共鳴協奏 働くのこれからを議論する人手不足が深刻な飲食・宿泊や介護、人材の再配置で「現場」はどう変わるのか

企業の賃上げトレンドや、労働人口が減少する中で、生産性を高め経済成長に結び付ける「シナリオ」について、経済産業研究所で生産性などを研究する森川正之所長(一橋大学経済研究所特任教授)と、リクルートワークス研究所坂本貴志研究員・アナリストが賃金と生産性の「これから」について対談したコラムの第2回。人手不足が特に深刻なのは、宿泊、飲食といったサービス業や介護、建設などの領域。こうした業種で今後、どのような変化が起こりうるかについて話し合った。

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人材は高い価値を生む仕事へ移動 穴はデジタルツールが埋める

坂本:建設や宿泊、飲食などの業種では、すでに賃金が上がり始めています。こうした業種の賃金は今後も上がり続けるでしょうか。また人手不足によって、消費者などユーザーに提供されるモノやサービスの質に、変化は生じるのでしょうか。

02.png(出所)厚生労働省「毎月勤労統計調査」

森川:労働需給が特にタイトな業種では、人材はますます貴重になり、賃金もさらに上がるでしょう。貴重な人材をより高い価値を生むタスクへと移動させ、人が担っていた業務のうち優先順位の低いものは削ったり、自動化・機械化を進めたりするという、タスクの再配分も進むことになるでしょう。

坂本:優先順位の低い業務を削ることで、特にサービス業などでは質の低下も起こりうるのではないでしょうか。

森川:すでに多くの人が、セルフレジの操作で立ち往生したり、コールセンターに問い合わせても人工音声の応答が続いてイライラしたり、といった経験をしているのではないでしょうか。これらは人手不足でサービスの質が低下した結果、起きた現象と言えます。

私が最近、コロナ禍の前後でサービスの質がどう変化したかを調査したところ、金融機関を筆頭に病院や交通機関など多くの業種で「悪くなった」という回答が「良くなった」を上回りました。また20代、30代の若年層よりも40代以上の年齢層で、質の悪化を感じている人が多いこともわかりました。人の仕事をデジタルツールが代替するケースが増え、しかもそれらが必ずしも利用者の視点で作られていないため、中高年層が対応しきれず不満を募らせていることがうかがえます。

03.png(出所)「経済の構造変化と生活・消費に関するインターネット調査」(20239月)より森川氏作成

おもてなしは無駄でなく付加価値 ホワイトカラーと賃金逆転も?

坂本:日本は「おもてなし」に代表されるような質の高いサービスが、世界的にも高い評価を受けてきました。タスクの再配分によってこうしたサービスも、必要不可欠ではない仕事として削られることになるのでしょうか。

森川:そういった仕事は、いちがいに無駄とは言いきれません。消費者のニーズがあり、そうしたサービスに高い対価を支払ってもいいと考えている場合には、付加価値の高いタスクとなります。

例えばペットボトルの飲み物が欲しい時、量販店の方が安くてもコンビニで買う人はたくさんいます。コンビニの便利さと支払う額がマッチしているからです。料金が高くてもビジネスクラスを使う人がいるのも同じです。運転手不足でタクシーがなかなかつかまらない社会になったら、料金は何割か高いけれども呼べばすぐ来てくれるタクシーのニーズが高まるかもしれません。ただ、タクシー料金は行政の許認可が必要なので、現行制度では実現は難しいでしょう。

坂本:サービス業などの賃金が大きく伸びる一方、ホワイトカラーの職種は比較的、賃金の伸びが鈍くなっています。どのような理由があるとお考えでしょうか。

森川:需給がタイトな業種の特徴は、必ず人がいなければいけない「現場」があることです。一方、ホワイトカラーの仕事は、フレックスタイムやリモートワークの普及で働く時間と場所の柔軟化が進み、通勤不要で育児と両立しやすいなどの「アメニティ価値」が生じています。労働組合が、デフレ下の賃上げが難しい時期に処遇改善要求に力を入れたことも、アメニティ価値を高める効果をもたらす一因になったかもしれません。

アメニティ価値の高い職種には、人が集まりやすくなります。その場合、「補償賃金」というメカニズムで賃金自体には引き下げ圧力が生じます。一方、建設や物流、サービス、介護などは、社会に不可欠なインフラであるにもかかわらずアメニティ価値はほとんどなく、賃金を上げなければ人は集まりません。このため、今後は現場の職種とホワイトカラー事務職の賃金水準が逆転する可能性もないとは言えません。

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進まぬ介護の生産性向上 事業者の集約がカギに

坂本:「現場」のある業種の中で、医療・福祉の分野は人手不足がとりわけ深刻であるにもかかわらず、賃金の伸びはサービス業や建設業を大きく下回ります。また労働生産性の伸びも、全産業平均より低い水準にあります。この分野の賃金や生産性を高めるには、どうすればいいでしょうか。

森川:医療・介護の分野でも賃金を伸ばすには、イノベーションによって生産性を高める必要があります。ただ、医療に関しては、病気の治療法が新たに開発されるなど質の上昇が起こっているにもかかわらず、数値化が難しいため統計に反映されづらい面があり、実際の生産性は統計で見るよりも高まっている可能性があります。

一方、介護は確かに他の業種に比べて賃金水準も生産性も低いのが現状です。ただ、この業種は人から機械への代替ニーズが極めて高く、介護用のロボットスーツや入浴介助などさまざまな機械も開発されているので、イノベーションや資本への代替による生産性と賃金の「伸びしろ」は大きいと思います。

坂本:介護業界は人手不足が非常に深刻で、資本代替の必要性が高まっています。ロボットなど肉体労働をサポートする機械だけでなく、介護記録の音声入力装置やAIによるバイタルデータの自動記録、センサーやカメラによる見守り機能なども開発されています。しかし介護事業者に話を聞くと、こうした便利な機器が登場しているにもかかわらず、現場への導入がなかなか進まないそうです。資本代替が加速していかない理由について、どのように考えられていますか。

kyoumei02-2_02.jpg森川:医療・介護のセクターは総じて小規模事業者が多く、新技術への設備投資や、ツールを使いこなすノウハウの共有などが難しいのだと考えられます。飲食店や小売業は過去数十年の間にチェーン化が進み、それによって個性がなくなったという批判はある一方、生産性は確実に上がりました。介護についてもこうした業種と同様、事業者が多数の施設をチェーン展開するようなビジネスモデルに変わっていけば、「規模のメリット」が働くようになり、生産性を高める技術が広く活用されるようになると期待されます。

企業の新陳代謝を促進し、生産性高い職場への労働移動を促す

坂本:医療・介護は規制産業であり、政府が生産性向上につながるよう制度を設計する必要もあります。

森川:報酬制度や許認可の面で、大規模化を妨げず、統廃合や新陳代謝が円滑に進むよう、制度を整備するべきです。

政策面では医療・介護に限らず、中小企業政策や自営業の優遇政策なども、同じような課題を抱えています。例えば大企業が、資本金を1億円以下に減資して税負担を軽減する動きが広がっていますが、これも税制上、資本金の額によって法人事業税の税率が異なっていることが原因で、こうした仕組みが企業規模の拡大を妨げていることを示す研究があります。

坂本:森川先生は賃金が上がると、経営を効率化できず賃金も生産性も低いままの企業は市場からの退出を迫られ、その結果、全体としての生産性が高まると指摘されています。しかし日本では、長期的な倒産件数は減少傾向で、開廃業率も低調だと言われています。日本の商慣行や制度が新陳代謝を滞らせ、本来淘汰されるべき企業が生きながらえる事態になっている、とお考えでしょうか。

森川:今はかつてのように、金融機関が追い貸しなどを通じて「ゾンビ企業」を延命する、といったことは少なくなりました。欧米に比べて日本はゾンビ企業が多いのかと言われると、そこは検証が必要でしょう。ただコロナ禍で、企業救済策として打ち出された資金繰り支援や雇用調整助成金の給付が諸外国に比べて長期間行われたことは、市場から退出すべき企業を延命させた面があると考えています。

倒産は企業にとっては不幸なことですが、新陳代謝が促されることで、マクロ経済の生産性は高まります。労働力を大事に、効率的に使う必要性が高まる中、政策的にも生産性の低い企業の退出を円滑にし、生産性と賃金の高い職場への労働移動を促す方向に向かうべきでしょう。

前編 労働需給は短期的要因、長期的には生産性の向上で賃金が上がる「成長シナリオ」へ はこちら

執筆:有馬知子
撮影:平山諭