここにある。

「"個人"は分けられない(in+dividual)」「"個人"は企業を中心に回っている」

企業が無意識に持つこの2つのドグマが、良識ある上司を異端審問官に、才能ある先駆的人材を異端者にしてしまうとしたら、人事は何をすべきか?
筆者は、そんな問題意識を持ちながら、『Works』133号「複業(パラレルワーク)に人事はどう向き合う?」の編集を進めた。副業ではなく複業。培った経験を活かして、会社以外の仕事やNPO活動をし、そこでの知見を本業に結びつける新しいキャリアの胎動だ。今回、多くの先駆者との対話から、プロフェッショナルの社外錬磨と企業の競争力が共鳴するHRM的要諦を探った。是非ご一読いただきたい。

取材を進める中で、想起していたのは、複業こそ、旧来のドグマを転回させる起爆剤になるのではないかということだ。

「"個人"は分けられる(dividual)」 「"個人"は企業を中心に回っていない」

企業も個人も、フラットにリンクし、知的・共感資本が素早くシェアされるネットワーク社会。そこにオーナーシップでいち早く適応する複業者は、忍者のように分身し、量子のように離れた場所にあっても相互に影響し合う存在だ。その時企業は、従業員を異端者として軟禁するのか?一人の起業家と捉えて、長期に紐帯するのか?HRM(Human Resource Management)からHRA(Human Relation Alliance)へ。今、変幻自在・融通無碍の"自分"から、人事の教義が審問されている。

藤井薫

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