働く人の自律革命が始まる。(Works Review 2020 巻頭鼎談)

3nin_a.jpg特集タイトル「一人ひとりが生き生きと働ける次世代社会」は、リクルートワークス研究所のミッションそのものです。2019年、創立20周年を迎えた私たちはそのミッション実現のために、「マルチリレーション社会」「『働く×生き生き』を科学する」の2つを研究テーマとして掲げ、この1年、活動を行ってきました。この鼎談では、そのミッションの出自と意義を確認するとともに、それぞれのテーマを俯瞰し、ミッションとの関連性を語り、コロナ禍を踏まえた今後の「一人ひとりの『働く』」を展望しました。

大久保(以下、大):このミッションステートメントを私が作ったのは1994年のことです。元々はリクルートの人材系事業のミッションとしてでした。その後、各事業が分社化し、それぞれが独自のミッションを作成しましたが、ワークス研究所は、この言葉を掲げ続けました。
当時はバブル崩壊の影響が大きく後を引き、これまでの日本型雇用が立ち行かなくなるのではないか、という不安が社会に充満していました。当時の私にはそうした変わり目の時期に、働くことに対する人々の価値観を再確認したいという思いがありました。
この「一人ひとり」には「一人ひとりが全員違う」「すべての人を包含する」という2つの意味を込めています。一人ひとりの事情は違うし、志向も能力も異なる。そういう個性豊かな個人が漏れなく、生き生きと働くことによって、活力ある社会が生まれればいい、と考えたのです。

さらに内幕を言えば、これを作る際、企業を前提にすることを封印しました。企業の経営施策に沿って人々が働く、という図式ではなく、個人が理想とする働く姿を先に描き、それを実現できる社会や企業のあり方を考えたいと思ったからです。順番を逆にしたのです。

野田(以下、野):バブル崩壊は遠い昔のようですね。それまでの日本企業は村落共同体的なコミュニティを内包していましたが、バブル崩壊以降、企業自らがそのコミュニティを否定し、破壊していきました。個を強化せよ。お互いがもたれ合っているから欧米に負けるんだ。社員寮を撤廃し、社員旅行を取り止め、社内の飲み会は意味がないから止めろと。
そうした“破壊”によって、強い個が育ったかというと、違うでしょう。破壊の後には創造が不可欠ですが、企業はそこには十分な手を打たなかったからです。今でも模索が続き、もう30年近くになるわけです。

奥本(以下、奥):僕はまさにバブル崩壊直後にリクルートに入りました。野田さんの言う30年近くが僕の社会人人生と重なっているわけです。雇用や人事の面に着目すると、その間、深刻な二極化が進みました。イメージでいうと、平面が凸凹になった感じです。
新卒無業、非正規増、ワーキングプアといった言葉で象徴される格差社会が取り沙汰されたのが1990年代。凹が深くなったわけです。そうした構造を前提に、勝ち組・負け組といった嫌な言葉が流行ったのが2000年代で、2010年代に入ると、その凹の人たちを引き上げる施策が多数打たれました。結果、女性やシニアを積極的に労働市場に取り込んでいこうという動きが生まれました。
凸凹が鮮明だった時期は、「一人ひとりが生き生きと働ける」状態とは程遠かったはずです。生き生きの前提となるのは個人の多様さを認めることですが、その時期は多様さ以前の「格差」にばかりスポットがあてられた。今は新型コロナウイルス感染症の影響はあるにせよ、凸凹がかなり落ち着いてきました。その言葉をミッションとして掲げ、噛み締める意義が改めて出てきたと思います。

不安感が強い民族だからこそ終身雇用がフィットした

大:日本の雇用を考える際、ほぼ変わらない普遍的要素はいわゆる終身雇用だと思います。「三種の神器」、つまり、終身雇用・年功序列・企業内組合を唱えたのは、かのアベグレンですが、それから60年以上が経ち、年功序列は大分薄まり、組合も組織率自体が20%を切っています。もっとも、彼が1958年に上梓した『日本の経営』(ダイヤモンド社)で述べたのはLifetime Commitmentですから、正確に訳せば終身的関係とすべきところを終身雇用と訳された。この言葉が独り歩きして人口に膾炙し、解雇を制限する方向に労働判例が形成されたので、「雇用は終身であるべし」というのが社会通念になっていったのです。日本型雇用の揺るぎない柱として終身雇用があるわけです。

ところで脳科学の知見によると、日本人は世界一、不安に敏感な民族だそうです。安心感を与える神経伝達物質、セロトニンの分泌量を調整するセロトニン・トランスポーターの数が少ない人の割合が非常に高いからです。そういう民族だからこそ、雇用不安とは無縁の終身雇用という通念がフィットするのかもしれません。
終身雇用にはそうしたメリットがある半面、デメリットも存在します。社員それぞれの事情に配慮すると、終身雇用は実現できないので、人事異動や転勤をさせ、長時間労働を常態化して、社員を徹底的に使い回したわけです。「個人を生かす」より、「チームの成果を最大化する」ほうが大事で、ライフよりワークが優先されます。「一人ひとりが生き生きと働ける」状態とは対極の世界です。

今改めて考えると、このミッションの背後に、終身雇用という手法を取らずに、不安過多民族である日本人が気持ちよく働ける状態を作れないか、という課題があったように思えてならない。今回、「生き生き働く」「マルチリレーション社会の実現」という2つのテーマを追いかけたということは、その原点をもう一度、とらえ直すという意味があったのかもしれません。

野:僕も終身雇用という言葉が好きではありません。一つの企業に一生縛りつけられるなんてまっぴら御免と思ってきました。実は野村総研在籍時に、ある研究をやったことがあるのです。『仕組み革新―人が活きる日本社会構築戦略』(1994年、野村総合研究所)に収載されていますが、要は、労働の流動化を推進すると、個人、組織、社会、どれに対してもよいインパクトが生じる、という内容です。先ほどの大久保さんの言葉に反応すれば、この研究をきっかけに、一企業内での終身雇用ではなく、社会全体における終身雇用をいかに実現するか、という問いを僕も抱くようになった。ある企業でお払い箱になっても、すぐに次がある。そういう社会になったら、すごく安心だなと。

実際、この20年余り、給与カーブのフラット化などで、社員の流動性を高める施策が行われてきたわけですが、僕が当初抱いていた思いとは別の方向に社会が動いてしまったことは否定できません。思い描いていたのは、会社に縛られないけれど、不安は抱かず、自分を成長させながら幸せに働き続けられる流動化社会だったのに、そうはならなかった。雇用不安を抱え成長実感も持たずに働かなければならない多くの非正規労働者が生まれてしまった。雇用の流動性は確実に高まったけれど、個人の幸せにつながらない。見立てが楽観的すぎたという忸怩たる思いがあるのです。

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「生き生き働く」には選択肢の多さが重要

大:2006年に私も『正社員時代の終焉』(日経BP)という本を研究所のメンバーと書きましたので、偉そうなことは言えません。振り返って思うのは、三種の神器が適用される、かつての正社員モデルが、まったく別のモデルに代替されるというのはあり得ないということです。そうではなくて、何種類かの就業モデルができ、各自が自分に合ったモデルを選択していくべきではないか。つまり、選択肢を増やしていくことが重要だと考えます。
その選択肢は1人につき1つではなく、複数あっていい。仕事仲間が一つの企業に閉じているのではなく、複数にまたがる。それこそマルチリレーションです。複数の人と同時につながっているという安心感によって、将来に対する不安を感じずに生きていける、そういう社会が来たらいいと思います。

奥:いいですね。終身雇用の最大のデメリットは個人のキャリア選択の幅が狭まってしまうことです。その被害者は産休や育休が不可避の女性であり、定年制によって追いやられるシニアです。
人間の動機には内発的動機と外発的動機とがあり、より重要なのは前者です。その内発的動機の前提にあるのは自己選択です。自らが選択した会社であり、働き方だ、という認識があるから、生き生きと働ける。自己選択のない内発的動機というのは絵に描いた餅です。働き方の選択肢が少ない中で、生き生きと働けるはずがありません。

大:「生き生き」という言葉は明確な定義のない擬態語です。この言葉には不思議な魅力がある。誰もが否定できないプラスの価値を表しているとともに、それを受け取った人が自分なりのイメージを思い描けるということです。一種のマジック・ワードだと思います。

野:以前、研究所のミッションを初めて目にした時、「自分は生き生きと働いているだろうか」と、思わず考え込んでしまいました(笑)。そう受け取るのは僕だけじゃないでしょう。聞く人を主体化させ、自問自答に追い込む。これは滅茶苦茶いいメッセージだということですよ。

奥:今回、僕は「生き生き」に関する研究を担当したのですが、そこで行ったある調査の結果が非常に面白かったんです。「あなたが生き生き働いている様子を表現してください」という設問に対して、680種類の言葉が集まったのに対し、「あなたの周囲の人が生き生き働いている様子を表現してください」という設問に対しては983種類集まった。自分自身が生き生きしている状態よりも、他人の生き生きを観察し言語化するほうが得意だと。われわれ日本人は、自分自身が生き生きしている幸せな状態を言語化したり、自覚化したりすることに慣れていないんでしょう。

動機づけではなく信頼を

野:それは興味深いですね。経営の話に引きつけて考えると、経営者は自分の生き生きはともかく、社員が生き生き働いているかどうかについては答えを持っているべきですが、昨今の経営者はどうか。持っていない人が多いのではないでしょうか。
もっと平たく言えば、社員を思いやる感受性が鈍磨した経営者が多いということです。不況が長引き、業績の確保が大変、という事情があるにせよ、残念なことです。

奥:この時期、モチベーション、やりがい、コミットメントといった言葉に象徴されるように、企業は従業員をいかに真面目に働かせるか、ということを非常に気にかけてきました。いずれの言葉も企業が主語です。これからは、大久保さんが言ったように、個人が生き生きと働くために、企業は何ができるか、という視点をより強化しなければいけないのでしょう。
大:ある人をモチベートして働いてもらう、という考え方が私は好きではないんです。個人の中で自ずと生まれるモチベーションのほうがずっと健全で強いはずです。企業のトップやマネジャーが社員に対して行うべきは、モチベートすることではなく、一人の人間として信頼すること、敬意を払うことだと思います。

野:まったく同意見です。人間は操作可能な道具じゃないんですから。

奥:生き生きに関する調査結果を見ると、そうした企業の欺瞞に若い人たちが薄々感づいてきた傾向が見られます。40代~50代は生き生きという言葉の意味をポジティブにとらえ、充実感、やる気といった言葉を連想するのですが、それ以下の若手はネガティブなとらえ方をする傾向がありました。たとえば、生き生きから連想される言葉として、社畜や疲弊という言葉が挙がりました。企業目線で生き生きを語ると、働く人の心が逆に離れていく感じがします。

野:やりがい搾取という言葉は、まさにそうした背景から生まれてきていますね。

ヒエラルキー組織でも生き生き働ける

奥:今回の研究でもう一つ面白かったことがあります。生き生きの度合いが組織風土と密接に関係していたのです。内向き志向が強いヒエラルキー型組織では生き生きを感じる人が少なく、外向き志向が強いフラットな組織では多いと。

野:その話で思い出したんですが、大手自動車部品メーカーの工場では多くの技能職の人が働いていて、なかには入社以来、昇進昇格を果たすことなく、定年を迎える人もいます。そうした万年ヒラの人を対象に、同社の人事部がある仮説を立てたんです。会社に冷遇され続けてきたのだから、すねて、怠業や職場秩序の破壊といった非生産的職務行動に走ってもおかしくないと。この仮説が正しいかどうか調べてほしい、と人事部から言われ、本人たちにインタビューしたのです。

奥:どうでしたか。

野:人事の心配はまったく杞憂でした。理由は2つあって、まずは会社がその人たちを大切に扱い、認めていることです。その具体例は、改善提案を全員に求めていることでした。僕が話を聞いた55歳くらいの人が、今までで一番嬉しかったのは、提案が形になったことだと言って、僕の手を引いてある場所に連れていくんです。そこには「〇〇に注意されたし」という立て看板があり、「これは私が提案したんです」と、その人は顔をほころばせて話してくれました。
もう一つは、社外活動です。技能職なので残業は少なく、土日も休めるので、暇な時間が多い。その時間をやり繰りし、多くの人が地域のお年寄りの細々とした相談にのるボランティア活動に従事したり、草野球の監督をつとめたりしていました。会社だけで人生を完結させず、複数のコミュニティに属し、そこでの活動を楽しんでいる。まさにマルチリレーションを実現しているわけです。
何を言いたかったかというと、ヒエラルキー型組織であっても、人は生き生き働けるということ。経営はそこをきちんとケアすべきではないかと。

大:いい話ですね。在籍する会社が自分にとっての唯一のコミュニティになってしまうのは窮屈で息苦しい。万一、嫌われてしまったら、自分のすべてが否定されたような気持ちに追い込まれてしまいます。そうならないために、言いたいことも言えず、その集団のメンバーに迎合するわけです。そんな時、自分を受け入れてくれるコミュニティが別にあったらどんなにいいでしょう。自分が生き生き働くことと、口と行動を慎み、誰にも嫌われないように気をつけるということは、相容れない。友人だって、全人格的に付き合うより、お互い気の合う部分だけで付き合ったほうが楽だし、ネットワークも広がる。私はそういう感覚です。

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リレーションの作り方を学べ

奥:今回のマルチリレーションの研究では、「リレーション=互恵的で豊かな質を伴う関係性(家族を含む)」と定義したうえで、その有無を聞いたところ、持っていない人が44%にも上りました。孤立して生活している人がこんなにもいるのか。大変ショッキングな数字でした。

大:私も驚きました。持っていないと回答している人の多くは、周囲の人たちはその人とのリレーションを意識しているのだけれども、本人にその意識がなく、「誰も自分とつながっていない」と思っている場合が多いのではないか、というのが私の推測です。日本人特有の、万事控えめで、物事をネガティブにとらえる傾向がここでも出たのではないかと。

野:それはあり得ますね。以前、個人主義者が多く、激しい競争社会に身を置いているのに、アメリカ人はなぜ明るく生きていけるのだろうと疑問に思ったことがあるんです。何人かに会って話を聞いていくうちに、彼らは自由を尊ぶ個人主義者であるがゆえに、カウンセラー、教会の仲間、趣味のネットワークなど、それを補完するリレーションを複数持っていることがわかりました。

奥:こうしたリレーションの考え方はマネジメントにも応用できます。たとえば、通常の営業は個人目標を持っています。それを足し合わせたものがグループの成果になるわけです。ある時、この個人目標を廃止し、グループ目標だけにしてみたんです。結果は吉で、そうしたほうが全体の成績が上がり、なおかつ皆が楽しそうに仕事をするんです。個に対するケアは忘れてはいけませんが、一方で多様な人たちとのリレーションも意図して作っていく必要があるのでしょう。

野:大賛成。僕も野村総研にいた時、同じようなことをやりました。部長の成績を決める場合、個別の部の目標達成と本部全体のそれのどちらを優先すべきか。答えは本部です。それが未達成の場合、部の成績がよかったとしても、全員がマイナス評価になり、逆に部の成績が悪くても、本部の成績がよかったら、その責任は不問にする。これはかなりうまくいきました。

大:最近、オンラインで働く人から悩み相談を受けて解決するサービスを事業化しているのですが、コロナの影響もあって、山のような相談が来るんです。そのほとんどが人間関係です。
たとえば、在宅勤務が常態化し、子供も休校で家にいると、家族同士のいさかいが増え、ひどい場合は家庭内暴力の問題が起きてしまう。音がうるさいとか、近所とのトラブルも多い。勤め人は平日の昼間は家にいることは滅多にないから、些細なことでも気になってしまうんです。
何が言いたいかというと、マルチリレーションであることは、生き生きと働くため、幸福な人生を送るため、重要な要素だと思うんだけれども、そのリレーションをうまく築いていく方法について多くの人は無知なのではないかと。そこを鍛えていく必要はあるでしょう。

働く人の自律革命が起きる

野:コロナが日本の企業社会に与える影響は予想以上に大きいでしょう。僕は社会の動機というものが変わるだろうと思っています。エドガー・シャインが唱えたキャリア・アンカーのフレームに当てはめてみましょう。個人の動機を分類したものですから、社会の動機に当てはめるのは誤りだとは思いますが、考えるフレームとして援用してみます。
まず、テレワークが広範に普及していくと、「何でもやります」というジェネラル志向の人は肩身が狭くなり、各自の専門性や個別の職能を重視する動機が強まるでしょう。自分の身は自分で守らなければいけませんから、日本人がこれまで弱いとされてきた自律や独立が重視されるでしょう。医療現場で働く人たちの奮闘を目にしましたから、自分も何かやれるはずだという社会貢献意識も高まるでしょうし、ステイホームはまだ続くでしょうから、自分なりのライフスタイルを追求したいという気持ちも強まるのではないでしょうか。

大:コロナが完全に終息したとしても、テレワークは広範に残ると思います。ある程度、続けた結果、思わぬ効用があったからです。目の前の自分の仕事にどんな意味があるのか、どれほどの価値を持っているのか、いやが応でも向き合わなければならなくなる。会社に通っている時は、出勤し、メンバーと一言二言しゃべっただけで一仕事した気分になりますが、在宅勤務はそれがない。周りに人もいませんから、仕事そのものに純粋に向き合わざるを得なくなる。
自分の仕事を通して自分自身を見つめ直す。野田さんが言った自律への動機がすごく高まるはずです。最近よく言われるように、中世ヨーロッパでペストが大流行した後に、ルネッサンス運動が起こった。人間性の復興運動です。今回のコロナを機に、働く人の自律革命が日本のみならず、世界中で起こるのではないかと。

野:働くことにはコストが伴います。今の大久保さんのお話でいうと、通勤がそうです。そのコストに見合うだけの成果を上げているのか。今後はこれがシビアに問われるような気がします。
最近、社会人の学生によくこう聞くんです。「今後、満員電車はどれくらい復活するかな」と。みんな乗りたくない。それなのに、社用車で通勤している経営者が「会社に来なさい」と言ったら、暴動が起きかねない(笑)。大手を含め、いくつかの企業が在宅勤務の延長を発表していますが、いいことだと思います。

奥:お二人が言うように、在宅勤務やテレワークの実施を、自らが主体的かつ自律的に働くという意味で、プラスの方向に持っていけたら、と僕も思います。一方で、それこそ、上司が部下のやるべき仕事をガチガチに管理し、「これだけを家でやってください」と命令する流れが強まることも考えられます。そうはならないでほしい。

野:テレワークに関する研究はずいぶん前から世界中で進んでおり、奥本さんが危惧するジョブ切り出し型は生産性が上がらない、という明確な結果が出ています。それは改めて声を大にして言いたいところです。

奥:そうなると、オフィスとは何か、という問題が出てくるでしょう。

野:イノベーションを誘発する場であり、サロンになるべきでしょう。

大:人と直に接しなければ仕事にならないエッセンシャルワークを担っているような人たちはともかく、ホワイトカラーにとってはオフィスの意味はどんどん薄まるはずです。

奥:働き方に関する試行錯誤はしばらく続くでしょう。コロナ禍とはよく言われますが、どうせならいい方向に変わるきっかけにしたい。「一人ひとりが生き生きと働ける次世代社会」を創造するチャンスではないかと。われわれはその先導役になりたいと思っています。

notebook.jpg※この鼎談は、2020年5月29日にオンラインにて実施しました。

奥本英宏(リクルートワークス研究所 所長)
大久保幸夫(リクルートワークス研究所 アドバイザー)
野田 稔(リクルートワークス研究所 特任研究顧問 / 明治大学大学院教授)