大人が再び学んだら白倉淳一氏(会社員 → フリーランス通訳者)

毎日を存分に生きる手応えと喜びを得た

転身のプロセス

1984年 22歳~
大学卒業後、空調設備の設計・施工会社に入社。会計、労務管理、人事を担当。1987年から約3年間、香港に赴任し、英語一色の生活を経験したことで英語が身近に。帰国後も独力で学習を続ける。

2012年 50歳~
通訳者・翻訳者養成学校であるインタースクール東京校に入学。半年後に会社を退職。3年間のうちの最後の1年は、当時新設された「会議通訳プロ速成科」の選抜メンバーとして学ぶ。同年、初仕事を得てプロとしての一歩を踏み出す。

2018年現在 56歳
国際会議での同時通訳も経験。日本会議通訳者協会の理事(会計担当)や、インタースクールの講師も務める。また、地元である横浜市では、ボランティアとして病院や学校関係でも通訳を行うなど、その活動は大きな広がりを見せている。

大手の空調設備会社に新卒入社し、会計や労務管理、人事に長く携わってきた白倉淳一氏が、「通訳者になろう」と思い立ったのは50歳を過ぎた頃だった。
「お世話になった方々が、50代、60代で相次いで病死されましてね。しかもその間には、あの東日本大震災があった。人間、明日のことはわからないとつくづく思い、『今日を存分に生きているか』を自問するようになったのです。いい職場環境ではありましたが、65歳に延びた定年は、区切りとして遠いなと感じていましたし、長くなってきた会社勤めに行き詰まり感もあって、正直、燃焼しきれていませんでした」
存分に生きている―そう実感できる道を考え求めたとき、浮かんだのは「英語」だった。学生時代から得意科目だったのに加え、会社員になってほどなく、会計担当として香港に3年間赴任し、英語漬けの生活を送ったことも素地になっている。異なる言語間におけるコミュニケーションの難しさも面白さも体感した白倉氏は、帰国後もずっとプライベートで英語学習を続けていた。
「基本は独学ですが、昔懐かしのパソコン通信を使って仲間と勉強したり......傍らには常に英語がありました。呼吸するがごとく自然に、かつ、しぶとく続けてきた趣味です。とはいえ、それを生業にするには覚悟が必要で、賭けでもありましたが、人より少しは得意な英語を生かせば競争で優位に立てるかもしれないと判断し、心を決めました」
いずれプロとして活動するには、仕事を紹介してくれるエージェントを併設する通訳学校に通うのが早道だと考え、白倉氏はインタースクール東京校に入学。定めた目標は、「2年半以内に通訳者としての名刺を持って世に出る」。

リスク覚悟でプロの道へ

レベルの高いコースでスタートを切ったが、それでもプロとして独り立ちできるのは受講生20~30人に1人という厳しさ。仕事との両立は難しいと感じた白倉氏は、入学から半年後に28年間勤めた会社を退職し、学習に専念することにした。「我ながらよく思い切ったと(笑)。でも、リスクを取らなければ新しいものは手に入りません。収入面に不安はありましたが、2年半以内でダメなら見切りをつけると決めて。そして一時的に収入が落ち込んでも、70歳まで現役で働ければ結果トントンになるだろうと考えたのです」
トップクラスの成績を維持し続けた白倉氏は、2年後に通訳者としての名刺を手にした。初の本格的な仕事は、エージェントから派遣されて担当したプラント系の技術通訳である。事務畑とはいえ、前職で得ていた建築設備の知識が役に立ち、"はまり仕事"になったという。
「通訳現場は地方で、しかも真夏の屋外。さらに2週間拘束という厳しい条件があり、ほかに通訳者の手配がつかなかったのでしょう、私にお鉢が回ってきました。でも、馴染みのある業界だったから、顧客には『この通訳者は内容もよくわかっている』と安心していただけた。これは非常に稀なケースで、ひとえに運がよかったのです。私自身もこの仕事で手応えを得ることができました」
実績が浅いうちは開店休業状態という時期もあったが、白倉氏は焦らず一つひとつの仕事を丁寧に重ねてきた。初仕事からの4年間でこなした現場は600件を超え、カバーする分野もエキルギー、公共インフラ、IT、政府系など幅広い。長い会社勤めの経験が生きており、「専門だった会計や人事はどの組織にも存在しますし、企業活動全般に対する理解は、さまざまな経験を積んできたおじさんの強みでしょうか(笑)」。

多面的な楽しさを実感する

もとより好奇心旺盛な白倉氏は、「何でも見聞きしたい」とあらゆる分野の仕事にチャレンジしている。翻訳ではなく、通訳専業を選んだのはリアルな現場を好むからだ。
「人と人が話をするところには、どこにでも行ける可能性があるわけです。実際、原子力発電所のなか、築地の魚市場、芋畑とか......もう何でもアリであちこちに出向いています。知識欲が満たされるというか、現場は本当に面白いんですよ」
もっとも、その都度必要になる事前勉強は大変である。山のような資料を読み込むことも茶飯事だ。それでも準備不足ではないか、現場で話をする人の訛りが強かったらどう対応するかなど、緊張感は常に伴う。「仕事の支度をしてカバンを持つと、心身がシャキッとするんです。それが心地よくて。何より『あなたが来ないと話が始まらない』と言ってもらえるこの仕事には、たまらない喜びがあります。そして、誰の指図も受けずに仕事を決めて"自分を売る"という自由。持てる技能で稼ぐという手応え。フリーランスになって初めて知ったことですが、こんなに多面的な楽しさを得られるとは、思っていませんでした」
白倉氏は今、日々ベストを尽くす確かな充足感を味わっている。

Text=内田丘子(TANK)Photo=刑部友康