待遇・人事改革で接客の質を高め、客単価向上に成功
~伊勢志摩賢島温泉 汀渚 ばさら邸 経営者インタビュー

「伊勢志摩賢島温泉 汀渚 ばさら邸」(以下「ばさら邸」)は、三重県志摩市にある旅館だ。部屋数は全18室。自社源泉である伊勢志摩賢島温泉を使い、全室に露天風呂を完備している。また、伊勢志摩の旬の食材を厳選した「ばさら創作膳」などの料理も評判が高い。週末はもちろん、平日でもリピーター客を中心に多くの人が訪れ、客室稼働率は9割を超える。
ばさら邸では、二代目社長である三橋弘喜(みつはし・ひろき)氏が代表取締役に就任した1997年以降、さまざまな改革を行ってきた。改革の狙いとその効果について、三橋氏にインタビューを行った。

低賃金の旧弊を打ち破ることで採用力を強化

――代表取締役に就任した頃は、バブル崩壊から数年たった時期ですね?

三橋「はい。景気は冷え込んでおり、国内旅行者数も頭打ちの状況でした。しかし、私自身は『悪いことばかりではない』と感じていたのです。金利が下がって資金調達は楽になりましたし、施設の建設費なども安くなったため、新たな投資を行うには絶好の環境だったと思います」

――では当時は、宿泊業に対してそれほど危機感はなかったのですか?

三橋「いいえ、むしろ強い危機感を持っていました。背景にあったのは、『人材が育たない』と『宿泊・観光業者の間にネットワークがまったくない』の2点でした」

――では、人材についてまずお伺いします。なぜ、宿泊業では人が育ちにくいのでしょう?

三橋「まずは、賃金の低さが問題ですね。私が代表取締役になった当時、当社従業員の給与は、三重県の宿泊業としては平均的な額でした。しかし、宿泊業全般の給与水準が他業界より低いため、良い人材がなかなか集めにくかったのです。さらに、せっかく育ったスタッフも、給与に不満を持って辞めてしまうケースが少なからずありました」

――そうした状況にメスを入れ始めたのはいつ頃ですか?

三橋「たしか、2000年代初めだったと思います。宿泊業にとって最大の付加価値を生むのは、接客や料理といった『お客さまと直接触れ合う部分』。ですから、接客スタッフや調理スタッフの人材の質が、顧客満足度を大きく左右するのです。そこで当社では、地元だけでなく、県外からのIターン希望者にもターゲットを広げ、採用を強化しました。

そのときにライバルとなるのが、東京や大阪の企業です。彼らに打ち勝って人材を獲得するためには、給与額の引き上げが不可欠でした。その結果、現在のばさら邸では周辺の宿泊業の水準より3割程度高い給与額を実現しています」

――給与額を上げた効果は、すぐに出ましたか?

三橋「いいえ。『良い人材が集まるようになったな』と実感できるまで、かなりの年月がかかりました。ひょっとすると、10年くらいのタイムラグがあったかもしれません。ただ、方向性は間違っていないという確信があったため、人件費が拡大して苦しかった時期もありましたが耐えられました。

以前のばさら邸では、平均客単価は3万円程度でした。ところが、接客の質を大幅に高めたこと、10年間に13回の施設リニューアルを行って魅力アップに努めたこと、食事のレベルを大きく引き上げたことなどが効果を発揮し、現在では4万5000円ほどになっています。給与額引き上げなどの投資を行ったことで、客単価アップ、業績向上という成果が得られたわけです」

自由に使える時間の3割を人材育成に割く

――それでは、ほかの旅館でも給与額を引き上げれば、良い人材が育てられますか?

三橋「いや、人はそんなに単純ではありません。それだけでやる気になったりはしないのです。重要なのは、従業員にやりがいや希望を感じさせること。『この仕事は楽しい』『ここで働くと成長できる』と実感することで、人は前に進めるのではないでしょうか。

当社では2016年6月、研修施設『モアレキャンパス』をオープンしました。ここでは外部から講師を招いて講座を展開。例えば、美しい所作、正しい接遇のやり方、英会話などが学べるため、例えば、外国人エグゼクティブのお客さまがいらっしゃっても、十分対応できる力を身につけられます。また、従業員同士で教え、学び合う勉強会や、さまざまなレクリエーションイベントも実施しています」

――研修施設を作り、維持するためには、かなりのコストがかかるはずです。例えば、社外の研修施設を借りるなど、もっと安く済ませる方法もあったと思うのですが、あえて「モアレキャンパス」を設立したのはなぜですか?

三橋「トレーニングをするときに、場所の占める重要性はとても大きいと思ったのです。

ばさら邸も含めた日本旅館では、自然との調和が大切です。例えば露天風呂などは、周囲の自然を満喫しながら楽しめる仕掛けになっています。そうした旅館で働くスタッフを育てるためには、ビルの一角にある研修施設では学習効果が落ちると考えました。そこでモアレキャンパスは、緑豊かな小高い丘の上に建設。小鳥のさえずりや雲の移り変わりなどを感じながら、接客スキルなどを学べるようにしています」

――社内勉強会には、どんな狙いや効果があるのですか?

三橋「ばさら邸のスタッフには、英語が堪能な人もいれば、接客スキルが高い人もいます。そうした人に講師役を任せることで、自信や自覚を持たせ、成長を促すことができるのです。一方、勉強会で教わる側にも大きな効果を及ぼします。同僚から教わることで、『あの人に負けたくない』というライバル心を刺激することができるのです。互いに競い合う環境を与え、成長するチャンスを従業員に与えることは、経営者の大きな役割でしょう。

現在のところ、勉強会などは社内のメンバーが中心です。しかし、いずれはほかの宿泊業からも参加者を募りたい。モアレキャンパスを、単に接客スキルを磨くだけでなく、宿泊業の未来について議論できるような場に育て上げたいと思っています」

――教育を重視しているのですね。

三橋「そうですね。宿泊業にとって、人材は何より大切なことですから。おそらく、私が自由に使える時間の3割くらいは、教育に費やしていると思います」

2017年06月20日