スポーツとビジネスを語ろうマーケターなどの経験を生かしクラブの収益増を目指す

栃木サッカークラブ(栃木SC) 取締役マーケティング戦略部長 江藤美帆氏

ビジネス界からスポーツ界に転身し、活躍している人々を取り上げる本連載。今回は、マーケターや起業家、インフルエンサーとして活躍し、2018 年にJリーグ栃木サッカークラブの取締役マーケティング戦略部長に就任した江藤美帆氏に話を聞いた。サッカー界に転じたきっかけ、スポーツ界で生きている過去のビジネス経験、そして、江藤氏がサッカークラブで実現したいこととはなんだろうか。
聞き手=佐藤邦彦(本誌編集長)


―まずは、栃木サッカークラブ(以下「栃木SC」)について教えてください。

栃木SCは、栃木県宇都宮市をホームタウンとするサッカークラブです。2009年からJリーグに参戦し、現在はJ2リーグに所属しています。

―江藤さんは、マーケターや起業家、SNSのインフルエンサーとして活躍されていました。別世界であるサッカークラブに転職したきっかけはなんだったのでしょう。

私は昔からジェフユナイテッド市原・千葉の熱心なサポーターだったのですが、以前はサッカーを仕事にするなど考えてもみませんでした。
意識が変わったのは2018年です。代表を務めていた会社を退任することになって次の進路を模索していたとき、ネットで偶然、FC今治(現J3)の求人を見つけました。軽い気持ちで応募して最終選考まで残ったのですが、その際、サッカー界ではスタートアップやプロジェクトマネジメントの経験、メディア運営スキルが求められていると知り、私の経験が生かせると気づいたのです。その後、「Jリーグ」というキーワードで求人を検索し、栃木SCの募集を見つけて応募しました。
実は、栃木SCから内定を得たのと同時期に、より待遇がよく、自宅からも近い企業から誘われていました。しかし夫は、「サッカークラブで働けるなんてめったにないチャンス。頑張ってみたら」と背中を押してくれたのです。

来場者のデータを取りマーケティング施策に生かす

―江藤さんが入った2018年、栃木SCはどういう状況でしたか。

Jリーグでは、ファンに固有のIDを付与して行動履歴をたどれる共通基盤「JリーグID」を設けています。ところが栃木SCでは、2015年にJ3に降格した際、経費削減のためJリーグIDの利用を中止していました。そのため、当時は来場者のデータすら取れない状況でした。

―ということは、客層がつかめないままでマーケティング施策を考えなくてはならなかったのですね。

そうです。最初の1年あまりは来場者の男女比や年齢層をおおざっぱに見積もり、推測で策を立てていました。2019年からJリーグIDを再導入したのですが、その後もデータの収集は不十分でした。

―それはなぜですか。

JリーグIDを使えばスマートフォンでチケットが取れますが、栃木SCはファンの年齢層が高くてスマホ発券よりコンビニ発券を選ぶ人のほうが多く、JリーグIDによるデータ収集が完全にはできなかったからです。ところが、コロナ対応でどの席に誰がいるのか管理する必要性が高まったため、9割以上の来場者にJリーグIDを使ってもらえるようになりました。コロナ禍がきっかけではありましたが、マーケターにとって重要なデータが収集でき、施策に生かせるようになったのです。

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ファンの開拓と関係強化にSNSを積極活用

―栃木SCはSNSでの情報発信に注力していますね。

新規顧客層にアピールし、ファンになってもらうのが狙いです。
栃木SCはほかのJリーグクラブに比べ、20代のファンが多くありません。しかし、日本人初のNBAプレーヤーで人気もある田臥勇太選手が在籍し、同じく宇都宮をホームタウンとするBリーグ・宇都宮ブレックスの試合には、多くの若年層ファンが集まっています。彼らをスタジアムに呼び寄せれば、きっと、クラブを何十年も愛してくれるファンになってもらえる。そう考え、若い人にアプローチしやすいSNSに力を入れようと決めました。

―SNSでの具体的な施策について教えてください。

各SNSの特性に合わせ、マーケティング施策を立てています。たとえばTikTok では、人気音楽グループBTSのダンスを選手に踊ってもらったり、公式アカウントのコメント欄で応募してくれた人にチケットをプレゼントするキャンペーンを実施したりしたことがあります。
TikTok はほかのSNSと異なり、非フォロワーにも投稿を見てもらえる可能性が十分あります。極端に言えば、フォロワーがゼロでも100万回再生の可能性があるメディアなのです。また、視聴者層も若いですね。
TikTok によるチケットプレゼントキャンペーンでは、栃木SCの試合を一度も観たことのない10代の若者にたくさん来場してもらうことができました。彼らが栃木SCに興味を持ってくれれば、新たなファン層の開拓につながるはずです。

―栃木SCでは、公式アカウントだけでなく選手も、SNSで積極的に情報発信しています。彼らに対し、どんな支援をしていますか。

心がけているのは、情報発信しやすい空気をつくることです。私自身がSNSでひっきりなしに情報発信していますから、選手のSNSに対する心理的ハードルは低くなっていると思います。また、SNSの発言が元で炎上し、クラブに迷惑をかけることを恐れる選手には「倫理に反する内容でなければ、萎縮などせずどんどん投稿していい」とメッセージを出すことで、のびのびと発信できるようにしています。

―選手たちに、SNSの使い方を教える機会はありますか。

SNSについての講習会を定期的に開いています。そこでは、選手が情報発信することの大切さや、ファンに対して公平に振る舞うなどの注意点、スポンサー企業が喜ぶ投稿などについて説明します。
たとえば、2020年はコロナ禍でスポンサー名の露出が減り、それを補うためにTwitterの公式アカウントなどでスポンサーの宣伝をしたのですが、それを選手たちがリツイートするなど協力してくれました。また、ある選手は自発的に、「1 人スポンサーパーティ」と題してスポンサー企業の話題を自分のTwitterアカウントで投稿してくれたのです。
選手のSNSは、たくさんの地元ファンがフォローしています。そのため、ローカルマーケティングの面では強い影響力を発揮できるのです。また、選手の人柄や思いをファンに届けることもでき、選手とファン、スポンサーとのエンゲージメント強化にとても役立ちます。

―SNSの特徴に合わせてマーケティングの施策を変える。また、選手が情報発信しやすいように具体的な支援策を授けるのは、マーケターで、かつインフルエンサーとして実績のある江藤さんならではですね。

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サッカーの枠にとらわれず新事業を手がけて収益を得る

―現在の江藤さんにとって、最も重要なミッションはなんですか。

チームの強化資金を増やすことです。最終戦でJ2残留が決まるほど成績が低迷した2019年シーズンは、どんな施策を打っても来場者数は増えませんでした。チームが弱いと、マーケティングや営業面でどんなに工夫しても無力だと痛感しましたね。そこで、チームを強化するお金を稼ぐため、サッカーを軸にしたさまざまな新事業を展開したいです。

―現時点で、どんな事業を考えていますか。

たとえば、スポーツ界向けITシステムの外販を模索中です。アナログなやり方で仕事をしているサッカークラブはいまだに多く、業界ではDXの推進が求められています。しかし、あり合わせのSaaSはかゆいところに手が届かず、スポーツの現場では使いづらい面があるので、事業化の可能性は大きいと思います。

―江藤さんが持つスポーツ界の知識とITプロダクトの開発経験を生かせば、ほかのクラブにも役立つシステムができそうです。クラブが収益を上げるには、来場者数やグッズの販売数を増やす以外にも多様な道が考えられるのですね。

そうです。多くの人がスポーツに関して「不便だなあ」と感じていることを見つけ、それを解消するビジネスを生み出す。それにより、クラブの収益向上と、スポーツ市場拡大の双方を目指したいです。
また、今後のクラブチームの運営においては、副業が1つの焦点になると思います。
チームが強くないとお客さまは集まりませんから、多くのクラブは、スタッフの育成や待遇改善よりチーム強化を優先します。そのため、高度な専門能力を持つ人材をクラブが自前で育てるのはかなり難しいことなのです。しかし世の中には、ビジネス界で培ったスキルや経験を生かし、好きなスポーツに関わりたいと考えている方がたくさんいます。栃木SCでも、グッズのデザインなどを、ほかに本業を持つ人に手がけていただいています。異業界の専門人材に副業という関わり方で参加してもらえれば、スポーツ界はさらに盛り上がるのではないでしょうか。

After Interview

顧客は何を求めているのか。常に顧客が困っていることにアンテナを立て、課題を見つけたら解決せずにはいられない。江藤氏から感じたのは生粋のマーケターとしての信念だ。マーケットのニーズをつかんだウェブメディアの立ち上げ、禁煙セラピーの普及事業、スマホで写真を売買できるアプリの開発など、これまでの経歴をみるとまったく異なる仕事に取り組んできたように見える。しかしながら、江藤氏のなかでは目の前の人々が感じている不便を解消してきたという点において一貫している。それはビジネスの世界からスポーツの世界に転身しても変わることはない。ファンは何を求めているのか、スポンサーは何を求めているのか、選手は何を求めているのか、スタッフは何を求めているのか。サッカークラブの取締役である江藤氏の前に立ちはだかる壁は高くなる一方だが、生粋のマーケターとして課題を1つずつクリアすることでサッカークラブ運営の新しい形を作り上げてくれそうだ。

江藤美帆氏
栃木サッカークラブ(栃木SC) 取締役マーケティング戦略部長

Eto Miho 米国南フロリダ大学卒業。留学中、マイクロソフト社でインターンとしてソフトウェアの日本語ローカライズに携わり、卒業後1年間本社にて勤務した。帰国後、フリーランスのライター、Googleでオペレーションズリード(運用管理者)、「禁煙セラピー」普及事業の経営などを経て、2014年にインターネット広告会社のオプトに入社。ウェブメディア「kakeru」の初代編集長を務めた後、スマートフォンで写真を売買できるアプリ「Snapmart(スナップマート)」を開発。その後設立されたスナップマート社の代表取締役CEOに就任する。2018年3月に同社の代表から退き、同年5月、Jリーグ栃木サッカークラブのマーケティング戦略部長に就任。2020年からはノジマ社外取締役も務める。