知的ランダムウォークのInsight本の買い方・並べ方

執筆:梅崎修(法政大学キャリアデザイン学部教授)

今回からは、「知的ランダムウォーク」の具体的な方法論を紹介していく。テーマは「本の買い方・並べ方」。知的な刺激を得るには、本を「読むため」だけに買ってはいけない。

読書のコスパ意識

私の研究室を訪ねてくるビジネスパーソンの方々からよく受ける質問に「ここにある本は、ぜんぶ読まれたのですか?」というものがある。たしかに、研究室に詰め込まれた本の物量にはかなりの圧迫感がある(写真①)。
私の場合、関心領域が“無駄”に広く、あれこれ手を出してしまうこと、歴史研究という史料と格闘する学問領域も手がけていることから、研究室も自宅も知らないうちに本だらけになってしまう。

写真① 研究室の書架写真①研究室の書架

さて、先ほどの質問であるが、「もちろん!読んでいない(読めるはずがない……)」とお答えしている。
そう言うと、相手はちょっと困った顔をされる。私は、この困惑は読書もコストパフォーマンスで考えているからだと思う。買った(=コスト)のだから、何か知識を獲得しなければもったいない(パフォーマンス)と考えているようだ。読んでいないという答えに「無駄なのでは……」と思っても、本人には言いにくいので、困ってしまうのであろう。
また、「先生の話は発見があって面白いです」と言われることもあるのだが、その後に「いろいろ知りたいので、先生のオススメの10冊を教えてください」と続くと、私はそれにも強いコスパ意識を感じてしまう。もっと無駄に読めばよいのに……と思ってしまうのである。
具体的な例を挙げて説明しよう。以下の図を見てほしい。研究者という仕事上、一般のビジネスパーソンの10倍の本を読んでいたとしても、私は100倍の本を買っているわけで、蔵書の中の「読んだ本率」は圧倒的に低く、さらにどんどん低くなる傾向がある。

図1 読んだ本と読んでいない本

図1_読んだ本と読んでいない本

本は集めるもの、眺めるもの

読まないのに買うのは無駄ではないかという(ある意味、常識的な)意見に対しては、本は「読むもの」ではなく「眺めるもの」という定義の転換を求めたい。まずは、本は展示すればよいのだ。大手書店の本棚や図書館の書架を眺めたときのことを思い出してほしい。多くの本を「塊」として眺めると、様々な発想が刺激されるという経験をした人は多いのではないか。
われわれが本を購入するとき、関心や知りたいことが必ずしも明確ではないことも多い。創造性とは、今の自分の知識・認識の境界を越えて未知と遭遇する予測不可能な事件なのだ。つまり、何か役に立ちそうだというコスパ意識に基づく予測は、「今の自分」が「未来の自分」を封じ込めているようなものである。
例えばアイデア創出の天才、放送作家、作詞家、そしておニャン子クラブやAKB48の生みの親でもある秋元康さんは、『企画脳』(PHP文庫)という本の中で、書店に行ったら、いつも自分が立ち寄る書棚から五メートル離れた場所にあるものを一冊買うと述べている。
なぜ、そんなことをするのか。秋元氏は、「人間は無意識のうちに自分のテリトリーのなかで行動しようとしている」と説明する。だから5メール離れた場所で偶然出合った本から「ぜんぜん違う発想」が生まれるのである。要するに、秋元さんは、「縛り」を設けることで「未知と遭遇」する偶然を獲得しているのだ。

「未知」と認識できぬもの

先ほどの図1をベースに「読んでいない」について考えてみよう。われわれは、読んでいない本を手元に集めることによって「未知」を認識できる。図2に示したように、未知の外側には「認識できないもの」があるのだが、これはまったく認識できないものである。だからこそ、既知と認識できないものの間に「未知」という領域を作り出せるかどうか、その価値がわかるかどうかが、創造性の有無を分けるのだ。

図2 「未知」を作り出す

図2「未知」を作り出す

ぼくは、ぼくの本屋さん

以下の写真は、私が集めている銭湯の本たちである。要するに、私は銭湯が趣味なのであるが、これは集めて並べた結果である(写真②)。銭湯史、銭湯の文化、詩人が書いた銭湯エッセイ、銭湯を舞台にした映画、公衆衛生史、入浴の医学などを眺めると新しい研究テーマがどんどん生まれる。
田舎から都会への上京の近現代史、ご近所づきあいや世代間交流のまちづくり、保健・医療論、大衆文化、入浴の国際比較などの刺激がこの本を並べた「後」に頭に浮かんでくるのだ。
このような知的刺激を考えると、本の並べ方は、図書館の分類基準ではなく、書店のやり方の方がよい。お客さんの購買意欲を刺激するように本棚に並べるべきなのだ。

写真② 銭湯の展示(自宅)写真②銭湯の展示(自宅)

つまり、書店の店長は、私であり、そのお客さんは私である。

何も趣味だけではない。私は、書店員として自宅のあらゆるところに特集展示を行っている。例えば、写真③は高齢化である。この特集展示をときどき変えたりするのが、大好きなのだ。
そして、(お客として)「あれ、この本はいいな」と思って(自分で買ったことを忘れて)手に取ることがあるし、読むこともある。実に、刺激的で楽しい経験だ。

やはり、本は眺めるのが一番である。

写真③ 高齢化の展示(自宅)写真③高齢化の展示(自宅)