「#大学生の日常」に埋め込まれた学習「社会と共に育つ」ゼミ活動へ

馬渡一浩
文京学院大学経営学部教授

ゼミで大切なことがコロナ禍で明示化された

著者はブランディングを専門とする実務家教員である。広告会社に31年間勤め、東日本大震災の年、20114月から、現在所属する文京学院大学にご縁を頂いた。以来約10年、最初は見様見真似で始めたゼミの教育にも少しずつ手応えを感じ始めていたとき、コロナ禍に襲われた。試行錯誤しながらも10年に渡って積み上げてきたゼミ運営が、大きな制約を受けるようになった。やり方を再検討する必要が出てきた。
幸いにも、ご縁があって参加させて頂いていた「ゼミナール研究会」の場があった。教育の研究者ではない私には、ゼミナール研究会は異分野の議論だったが、コロナ禍のゼミ、そしてコロナ以降に向けたゼミのあり方についての、絶好の思考の場になった。一連の議論から、ゼミの活動を考えていく上での基本となる事柄が明示化されたと思う。それを著者なりの文脈で、著者が教えるゼミに当てはめながら整理してみたい。

フィールド型のゼミ、馬渡ゼミ

著者のゼミは、ブランディングをメインテーマに、社会(フィールド)に出て自分の足で考えアウトプットする学修スタイルである。
これまで10年間活動してきたが、そもそも今のような型のゼミになったのには3つ程理由がある。

1つは、著者自身の経験である。大学時代マーケティングを学ぶ中で、有志で取り組んだ広告会社主催の懸賞論文執筆が、企業から本物の課題を頂けたために、リアルで大変楽しいものだった。入社した会社で取り組んだブランディングやマーケティングのコンサルティング業務も、刺激に満ちていた。このような体験で、マーケティングの面白さが分かるのは現場だと、確信するようになった。

2つ目は、所属する文京学院大学の理念や組織文化が社会に向いていたことによる。本学は創立者・島田依史子によって大正13年(1924年)に開学した「島田裁縫伝習所」が起源である。伝習所は、関東大震災で家族も私財も失った女性たちの「自立」を支えるために必要な技能を授けることがテーマだった。以来今日に至るまで、常に人や社会の悩みや課題に寄り添い、共に歩み続ける思いを持ち続けてきた。現在、「自立と共生」の理念のもと、社会に学生を送り込み社会と共に学ばせるプログラムが多数あり、教職員も学生も、自然とそうした志向に馴染んでいる。
そして

3つ目は、経営学部のゼミだったことである。経営は、経営主体が、望ましい価値や豊かさを生み出せるように客体との関係性を構築していくプロセスともいえ、生きた形で実践的に学ばせることに本質的な意味がある。様々な価値の主体が力を出し合えるように様々な立場の人を関係づけ、関係に意味を与え、それぞれが自らの意思として動く環境を整えていく。そのような動的なプロセスに必要な「関係を動かす力」を学ぼうとすれば、座学よりも生きた場が適していよう。

以上のような理由から、馬渡ゼミはフィールド型のゼミになった。生きた現場に入り込み、社会的な課題に向き合い、それを学修の対象とする形である。経営を学ぶ学部のゼミとして、リアルで動的な現場を勉強の対象にしようということである。

新しい仕組み「ルミエール・ビバン」の創造

こうした形のゼミ活動は様々な成果を生み出している。一例として、20203月に卒業したゼミ生たちが3年次から取り組んだ「ルミエール・ビバン」という取り組みをご紹介したい。
埼玉県ふじみ野市のNPO法人の全面的なご協力のもと、福祉をメインテーマにした世代間交流活動をゼロから企画・実行し、社会の中に新しい仕組みを作った活動である。月に一度世代間交流の催しを開催し、毎回60名を超える人が集い、外国人留学生や付属高の高校生も参加するほどの活動となった。活動の様子は新聞紙面でも掲載され、社会からも評価を頂くまでになった。
そもそもは、ゼミのグループ研究を進める中で多くのヒアリングを行い、高齢者の生の声を聞いたことがこの活動に取り組むきっかけだった。高齢者の「他人との関わりがなくなった」「若者と話す機会がないから関わりたい」という声を多く聞き、世代間交流の場をつくることに決めた。議論を重ね、世代を超えて様々な立場の人たちが集える交流の場づくりを目指した。さらに、従来のように、介護する人が介護される人を支える一方的な福祉の場ではなく、お互いに支えあうコミュニティを作ることを目標とした。それも学生たちの発案だった。学生たちがつくったコンセプトが「ノーケア・ケア」。「ケアする専門の人がいないケアの場」といった意味である。活動を継続的なものにするために、学生たちは腐心した。例えば、お互いに楽しく語り合うことのできるテーマ選びでは、「昔遊び」「働く意義」など、高齢者が教える立場に立てるテーマに力を入れた。そして交流活動の運営と平行してこれらを研究成果としてまとめ、学外の研究発表会で発表した。国立大学の専門の研究機関の先生にも会の概要を説明し、高い評価を頂いた。
学生たちにとって、また馬渡ゼミにとって、34回のヒアリングや世代間交流の活動を通して、高齢者をはじめとする多くの方々との信頼関係、すなわちつながりを築くことができたことが最大の収穫だろう。それは、自ら足を動かし行動したからこそだと学生たちは実感している。行動の中から生きた成果を生み出してこそ得られるものは大きいと学生たちが理解してくれたことは、大きな気づきだったに違いない。このつながりは今も継続し、馬渡ゼミの後輩たちに新たな気づきの機会を提供してくれている。
フィールド型の活動は、現場で学ぶプロセスを通じて学生たち自身が「関係を動かす力」を育んでいく上でも有効である。様々な立場の人々が連携しあい気持ちよく動いてもらうためにリーダーシップはどうあるべきか、活動プロセスでの試行錯誤や肌感覚での実感を通じて一人ひとりが考え、自身の「関係を動かす力」について学んでくれているはずである。

コロナ禍で見えてきたこと

著者が教えるゼミの概要を紹介した。こうしたゼミ活動がコロナ禍によって大きな試練を受けることになった。その一方で、コロナ禍による制約や議論の中から見えてきたことがある。

① ゼミが果たすべき本質的な役割や機能について、コロナ禍の議論の中から再確認できた。《環境適応性が育まれるコミュニティとなること》をゼミに共通する基本テーマとすると、環境適応性の獲得に有効な自己発見や変容を生み出すきっかけとなる気づきポイントになるということ。またそうした気づきを生み出す母体がつながりであることも重要である。前述の「ルミエール・ビバン」は、世代や地域を超えた多くのつながりを生み出す中から、学生たちに気づきを与えてくれている。

② コロナ禍は、明らかに現実の気づきやつながりづくりを阻害すること。移動が難しい、密になれないので直接会いにくい、会えてもコミュニケーションに制約がある等々によって、気づきやつながりづくりは大きな制約を受けたものと考えられる。「ルミエール・ビバン」は1年以上、対面での会を開催できないでいる。

③ 社会や環境がどう変わろうともそれを克服する工夫がゼミには必要であること。気づきやつながりの機会が減ることを看過していては、ゼミでの学修にとって非常に大きな損失を生むことになる。マイナス面の克服に加えて、変化に対応した新たな発想も必要だ。例えば、オンラインでのコミュニケーションは、場所の制約を取り払うことではリアルな対面を上回る。そうした長所を生かしながら短所を克服する取り組みが必要である。「ルミエール・ビバン」では、ネット環境を使いこなせる高齢者限定だが、ZoomやTeamsを使って会話を楽しむ世代間交流のお話し会を徐々に復活させている。対面の会の持つ「つながり力や気づき力」には及ばないものの、参加者の人となりがお互いある程度わかっているメンバーならば、十分に楽しい会になる可能性が確かめられた。

「社会と共に育つ」拠点としてのゼミ活動。大切なことは

《環境適応性が育まれるコミュニティとなること》をゼミに共通する基本テーマとしたとき、環境適応性の獲得に結び付く自己発見や変容に向けた気づきがポイントになる。すなわち、環境適応性につながる自己発見や変容が、学生が所属するコミュニティでのインタラクションによる気づきによってであるとすれば、そうした気づきを質量ともに豊富に与えてくれるコミュニティは、学生の成長にとって(実は社会の成長にとっても)望ましいコミュニティということになる。それを、どのような社会環境の変化があっても提供していけることが、ゼミの基本的役割のひとつになろう。ここではそうした役割を「社会と共に育つ」拠点としてのゼミ活動と呼んでみたい。その遂行に向け、3つ程大切と思われる点を述べる。

①価値目標づくり
ゼミごとに「価値目標像」を持ってみるのはどうだろうか。ブランディングで言えばコア・プロミスにあたるもので、そのゼミが社会に対して行う約束と考えられる。そこで明らかにすべきことは、「研究価値」をコアに、「ゼミ生たちをこう成長させたい」という「教育価値」と、「こう社会の役に立ちたい」という「社会価値」であろう。「社会価値」を定めることは、変化し動き続ける社会に価値の基盤を置いて人を育てることの確認と言ってもいい。そして、ゼミがコミュニティに根差したものとすれば、どういうコミュニティとつながるかについても明らかにしたい。
どんな新しい技術やアウトプットも、前述の「ルミエール・ビバン」のように社会が価値を認めてこそである。その意味で、価値目標像はアウトプット視点ではなく、アウトカム視点やソーシャルインパクト視点で見る必要があるのである。それが「社会価値」を定める意味である。そして今の時代、パラダイムの古い(頭が凝り固まった)大人の頭では新たな価値を探すのは難しい。
今は「答え(「価値の源」)」がどこにあるか見通しが効かない時代である。「答え(「価値の源」)」はたぶん大学の中にはない。社会の中にしかない。だとすれば、価値は学生が社会の中を動いて探し出すしかないのではないか。どこをどう探すのかは学生の自主性に任せることになる。ゼミができるのは、この研究室(コミュニティ)がどのような価値の実現を目指しているかを、ゼミ生はじめ研究室(コミュニティ)のステークホルダーに示すことだけである。

②つながりづくりと、そのためのしくみづくり
前述の「ルミエール・ビバン」のつながり以外にも、馬渡ゼミは様々なコミュニティとつながってきた。世界自然遺産登録を待つ鹿児島県の奄美大島(20138月を皮切りに毎年奄美を訪問し、毎回異なるメンバーでグループを作り、地域の様々な課題の解決に取り組んできた。中心テーマは大島紬の活性化)、爆発した御岳山のふもとの長野県王滝村(爆発で登山客がいなくなった村の活性化のために現地で長編映画を撮影し劇場公開)、栃木県の那須町(地域の交流イベントを通じた町の活性化)、千葉県の市原市(地元の鉄道会社のツアーを利用した地域の活性化)等々とつながりを築いてきた。
ゼミは、それ自身が一つのコミュニティである。と同時に、学生を様々なコミュニティやつながりの中に送り込む窓口としても機能できる。このように考えれば、ゼミは多様なコミュニティの輻輳する交差点、ということになる。そして学生たちは要のつなぎ役として、いっそう豊かな気づきの機会を得ることになる。
関係性資本としてのつながりの重要性は、社会においてよりいっそう高まるであろうと考えられる。それならば、ゼミが、その中立性を生かして、オリジナリティの高いつながりづくりの拠点となろうとすること自体に、大きな価値があることになるのではないか。馬渡ゼミは、こうした考えをもとにした(正確に言えば、試行錯誤して取り組むうちに結果的にそんな形になってきた)実験の場であるともいえる。一昨年度、文京区と奄美大島を繋ぐ相互活性化のプロジェクトの準備を進めてきた(現在延期中)。コミュニティ同士をゼミが繋ぐトライアルである。これから先、様々なコミュニティのつながりづくりにトライしたい。学生たちがどのようにつながりをつくってくれるのか楽しみである。
学生が自由に動けるフィールドの設定は大学の仕事であろう。たとえば、コロナ禍で移動が制約されても、IT等の活用で、社会との間に不断のインタラクションを可能にするプラットフォームづくりを進めることは大学側にとって不可欠な取り組みだろう。
また、連携協定を幅広く各地と結び、普段から交流を活発にし、相手の人となりをよく理解しておけば、オンラインの会話でも十分に情報交換が可能になろう。「地域教授」とでも呼ぶべき現地のプロデューサーを各地に設置し、各地のコミュニティとのつながりを常設化していければいい。

③評価の視点づくり
複数のコミュニティの結節点としてゼミがあれば、それらのコミュニティ同志をどうつなぐかは、学生たちの発想と実行力次第ということになる。コミュニティ同志をつなぐ、つながりの要になれる人材を育てたい。そしてその評価軸を設定したい。ゼミは望ましい人材像を目指すための実験の場でもある。大事なのは、社会ベースでの成長の評価、個人単位ではなくコミュニティ単位での評価、環境適応性を高めるチームの評価といった視点である。「ルミエール・ビバン」の場などを積極的に利用して、検討を進めていきたい。

「社会と共に育つ」拠点としてのゼミ活動、7つのポイント

「社会と共に育つ」拠点としてのゼミ活動について、最後にポイントを7か条に整理しておきたい。「社会と共に育つ」拠点としてのゼミ活動について、最後にポイントを7か条に整理しておきたい。

【研究の場として優れていること】
① 指導教員の研究実績もしくは経験に裏打ちされた、社会視点で見て価値ある研究テーマを持ち、日々活動している。

【ゼミ生をコアとしたインタラクションの場として優れていること】
② お互いがお互いを認め合えることで、ゼミ生たちにとって「安心・安全な場」となり、彼らの「大学生活の基地」になっている(ベース性の保証)。
③ ゼミ生たちを中心に、ゼミ内外のゼミに関わる多様な人たちが、「力を合わせて達成すべき共通の目標」を持っている。目標は架空のものでなく、実際の社会の中から見出したものが望ましい。
④ ゼミに関わる人たち一人ひとりが、自らの力を「共通目標達成のプロセスの中で発揮する」ことができる。一人ひとりに、はっきりとした貢献領域がある。
⑤ 一人ひとりの力を組み合わせ、「価値創造」に向けたアクションを展開することができる。そしてそのプロセスで、「ゼミ生一人ひとりに独自な唯一無二の活動経験」を、ゼミ生全員が各々に持つことができる(→就活の強力な武器に)。
⑥ ②から⑤の、ゼミ内外にまたがる豊かなインタラクションを通じて、「自己発見と気づきの機会」を一人ひとりのゼミ生に(そして社会に)豊富に与えることができる(→環境適応性の育成へ)。

【人間形成の場として優れていること】
⑦ ゼミ活動の場が大学の「理念実現の力」を持ち(例えば文京学院大学であれば、「自立と共生」が建学の精神)、その場に関わることで「自己を前向きに、希望と共にとらえることができる人間」に近づいていける。

コロナ一過で日常のコミュニケーションを一日も早く

本学の経営学部は2年生からゼミに入る。入ゼミテストは1年生の11月にある。今の2年のゼミ生たちと初めて顔を合わせたのは、昨年の10月頃である。それから約8か月が過ぎた。それなのにまだ、2年生とはマスクなしの対面をしていない。オンラインの時はマスクを取ったが、画像の品質には限りがある。要はまだ一度も、きちっと表情を見せあいながら100%の情報量で会話をしたことがないのである。
やはり、一日も早い沈静化が待ち望まれる。