第2章 研究探索 「生き生き働ける」人とは? 組織とは?第16回 「文化人類学」 中谷文美 氏

人生を構成するたくさんのパーツを自由に“組み合わせる”

【プロフィール】
中谷文美(なかたに・あやみ)岡山大学大学院社会文化科学研究科教授。英国・オックスフォード大学大学院博士課程修了。京都文教大学助手、岡山大学文学部専任講師などを経て、2008年より現職。専門分野は文化人類学、ジェンダー論。インドネシア・バリ島やオランダをフィールドに、主に女性労働に関する研究に取り組む。編著書に『オランダ流ワーク・ライフ・バランス』(2015)、『仕事の人類学』(2016)などがある。

探求領域

「働くこと」を巡って、人々は何を考えているのだろう

専門は文化人類学で、私の調査・研究の核になっているテーマは「労働」「仕事」です。日本に限らず、さまざまな社会において、仕事と呼ばれるものが具体的にどのような活動を指すのか、働くことを巡って人々が何を考えているのか、ここに大きな関心があります。
出発点は、1990年代初頭に行ったインドネシア・バリ島でのフィールドワークでした。当初の調査目的は、伝統的な織物生産に従事する女性の生活実態を知ることだったのですが、現地で2年間暮らす中で見えてきたのは、多くの役割をこなし、ある種板挟みになっている彼女たちの生活です。バリ島社会では、機(はた)織りや農業などといった日々の糧を得るための活動だけでなく、さまざまな宗教行事もまた「仕事」と呼ばれ、これが非常に重いのです。時間もエキルギーも大きく割かなくてはならないので、彼女たちは「経済的な活動と儀礼の両立」に悩み、さらに、既婚女性の場合は家事・育児も加わってくる。この3つの役割を果たす彼女たちの姿は私たちの社会とどう異なり、どんなところが共通しているのだろう-そう考えたところから「働くことと生きること」が大きなテーマになったのです。


オランダに見るワークスタイルの変化

90年代末から2000年代初めにかけて、日本のメディアに「ワークシェアリング」という言葉が頻繁に登場した時期がありました。その先進的事例と目されていたのがオランダです。私もちょうど同じ頃に家族とともに滞在していたので、それをきっかけに以降、調査を続けてきました。実際、女性の就労拡大に伴って人々の生活時間の配分が大きく変化したのは90年代後半。職場での有償労働と家庭での無償労働の両方に従事する人が男女ともに主流化するという社会が到来しています。ジェンダー平等の視点を背景に、労働時間の柔軟化や社会保障制度の変更など、一連の政策の導入によって、従来とは異なるワークスタイルが社会全体に定着してきたのです。もっとも、それがユートピアの実現というわけではなく、諸問題も抱えています。ただ目を引くのは、オランダ人の多くが自分なりのワーク・ライフ・バランスを実現する努力と工夫を続けていること、そして、そうした選択を支える制度があるということです。何より「バランスの取れた生活を実現したい」という思いが人々の中に根付いているように思います。

相対的な視点が、既成概念や枠組みを問い直すきっかけに

バリ島とオランダ。社会インフラも女性がやっていることも全然違うのですが、顕著に似ているのは、主婦というものに対する感覚が日本とは異なること。社会とのつながりをすごく大切にしているんです。バリ島の女性は、経済的に余裕があっても「専業主婦にはなりたくない。仕事に出れば視野が広がる」とはっきり口にするし、それはオランダ人女性も同様です。家事・育児の価値を重要視しながらも、女性が専業とするのは間違っていると。日本における専業主婦の位置付けも変わってきてはいますが、実態や捉え方のロジックが違うんですよ。そこが面白いところで、人々の日常に密着するフィールドワークは、文化人類学でいう相対的な視点を与えてくれる。それが、私たちが当然視している既成概念や枠組みを問い直すきっかけにもなるのです。

探求領域×「生き生き働く」

有償労働と無償労働は別物なのか?

家事・育児に限らず、ボランティア活動なども含めた無償労働をどう位置付けるかは難しいところです。自分がやっていることを自分で評価し、さらに周囲からの評価はどうか?となると、成果を実感しづらいし、それがフラストレーションの要因にもなり得る。社会における人の働き方を考えるとき、こういった無償労働をどう評価し、位置付けるかは、結構裏腹の関係にあると思っています。有償労働中心主義の結果というか、すべてのエネルギーを仕事に注ぐ状態を重視してきた日本企業特有の文化によって、「労働とそれ以外」という分け方が私たちにも定着してしまっています。「仕事と家庭、どっちを選ぶの? それとも両方やるの?」と、本来次元が違うはずのものを並列の関係にするのは、よくある話ですよね。

“選んだ感”が人生に対する満足感につながる

オランダの場合、例えば「仕事中心だけれど家事もやる」とか、あるいは逆とか、その選択肢には細やかなグラデーションがあります。加えて特徴的なのは、そういう環境を活かして、人々が「自分はこれでいく」を選んでいること。人生のどの段階でどのような働き方を選ぶのか、個人の選択の自由が重視されているのです。だから、現状に悩みや不満があれば仕事を変える、住居を変えるなど、人生の満足度がより高くなるようアグレッシブに動く。「次の展開を前向きに選び取る」という感覚です。オランダは幸福度の高い国として知られていますが、それは、自分の選択の結果としての人生に対する満足感の表れのような気がします。
日本は、それとは対照的。“選んだ感”が得づらい社会です。頑張っていても、何かに振り回されている感覚を持つ人は多いのではないでしょうか。こと既婚女性の場合は、日常に罪悪感を感じている人も少なくありません。職場で精一杯やっているつもりでも、男性や独身女性と同じようには働けないから迷惑をかけていると感じる。十分にケアができない家族に対しては申し訳ないと思っている……という話はよくあって、その八方ふさがりの感覚は、今の日本社会の空気からするとわかるんです。昨今の働き方改革の題目には重要な視点が入っているとは思うけれど、本当に働く人々をハッピーにする政策に結び付いているのか……いま一つ見えませんしね。従来から積極的にライフ・ワーク・バランスを提唱してきたEUに比して、日本ではなかなか本質的なパラダイムシフトが起きていないということ、そのパラダイムシフトを本気で促す政策が打ち出されていないことが、根幹にある問題なのだと思います。

「生き生き働く」ヒント

必要条件と十分条件が揃っての「生き生き」

まず前提として、「生き生き働く」には必要条件と十分条件が揃う必要があると思うんですね。「やりがい」「社会貢献」などの実感が前者で、確かにそれがないと前向きに働けないのですが、十分条件であるきちんとした処遇がなければ、結局、人は潰れてしまいます。働きすぎ、待遇がひどく悪いといった状態では、仮に本人が満足していたとしても生き生きした働き方とは言えませんし、いわゆる“やりがい搾取”になってしまうので、社会的にも認めるべきではないと思います。生き生きという状態は、「これでやっていける」「やりがいを感じられる」という両方の条件が揃ってのこと―そういう視点が重要です。

プライオリティーの変化に合わせた自由な選択を

万人のためのワーク・ライフ・バランス、それは多様であっていいと憲章にも謳われています。その上で実現に向けて肝要になるのは、オランダに見るように、自分の人生をその都度選び取っていくことだと思います。ライフの中に仕事があり、家事・育児があり、趣味や友人関係もあるというように、私たちの生活はたくさんのパーツから成り立っています。そして、それらパーツの優先順位は人生の段階に応じて変わってくる。いずれにしても仕事は一つのパーツであり、大切なのは、どの段階で何とどう組み合わせるかです。ちなみに、オランダはワーク・ライフ・バランスではなく、combinatie(組み合わせ)という言葉を使うのですが、まさに、自由自在の組み合わせによって人生は成り立っていると。だから「多様でいいんだよね」という捉え方が定着しているわけです。
自分の置かれた状況に悩みや不満を抱えるようなことがあったときは、これまでのマインドセットから自由になって、「こうでなくてもいいかもしれない」と考えてみてほしいですね。自分はこうだから、日本社会はそうだから仕方がない……と片付けてあきらめてしまわずに。状況にしても働き方にしても、必ずこうしなければならないという話はなく、別の可能性は常に開かれているのですから。

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働くことと生きること。
あらゆる人の深部に関係するこのテーマは、
個人だけでなく、社会全体の問題です。
向き合うとき、有効になるのは他社会の日常や
考え方を知ることで、文化人類学は、
その材料を提供するための学問なんですよ。

――中谷文美

執筆/内田丘子(TANK)
※所属・肩書きは取材当時のものです。