全国就業実態パネル調査「日本の働き方を考える」2022最低賃金に効果はあるのか 小前和智

ここ数年、最低賃金の注目が増してきている。2007年以降、23%程度の最低賃金の引き上げが実施されてきた(注1)。こうした最低賃金の引き上げが本当に雇用者の賃金を上昇させているのだろうか。本コラムともう一つのコラムでは、全国就業実態パネル調査(JPSED)を用いて、最低賃金の重要性とその影響の大きさについて検証していく。

最低賃金は賃金水準が低く、使用者への交渉力が強くない労働者の保護を目的に設けられている。そこで本コラムでは、パートタイムやアルバイトといった非正規雇用であり、かつ時間給で働く人々を対象に分析する。

1には、地域別最低賃金額(注2)を基準(ゼロ)として、時間あたり賃金(本コラムでは、時間給を指す)の分布を描いた。緑色の線が201512月時点の分布を、オレンジ色の線が202112月時点の分布をそれぞれ描いている。縦に引かれた点線が最低賃金の水準を示しており、2015年に設定された全国加重平均798円から同じく2021年の930円まで、この間に平均で132円最低賃金は引き上げられた(点線が右に移動)。最低賃金を下回ることは例外的なケースを除いて認められないため、最低賃金近傍の水準で労働者を雇う企業は強制的に賃上げを要求される。その様子が図1に描かれている(注3)。201512月時点の緑色の分布が大きく右側へと移動していることがわかる。確かにこの間、最低賃金の引き上げは賃金の底上げに貢献した。

図1:時給で働く雇用者の時間当たり賃金分布(2015年と2021年の比較)図1 時給で働く雇用者の時間あたり賃金分布(2015年と2021年の比較)

出所:「全国就業実態パネル調査(JPSED)2016・2022」
注:各年のクロスセクションウエイトxaを使用
注:ここでいう時間あたり賃金とは時給を指す
対象:非正規雇用であり、かつ時給で働く人

1からは、もう一つ重要な点が観察できる。それは2015年よりも2021年のほうが分布の山が高く、尖っていることである。緑色の分布では右側のすそ野が比較的広かったのに対し、オレンジ色の分布ではすそ野が圧縮されている。これは、最低賃金に近い時間あたり賃金で働く人が増えたことを示している。

最低賃金に近い時間あたり賃金で働く人が多くなるということは、次に最低賃金が引き上げられた際、強制的に賃上げがなされる人が増えるということである。賃金が上がらないことが社会的な課題として挙げられる日本にとって、最低賃金の重要性は増してきている(注4)。

最低賃金の影響力が増してきたことはみえてきたが、同時に、最低賃金に頼らずとも賃金は上がらないのか疑問がわく。2010年代後半は人手不足が叫ばれた。企業がどうしても人を雇いたいのであれば、求人に際して賃金を高く設定するはずで、その場合、賃金はおのずと上がっていく。それにもかかわらず、「国民の広い範囲にわたって賃上げを実現するべく、最低賃金の引き上げが必要」との論調とともに注目を浴びる。それはなぜなのか、後半では背景として考えられるものの一つに焦点を絞ってを考えてみよう。

1には、本コラムの分析対象(非正規雇用であり、かつ時給で働く者)の就業理由の構成を示した。単数回答、複数回答ともに「自分の都合の良い時間に働きたいから」「家計の補助・生活費・学費等を得たいから」が多い。現在の仕事が最優先というわけではなく、ほかの制約の中で収入を得たいとの希望がくみとれる。それと密接に関連する選択肢として「通勤時間が短いから」がある。実はこの理由が重要な意味をもつ。

表1:時給で働く正社員以外の雇用者の現職就業理由(%)表1 時給で働く正社員以外の雇用者の現職就業理由(%)

出所:「全国就業実態パネル調査(JPSED)2016~2022」
注:各年のクロスセクションウエイトxaを使用
対象:非正規雇用であり、かつ時給で働く人

ほかの事情を優先しながら就業しようと考えた場合、往々にしてそれは時間的な制約として表れ、職場までの地理的な近さを重視する。すると、応募の選択肢はかなり限られ、そう感じるがゆえに「最低限このくらいなら働く」といったように期待する賃金も低くなる。

ある市場において単一の企業が求人(需要)を独占する状態を買い手独占(monopsony)という。買い手独占(独占に限らず、少数の企業による寡占も含む)が生じると、理論上、賃金は競争的な市場価格よりも低く、雇用量も少なくなることが知られている(注5)。買い手(労働需要者)として競争相手のいない(少ない)企業は、賃金が安くても働きたいと考える人を雇う。労働者は、柔軟な働き方ができるのであれば安い賃金で働いてもかまわない人のみが働き、しかも「最低限このくらいなら働く」というような安い水準で買いたたかれてしまう。こうした状況が成り立つ場合、最低賃金は、安価で雇われる人々の賃金を法的拘束力によって上昇させ、かつ必ずしも雇用は減少しない。

2010年代の人手不足期は、同時に、女性や高齢者の就業が増加した時期でもあった(リクルートワークス研究所、2021)。そうした就業拡大がパートタイムやアルバイトといった時間給で働く人々によって支えられてきたのであれば、買い手独占の理論が成り立つかもしれない(注6)。

最低賃金の重要性が増してきていることや、日本で最低賃金に注目が集まる背景についてみてきた。それでは実際に、最低賃金の引き上げが賃上げにどのくらいの効果をもつのか、雇用への影響はないのかについて、続くコラム「最低賃金は賃上げや雇用に影響するか」でみていきたい。

注1: この間の継続的な引き上げは、生活保護との乖離解消を目的とした引き上げ(20072012年)と、政労使の合意や政府方針(2013年~)をもとに実施されてきた。
注2: 最低賃金は2種類存在する。ニュース等で取り上げられることの多い最低賃金は地域別最低賃金である。ほかにも、都道府県別、産業別に設定された特定最低賃金も存在する。本コラムでは地域別最低賃金のみを取り扱う。
注3: なお、最低賃金よりも左側の分布の部分は、雇用者自身の住んでいる都道府県で設定された最低賃金よりも低い時間あたり賃金で働いていることを示している。実際に違反している場合もあるが、居住地から他県へ移動して就業している場合や最低賃金未満で就業することが特例で認められる場合があるため、これらのすべてが法律違反に該当するわけではない。
注4: 最低賃金の存在感が増してきていることを指摘する学術研究として神林(2017)がある。
注5: 買い手独占に関連する日本の研究として、Izumi et al.2020)などが挙げられる。
注6: 裏を返せば、女性や高齢者による新たな労働供給量がなくなれば、おのずと賃金が上がる可能性を示すものとして川口・原(2017)などがある。

参考文献

  • 川口大司・原ひろみ(2017)「人手不足と賃金停滞の並存は経済理論で説明できる」玄田有史 編『人手不足なのになぜ賃金が上がらないのか』慶應義塾大学出版会.
  • 神林龍(2017)「存在感を増す「第三者」」『正規の世界・非正規の世界―現代日本労働経済学の基本問題』慶應義塾大学出版会.
  • リクルートワークス研究所(2021)『Works Index 2020 ―日本の働き方、5年の進展』.
  • Izumi, A., Kodama, N., and Kwon, H. U., 2020, “Labor Market Concentration on Wage, Employment, and Exit of Plants: Empirical Evidence with Minimum Wage Hike ”, CPRC Discussion Paper Series , 77 E.

小前和智(研究員・アナリスト)
・本コラムの内容や意見は、全て執筆者の個人的見解であり、
所属する組織およびリクルートワークス研究所の見解を示すものではありません。