【インタビュー】宿泊業における「働き方改革」の先進事例先進事例1 鶴巻温泉 元湯陣屋(代表取締役社長 宮﨑富夫氏)

IT活用、業務の徹底見直しで倒産寸前の旅館を再建
~鶴巻温泉 元湯 陣屋 経営者インタビュー

「鶴巻温泉 元湯 陣屋」(以下「陣屋」)は神奈川県秦野市の鶴巻温泉にある、1918年(大正7年)創業の旅館。明治天皇の宿泊用に建設された貴賓室を現在の場所に移築した「松風の間」をはじめ、客室数は20室。ほかに、6つのレストラン・宴会場などを備える。囲碁・将棋の対局を300局以上行っていることでも有名だ。ところが、2000年代に入った頃から経営が傾き、一時は倒産寸前の状態に追い込まれた。
危機に立ち上がったのが、4代目経営者の宮﨑富夫(みやざき・とみお)氏。ITの積極的な導入や業務の徹底見直しを行い、見事に陣屋を再建した。
今回は、リクルートワークス研究所所長の大久保幸夫が、改革の経緯を宮﨑氏に伺った。

倒産危機を乗り越えるため、経営改革を決意

大久保「宮﨑さんが陣屋の代表取締役に就任したのは、2009年だと伺いました」

宮﨑「はい。私の前職は、本田技術研究所で燃料電池の開発に携わるエンジニアでした。ところが、陣屋のオーナーだった父が他界し、女将を務めていた母が心労もあって入院。さらに、陣屋は多額の赤字を抱えて倒産寸前の状況でした。このままでは歴史ある旅館がなくなってしまうと思い、私が経営を、妻が女将を担当することになったのです。
私は、接客業も経営も全くの未経験でした。それがいきなり旅館の主人になり、短期間での業績回復を求められたというわけです」

大久保「当時、陣屋はどのような状況だったのですか?」

宮﨑「経費が膨らむ一方、売り上げは低迷していました。原因の1つは、客単価が低すぎたことです。2005年当時の客単価は1万3900円程度だったのですが、私が代表取締役になった2009年には9800円にまで落ち込んでいました。陣屋は全部で20室しかない旅館。単価を上げなければ経営が成り立つはずなどないというのが、当時の直感でした。
もう1つの原因は、昔ながらの業務手法にありました。予実管理は売り上げ実績だけを紙で記録するやり方で、予算について知っている社員は皆無。だからスタッフの間でも、経費が膨らんで経営が危機的な状況だという認識がなかったですね。また、顧客情報や営業情報は担当者の頭の中、あるいはメモ帳の中だけにしまい込まれており、ほとんど活用されていませんでした。業務のムダも多かったですね。例えば、内線電話をかけた相手が電話に出られない状況なのに、コールをし続けたり何度も電話を掛け直したりしていました。あるいは、伝言メモを手渡すために社内を走り回ることも多く、『余計な仕事に時間をかけているなあ』と頻繁に感じていました」

大久保「旅館は広いし、階段の上り下りもありますからね。移動だけで結構な時間がかかってしまいます」

宮﨑「そうなんです。施設の端から端までビールを運ぶと、途中で泡がなくなってしまうほど。以前は、食事をお客さまのお部屋で出していました。このやり方だと、料理を運ぶスタッフだけで8人くらい必要だったのです。ところがそのスタッフは、料理を出した後は手待ち時間になって世間話をしている。これもムダだと感じましたね。そこで、お客さまへの食事は基本的にレストランで提供するように変えました。そうすれば、限られたスタッフで、以前より質の高いサービスを提供できますから。
同時に、『料理を運ぶだけ』などのように、1人のスタッフが限られた仕事しか担当しない仕組みも変えました。旅館は時間帯によって、仕事の中身が変わります。そこで、1人のスタッフが何役もこなせるようになれば、『ムダな手待ち時間』が削減できると思ったのです」

大久保「手待ち時間の削減は、業務改革の王道です。マルチタスク化によって業務の効率化をすすめたわけですね」

宮﨑「おっしゃるとおりです。私が決めた基本方針は、料理を見直すことで客単価の向上を図りながら、業務の効率化を目指すというものでした。
そこで、『(1)食材や演出にこだわり、料理を大幅にリニューアルして客単価を高める』『(2)ITを活用し、情報の見える化・共有化を果たす』『(3)それまでの月次管理を日次管理に変え、PDCAサイクルを素早く回す』『(4)過去のお客さま履歴をおもてなし力向上につなげたり、ウェブやSNSで発信したりするなど、情報の活用を進める』『(5)非生産的な業務の削減や効率化などにより、お客さまとの会話・接点を増やす』という順序で、取り組みをスタートさせたのです。
そこである程度の成果が出て利益を確保できたら、次のステップとして、定休日導入などの働き方改革に手をつける。そして、最後に賃金アップなどで従業員に報いようというのが、陣屋での改革の流れでした」

状況を包み隠さず伝えて従業員の理解を得た

大久保「最初に取り組んだのは、料理の改革だったそうですね」

宮﨑「ええ。当時は赤字が膨らんでいて、設備投資をするような余裕がなかったのです。でも、料理の刷新なら大きな投資などをせずに進められますから。
当時提供していたメニューで価格が最も高かったのは、6800円のコース料理でした。そこで料理長と一緒に、1万2000円、あるいは1万6000円のメニューを開発していったのです。単価を上げるため、食材や演出に徹底してこだわるうちに、徐々に高単価なメニューが売れるようになりました。

同時に、調理場の改革も行いました。最初は調理スタッフ内、あるいは調理スタッフと接客スタッフとの関係性がうまくいかず、その結果、若手がなかなか定着しない状況だったのです。そこで、リーダー層の人を入れ替えるなどして、組織を良い方向に変えようとしました」

大久保「古いやり方を改革すると決めたとき、共感してくれる従業員もいれば、反発した従業員もいたと思うんです。宮﨑さんは、どのようにして彼らを巻き込んだのですか?」

宮﨑「最初は、当社の状態を包み隠さず伝えることから始めました。厳しい経営状況を従業員に知ってもらい、『だから我々は変わらなければならない』と危機感を持たせたのです。
当時、社内には『炭をおこすだけのスタッフ』や『玄関で太鼓を叩くだけのスタッフ』など、1つの仕事だけを担当する従業員がたくさんいました。彼らにほかの仕事も担当させる方針を伝えたところ、反発して退職した人も多かったですね。その結果、正社員20人・パート100人くらいだった従業員が、正社員25人・パート15人に減少。一方、新卒や若手の採用は続けていたので、従業員の平均年齢は結果的にかなり若返りました」

大久保「現在は、中途採用より新卒採用に軸足を置いているのですね。即戦力のベテランより、一から育てなければならない若手にウェイトを置いて採用しているのはなぜでしょう?」

宮﨑「人手が足りなかった頃は、ベテランを採用したこともありました。でも、それでは良い成果が得られなかったのです。幹部候補の社員には、若い部下を育てる機会を与えなければならない。そうすることによって、組織全体の力がはじめて底上げできるのではないかと今は思いますね。ですから、新卒を定期的に採用し、組織の年齢構成をバランス良く保つ必要があるのです」

大久保「2009年当時、経営は危機的状況だったのですよね。そういう場合、経営者の中には賃金カットを考える人も多いと思います。宮﨑さんは、そういう発想はされなかったのですか?」

宮﨑「賃金カットは考えませんでした。給料を下げたら、仕事へのモチベーションも下がります。給与は維持しつつ、ムダな仕事にメスを入れて従業員の稼働効率を高める方が良いという認識でした」

利益が出始め、顧客・従業員満足度を高めるべく方針転換

大久保「ところで現在の陣屋では、1週間に3日の休館日(月・火・水曜日)を設けています。また、月曜日には有給を積極的に取得させ、半分程度の人数で運営することで、従業員に週2.5日程度の休みを取らせているそうですね。宿泊業としては珍しい取り組みだと思いますが、なぜですか?」

宮﨑「狙いは2つありました。1つは、休みを増やして離職率を下げることです。離職率が下がれば、スキル・経験が豊富なスタッフに長く働いてもらえます。そうすることにより、自然に顧客満足度も上がりますし、従業員満足度も高くなるでしょう。
もう1つの狙いは、『シフト制をやめ、常に全従業員でお客さまをもてなすこと』を実現することでした。お客さまの中には、特定の接客スタッフに会いたくて陣屋に足を運ばれる方もいます。また、料理長の出す食事を食べたいと思って来館される方もいるでしょう。ところが、休館日なしで営業すると、お目当てのスタッフがシフト外で不在の可能性があります。これでは、お客さまはガッカリしてしまうでしょう。それで休館日を設けて、常に全従業員が揃ってお迎えできるようにしたわけです」

大久保「でも、休館日を設けると売り上げは下がってしまいますよね。心配ではありませんでしたか?」

宮﨑「確かに、短期的な売り上げは下がるでしょう。でも、顧客満足度や従業員満足度が高まれば、長期的な売り上げは上がるはずだと予測していました。また旅館の場合、平日の稼働率は低いもの。思い切って休んでも売り上げ減の影響は少ないのです」

大久保「最初は、火曜日と水曜日の2日を休館日にされたのですね。この日に来館されていた方は、ほかの曜日に移ったのですか?」

宮﨑「そのとおりです。月曜日や木曜日の稼働率が上がりました」

大久保「宿泊業では、施設の稼働率をできるだけ高める考え方が一般的ですよね。一方、陣屋のように休館日を設けて非稼働日をつくるのは、常識に反するやり方だと思います。勝算はあったのでしょうか?」

宮﨑「平日に営業すると、週末と変わらないくらいの人件費、電気・ガス・水道代がかかります。陣屋は歴史ある建物なのですきま風も吹きますから、エネルギー費も軽視できません。一方、平日の稼働率は週末に比べれば低い。ですから、休館日を設ければ売り上げは下がるけれど、利益は下がらない。なんとかいける、という読みがありました。
実際に休館日を導入してみると、その年の利益は下がらないどころか、むしろ増えました。経費を圧縮した効果が、思いのほか大きかったのです。また、労働時間を短くしたことで接客の質が上がり、お客さまの満足度が高まった点も大きく寄与したと感じました。その結果、従業員の賃金を引き上げるだけの余裕も生まれたのです」

大久保「当時、世の中のサービス業は営業時間を延ばす方向で動く傾向にありました。2016~2017年になってようやく、労働時間削減の取り組みが目立つようになってきましたが。陣屋のように営業日を減らそうとする取り組みは、かなりの先駆けでしたね」

宮﨑「私が代表取締役に就任した直後は、従業員に対して『今は厳しいから、とにかく皆で頑張ろう』と呼びかけていました。でも、そういうやり方は長くは続きません。どこかで、きちんと休みを取りながら働くスタイルに舵を切らなければと思っていたんです。休館日を設けた当初は、銀行などに『大丈夫ですか?』と心配されました。でも、ある程度の利益が出せるようになった時点で、持続的に成長できる道を選びました」

ITを活用し、全従業員で情報管理を行うように

大久保「さて、陣屋の改革で大きな柱となったのが、予約管理、売り上げ分析、会計処理、原価管理、アンケート分析などを統合管理するシステム『陣屋コネクト』です。こちら、現在も進化し続けているそうですが、従業員の皆さんはきちんと使いこなせているのでしょうか?」

宮﨑「全スタッフが全ての機能を使いこなしているわけではありません。接客スタッフ、調理スタッフなどがそれぞれ、自分たちに必要な機能を使っている状況です。ただ、そのポジションで必要な機能は、全員が使いこなしていますよ。そもそも、シフト管理や出退勤の打刻をはじめとする全ての業務が、陣屋コネクトなしでは行えないのです。70代のスタッフも、ちゃんとログインして使っています」

大久保「従業員にタブレット端末を配布しているのですね」

宮﨑「はい。例えば、接客スタッフがお客さまの到着をタブレットに入力すると、ほかのスタッフの端末に自動音声で通知が届きます。また、スタッフがデータを入力する際に、音声入力を利用することもあります。タッチキーボードで文字を入力するか、それとも音声入力を使うかはケースバイケース。スタッフ全員が試行錯誤しながら、より良い方法を模索している状況です」

大久保「陣屋コネクトは、従業員の皆さんと一緒に、日々進化しているのですね」

宮﨑「そうなんです。社外に提供している陣屋コネクトのシステムは、年3回程度のペースでバージョンアップしています。しかし、社内向けのシステムは月に2回のペースでバージョンアップを行い、頻繁に機能の追加・修正を行っています。
陣屋では、仕事の進め方がしばしば変わります。それに合わせ、どんどんシステムの中身も変わるのです。従業員はそうした状況に慣れていますし、バージョンアップ時に不具合があってもあまり気にしない。問題が起きても、お客さまに迷惑がかからないように自分たちで工夫し、フォローするのが当たり前という感じなのです。導入から8年ほどで、『新しいものへの拒否感』は、かなり薄れてきたと実感しますね」

経営者自身がITを活用して仕事の進め方を変えよ

大久保「陣屋コネクトは、何軒の旅館で使われているのですか?」

宮﨑「2017年3月時点で、200軒あまりですね。中にはフル活用して業務効率を大きく向上させたところもたくさんあります。一方、導入はしたものの、あまり活用できていないところもあるようです」

大久保「その差は、もしかすると従業員の問題というより、経営者の側にあるのかもしれませんね。IT、あるいは新しい仕組みに拒否反応を示す経営者の下では、陣屋コネクトの利用も進みづらい気がします」

宮﨑「そうなんですよね。従業員に『システムを使え』と号令をかけているのに、自分は一度もログインしていないっていう経営者、意外と少なくないんですよ。
経営者が仕事の進め方を変えなければ、会社は変わりません。ITシステムを入れても、部下だけに押しつけて自分は使わないようでは、やはり効果は上がらないでしょうね」

大久保「そのとおりです。働き方改革について企業経営者からアドバイスを求められることが多いのですが、経営陣が率先して働き方を変えなければ、会社を変えることなどできませんよね」

宮﨑「あと、仕事のやり方を変えると、全体としては業務効率が上がるけれど、特定の部門・担当者の仕事は増えるというケースがあります。こうした場合は、経営者が組織全体を見て交通整理をしなければなりません。各担当者に任せると、自分の仕事の範囲だけでしか考えられないので、調整がうまくいきません」

大久保「逆に、ITシステムを導入すれば、組織全体を俯瞰的に見やすくなりますよね。だから、どこを調整すれば組織がうまく回るか、経営者には分かりやすくなるということですね。

旅館同士で連携してさらなる改革を目指す

大久保「陣屋では、IT活用や業務の見直しなどによって業務効率が上がりました。それによって顧客接点に力を注ぐことができ、顧客満足度も上昇しました。次はどんな改革を考えていらっしゃるのでしょうか?」

宮﨑「今後は、ほかの旅館と助け合いながら、何かできないかと考えています。
例えば、長野の旅館と提携を進めています。こちらは冬が忙しく、夏の稼働率は低い。一方、長野は夏が繁忙期で冬は閑散期です。そうした条件を生かし、互いに助け合うことができると考えられます。また、神奈川県の旅館同士での連携も模索しています。桜前線や紅葉前線の動きに合わせ、箱根の旅館と送客し合うなどが考えられるでしょう」

大久保「離れた地域の旅館と補完し合ったり、近距離で補完し合ったりすると。あるいは、シングルタスクのスタッフが、複数の施設で働く可能性も高まりますね。例えば、清掃専門のスタッフが、複数の旅館を掛け持ちしたりする」

宮﨑「大いにありえるでしょうね。同じ陣屋コネクトを使っていれば、シフト管理の仕組みが共通しています。だから、人員の面で補完し合うこともしやすいはずです。
また、在庫管理や予約管理も連動できるので、共同購買などもしやすいのです。小規模な旅館では、食材を仕入れる際の単価が高くなり、仕込みにも手間がかかります。そのため、陣屋が中心になって食材を共同仕入れし、一気に仕込みを行うなどのやり方も考えられるでしょう」

大久保「1つの旅館の中で料理人を育てるのは、かなり難しいことですよね。仕事の変化はつけづらいし、若手に用意できるポストも限られていますから。その点、複数の旅館が連携すれば、こうした課題も解消できるかもしれません」

宮﨑「陣屋には、多店舗展開する予定がありません。ですから、若手が『いずれは料理長になりたい』と思っても、それを実現できるポストを用意できないわけです。でも、ほかの小規模な旅館と提携し、こちらの2番手・3番手の料理人を料理長として派遣する仕組みを整えつつあります。こうすることで、料理人不足に悩む旅館を手助けすることができますし、料理人にとっても、料理長としての経験を積んで大きく成長することが可能です」

大久保「日本の旅館には、ホテルと異なる魅力があります。一方、旅館の仕事に対して、悪いイメージを持つ人は少なくありません。どこを変えれば、旅館業は多くの人から選ばれる仕事になると思われますか?」

宮﨑「やはり、『夢を持てる仕事』になることが必要でしょうね。従業員が次のステップを目指せる。1つの場所に縛られて働くのではなく、いろいろな可能性が試せる。世界一になれる。そんな夢を持てる仕事になれば、多くの人材をひきつけられるのではないでしょうか。
そのためには、経営者の意識改革が欠かせないと思うのですよ。経営者が古い考え方を捨て、旅館の在り方や働き方を変える。それによって業務効率を高め、きちんと利益を上げる。そうすることで、旅館業が働きがいのある仕事に変わる基盤をつくれるのだと思います」

大久保「確かにおっしゃるとおりですね。私は旅館で働くスタッフが、いずれ旅館を経営できるようになる道をつくることが究極だと思っています。所有と経営の統合も今後進むでしょうし、陣屋コネクトという経営支援があれば、旅館経営にも取り組みやすいでしょう。陣屋コネクトはさまざまな効果を生み出しそうですね。本日はどうもありがとうございました」

(TEXT=白谷輝英 PHOTO=刑部友康)

陣屋の「働き方改革」ストーリー

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