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研究レポート

連載第6回のコラムで述べたとおり、開成や灘をはじめとする超進学校の大きな特徴は、生徒の自主性を重んじることにある。そして、この特徴を高く評価する卒業生は多い。しかしながら自主性を尊重する環境では、個性は伸びても、よほどの仕掛けが用意されない限り、社会を引っ張っていこうとする意欲は育たないのだろう。振り返れば、リーダー素質の1つ「他人には描けないような大きなビジョンやプランを描きたいと思う」という傾向も、中高時代に育っていなかった(連載第3回コラム参照)。社会のありようにまで思考を巡らせることができるスケールの大きい人材をどのように育てていくのか――超進学校への示唆を抽出し直すとすれば、こうした課題が提示されるのかもしれない。開成と灘、それぞれの卒業生が、自由記述で次のように回答していたのも印象的だ。

これまでの開成には、ともすると、社会でうまく階段をのぼる「こぢんまりとしたエリート」を生む傾向が少しあったように思う。しかし、ここまで社会全体が委縮してしまうと、開成卒業生のような人間が、各界でリーダーになっていかなければならないのではないかと思うことがある。「ノーブレス・オブリュージュ」を体現する人物、良い意味でのエリート意識と責任感を持った人物を育てる学校であるべき時代になったのではないかと思う。

(開成卒業生,40代,サービス業勤務)

灘校は、もともと能力の高い子弟を集めているのだから、卒業後、社会に貢献し、社会をリードしていく人材を育成していく責務があると思う。優れた能力を自らのためだけに使うのではなく、社会のために使わなければならない。灘校は、こうした考え方を後輩たちに伝授する学校であって欲しいと切に思う。現在の灘校は、偏差値の高い大学に合格することのみを目標とし、自らの優れた能力は社会のために使うべきだ、という意識の希薄な人材を作っているような気がしてならない。灘校の教育方針が、将来の日本社会のあり方を変えるのだ、というくらいの自負をもって教育にあたって欲しい。灘校にはそれくらいの力と責任がある。

(灘卒業生,50代,サービス業勤務)

2015年05月19日