2014年度研究プロジェクト

徳重徹氏
徳重徹氏 テラモーターズ株式会社 代表取締役社長

東京、渋谷のセンター街にほど近い雑居ビル。その5階に、国内トップの電動バイクメーカー、テラモーターズの本社がある。といっても1フロアを占めているわけではなくごく一部、しかもレンタルオフィス。仕事場は四畳半サイズ、3人も入ればいっぱいだ。壁にセロテープで貼られた標語、「アップル、サムソンを超える企業になる」がいやでも目を引く。身なりに金はかけないが、志は滅法高い、まるで昔のサムライのようなベンチャー企業。率いる徳重徹氏はいかにつくられたのか。

君は夜逃げしたことがあるか
起業家の本を山ほど読んだ

徳重氏は読書家だ。狭いオフィスの壁も本棚で埋め尽くされている。なかでも徳重氏が好むのが明治から現在に至る起業家たちの本である。4人も入れば満員の、これまた小さな会議室に現れ、上背のある身体を折り畳むように座り、社会リーダーの話に水を向けると、勢いよく話し始めた。

経営者含め、日本のビジネスパーソンは昔の起業家のことを知らなすぎます。たとえば、新日鉄の会長だった永野重雄さん。名前だけは知っているという人がいるかもしれませんが、この人がいかにすごいかは知らないでしょう。この人には『君は夜逃げしたことがあるか』(にっかん書房)という著作があるんです。もともと富士製鉄の社長で八幡製鉄との合併を成功させて新日鉄をつくった人で、日本商工会議所会頭を長くつとめ、戦後を代表する経済人の一人です。そんな重鎮が資金繰りがうまくいかなくなって実際に夜逃げしたことがあり、こんな題名の本を著しているんです。すごくないですか?

日本の鉄鋼業は戦後、世界を席巻します。その基礎をつくったのがこの永野さんです。どういうことか。戦後、通産省のお役人は日本の産業を復興させるフロントランナーになるべきは繊維業だと考えました。何よりお金がないですから、設備投資が安くて済む、そういう軽工業から先に立ち上げようという考えは理にかなっています。

ところが永野さんはそうは考えませんでした。日本はなぜ戦争に負けたのか。重工業の発達が遅れていたからだ。戦前とは違う平和国家を目指すにしても、重工業は大切だ。なかでも、「鉄は国家なり」。自分たち鉄鋼業が強くなければ、日本の将来は安泰ではないと。でも鉄鋼業は設備産業ですから、お金が要る。それで、当時の首相吉田茂の力を借りて世界銀行の総裁を日本に招いて大盤振る舞いし、多額の融資を引き出すことに成功。さらに朝鮮戦争という“神風”も吹いて、日本の鉄鋼業の隆盛が実現したのです。

永野さんのすごいのはロジカルシンキングで行動しなかったことです。政府が「復興は繊維でいこう」と号令し、実際、鉄鋼業にまわるお金も設備も人材もないなか、「繊維ではなく、今の日本に最も必要なのは鉄鋼業だ」と肚決めし、そのためには何をすればいいかを真剣に考え、果断に行動した。彼をつき動かしていたのは一種のクレイジーさ、狂気ですね。自分の懐が暖まることや、出世や、自社の成長、そんなことばかりを考えるのではなく、日本という国の将来を深く考えていたのでしょう。

こうした狂気が今の日本のビジネスパーソンには欠けています。リーダーシップの原点は「いかにうまくやるか」を考えることではなくて、「何をやるべきか」を決めること。ところが本屋にいけば、リーダーシップのマニュアル本、効率をあげるための本、小手先のテクニックが書かれた本ばかり。そういう本より、「これが必要だから何としてもやるんだ」というリーダーシップの本質が学べる、昔の経営者の本をもっと読むべきです。

日本では偏差値の高い、頭のいい人ほど現実的です。でも、そういう人にはリーダーはつとまらない。新しいことを切り拓き、今はまだないものをつくるわけですから、できるできないは別にして、これこそが必要だ、という発想ができなくては、つとまらないのです。

この永野さんの他にも、浅野セメントの創業者で京浜工業地帯の生みの親でもある浅野総一郎、みずほ銀行の元となった安田銀行をつくった安田善次郎、戦後になればソニーの盛田昭夫、本田宗一郎など、私淑している昔の経営者は山ほどいます。

2015年03月06日