「#大学生の日常」に埋め込まれた学習~総括と展望~ ゼミを再創造するための『7つの問い』

豊田義博
リクルートワークス研究所 特任研究員
ゼミナール研究会 主宰

「#大学生の日常」に埋め込まれていた「3つの態度」形成

新型コロナによって大きく棄損してしまった「#大学生の日常」とは何か。彼ら彼女らはこれまで、キャンパスライフの中で何をして、何を獲得していたのか。そんな素朴な問題意識から始まった今回のリサーチプロジェクト。20代の大卒社会人=ビフォーコロナの大学生への定量調査、インタビュー調査から、さまざまな知見が得られたが、最も印象深かったのは、20名へのインタビューの最後に聴いた以下の質問に対する回答だった。

「●●さんの大学生活は、今の●●さんの生き方やものの考え方にどの程度の影響を及ぼしていると思いますか?」
「今の●●さんの能力、ものの考え方、ことへの対処の仕方など、●●さんご自身全体の今を100とした時、大学時代での経験や気づきが貢献しているのは、そのうちのいくつぐらいの数字になりますか? 高校まで、あるいは就職してからも、たくさんの経験によって、●●さんが形作られていると思いますが、大学時代は、そのうちのどのぐらいの数字になるでしょうか」

その数字は、筆者の想像を大きく上回るものであった。ばらつきはあるものの、50以上の数字を回答した人が過半数を占めていたのだ。社会人になって、まだ日が浅い人が多いからということもあるが、大きい数字が次々と出てくるのに驚きを隠せなかった。中には、高校までに様々な経験をしてきた人もいたが、そのような人であっても、大学時代に大きい数字を充てていた。
では、その数字の意味するところは何か。大学時代の様々な経験は、どのような態度(姿勢・価値観)の形成につながっているのだろうか。得られた発言を分析していくと、3つの観点が浮かび上がった。

1つめは、「人との交わり方」だ。その背景には、高校までとは異なる環境に身を置いていたことがある。多くのインタビュイーが、大学時代のコミュニティ活動の中では「多様な考え方、スタイルの人がいる」ことを痛切に感じたと語ってくれた。多様な地域から、多様な考え方を持った人が集まる大学のキャンパスは、高校までとは全く異なる人間集団の場だったと捉えていた。そして、そのような多様な人々と、何かを共同でなしていく(それも、教師や親などの監督下ではなく、学生だけで)中で、どのように人と接し、関わり、分かり合えばいいかを学んでいた。それは、スキルや知識のようなものではなく、人間というものの基本認識、人と交わるという上での基本姿勢といった態度的なものだ。
2つめは、「ものの考え方・ことへの接し方」だ。多くの場合、それは、他者の言動による気づきから形成される。将来を真剣に考えている同級生、赤い洞察力や鋭い指摘をする先輩学生、地域の人たちと真摯に接している経営者などと交わる中で、「自分もそうありたい」「自分はもっと変わらなければ」という想いを強くし、それによってものの考え方・ことへの接し方が大きく変わる。ひとことで言えば、主体的になるのだ。

上記2つは、自己の変容ととらえられるが、3つめは、少し異なる。「自己発見」だ。人とのつながりや様々経験を通して、自分の志向や適性に目覚めるのだ。高校までは気づいていなかったり、大学時代の経験を通して、自身の特徴がより強くなっていくなど、そのプロセスは一様ではないが、この自覚はつまりはアイデンティティの確立だ。必然的に、進路選択においては、その志向適性を活かした道を考えるようになる。こうした人は、就活での自己分析をわざわざしたりはしない。
この3つの態度は、コミュニティに所属し、その中で様々な人たちと様々な活動をする中で培われていた。こうした態度形成が促進されるコミュニティの要件を再掲しておきたい。

図表① 態度形成を促すコミュニティの要件
図表①_2.png個人視点からは、所属にあたっては明確な所属動機を持ち、主体的に役割を自覚することがあげられる。コミュニティ視点からは、志向、価値観の異なる人たちが集まっているようなコミュニティの多様性があること、そして、コミュニティとして目指すことが、所属メンバーそれぞれにとって大きな背伸びが必要なストレッチフルなものであること。この要件が整うと、個人が役割を実行に移す中で、異なる価値観を持った「異質な他者」が立ち現れ、何らかの介入がなされる。ロールモデルとして、あるいは師として、ともに試行錯誤を重ねる仲間として、など、「異質な他者」の役回りは様々が、その存在や関与が本人に強烈な内省を促す。大人になるための通過儀礼とでもいえばいいだろうか。それが、自己変容や自己発見もたらすという構図だ。

ゼミナールは、失われた「#大学生の日常」を 再創造する最後の砦

コロナによって失われた「#大学生の日常」。そこには、生きていく上での基盤となる態度形成、自己変容・自己発見という学習が埋め込まれていた。かくも重要な日常を、コロナは浸食してしまっている。そして、残念ながらビフォーコロナの「大学生の日常」が、完全に以前と同じ形で再生されることはないだろう。社会的なリスク回避措置は、コミュニティの質を劣化させ続けるだろう。個人の中に緩やかにしかし確実に残るであろう不安心理は、行動抑制につながるだろう。コロナが収束したのちのコミュニティの多くは、ビフォーコロナのそれの劣化コピーになってしまう可能性を否定できない。この状況を放置してしまっては、大学生たちは、態度形成、自己変容・自己発見という大切な学習が欠落したまま大学を卒業してしまうことになる。その状況を看過できるものではない。何かを変えなくてはならない。

ゼミナールという存在は、こうした状況を打開し、学生に態度形成、自己変容・自己発見という学習を提供するとができる最後の砦だ。
これまでにも、ゼミナールは、大学での学びの集大成の場と位置付けられてきた。専門の学びを深める中で、知の技法を獲得する場であり続けてきた。近年では、社会人基礎力の育成の機会と期待もされてきた。このような期待を超えて、失われた「#大学生の日常」を 再創造する最後の砦となるように、ゼミナールいう学習コミュニティの質を高めていきたい。「異質な他者※」との深い交わりを通じた 「自己変容・自己発見」の場としたい。

図表② ポストコロナの専門ゼミナール
図表②_2.png※自身とは異なる価値観を持つ人、環境、書籍など。

豊かなクエストギフトが得られる場にしていきたい。異なる価値観を持った多様な人たちとの豊かなインタラクションを通じた「自己発見と気づきの機会」にしていきたい。ゼミ生一人ひとりに独自な唯一無二の活動経験が得られる場にしていきたい。それが、就職活動の時の「ガクチカ」となることを大いに期待したい。しかし、それは、アカデミックな活動を否定するものでは決してない。ゼミの総仕上げは卒論。そして、自身ならではのテーマを掲げ、深めていくことは、深い自己発見へとつながるはずだ。卒論を仕上げていくプロセス、マイテーマを探索し、仮説や課題を構築し、実証し、結論を導くというプロセスは、大学卒業後に待ち受ける仕事や人生で出会う様々な事象に対峙していくプロセスそのものでもある。
豊かなベースギフトが得られる場にしていきたい。大学生活における居場所にしていきたい。仲良しとの表層的な面白おかしい時間ではなく、本音で何でも話すことができる、誰もが自分らしくいられる場にしていきたい。そんな中で、お互いをよく知る中で生まれたつながり、リレーションが卒業後も続くものになってほしい。豊かなつながりは、人生の展望を支えるのだ。

学習コミュニティ再創造に向けた『7つの問い』

では、そのためには、何をどうすればいいのか。現在、その方策を考案している真っ最中だ。ゼミに、どのような機会を、機能を埋め込んでいくかを、7つの論点にまとめ、その実現に向けてのビジョンを取りまとめている。そして、そのお披露目の場として、来る8/26(木)に「Works Online Symposium ポストコロナのゼミナールを考える ~学習コミュニティ再創造に向けた『7つの問い』~」の開催を予定している。

ここでは、『7つの問い』のフレーズだけを、先行して提示しておきたい。
・主体的な所属動機が育まれているか?
・ストレッチ・ゴールが設定されているか?
・ゼミにかかわる人の多様性が創出されているか?
・学生それぞれの役割の発見や挑戦を生み出せているか?
・「何でも話せる」安心・安全な場になっているか?
・目的に応じた最適な学習スタイルを選んでいるか?
・教員が相互に学びあう仕組みが創造されているか?

本連載は、この原稿をもって終結するが、私たち「ゼミナール研究会」の活動は、これからだ。日本にあるたくさんの専門ゼミナールが、失われた「#大学生の日常」を再創造する場となっていくために、今後も活動を続けていきたい。その起点となるのが8/26のシンポジウムの場だ。ゼミに想いを、そして問題意識を持っている多くの方々のご来場を、心待ちにしている。