日本人の働き方を変えるために、人事は何をすべきか「サービス幻想」を打破しない限り、日本の働き方改革は進まない 鵜澤慎一郎(EYアドバイザリー・アンド・コンサルティングパートナー)

本稿で私がお伝えしたいことは以下の3点である。
1) 日本の低労働生産性問題が世界比較のなかで指摘されているが、今の働き方改革で進められている「長時間残業削減運動」だけでは本質的な問題解決はできない。世界で労働生産性の高い国は金融、ハイテク、資源を主体とした資本集約型産業国家であり、日本社会も長期的に産業構造を変えない限り、1人当たりの高付加価値創出/向上は難しい。

2) とりわけ、小売・流通・サービス業などは、日本でも従事者数が増える一方で、接客対応やシフト勤務の制約から自分の裁量や工夫で働き方や時間管理のあり方を変えることは限界があり、タイムマネジメント意識改革やリモートワーク推進による長時間労働削減とは別の手立てが必要である。

3) 根本的にはそれらの業界では個人の努力を超えて、長時間労働かつ低付加価値(≒低賃金)な産業構造を変えることが必要であり、すでに他の有識者が指摘している規模の経済性(零細家族経営モデルからの脱却)と積極的なIT活用以外に、「水とサービスはタダ」「お客様は神様」信仰から脱却し、"サービスに適正対価を支払うビジネス慣行への移行"と"先端知識や専門性を継続的に身につける能力開発機会"が今後一層求められるのではなかろうか。

労働生産性向上は、まず産業構造の違いを前提に議論する必要がある

日本政府からの強い改革メッセージに呼応するように、多くの日系企業が「働き方改革」を人事部門の個別課題という扱いから、全社を挙げて取り組む重要な経営課題の一つと認識を改めたことは大きな前進である。一方で、解決の方向性をミスリードしかねない論調には注意が必要である。例えば「労働生産性の国際比較 2016 年版」(日本生産性本部)のデータを引用し、日本の労働生産性は世界20位と下位に低迷、主要先進7カ国中最低という話をする人がいる。続いて、日本の低労働生産性問題は高度成長期から続くモーレツサラリーマンスタイル、つまり長時間労働が諸悪の根源であり、その解決はワークライフバランス向上や健康管理、少子化対策にも寄与するので、企業経営にも国家にもプラスをもたらすという論調もある。確かに仕事の成果を問われずに長時間働くこと自体が美徳となり、人事評価や昇格に反映されることは望ましくない。育児・介護世代やシニア世代のさらなる職場参画、生涯活躍のためには無駄な長時間労働はどんどん削減すべきだ。しかし結局はオペレーション非効率の改善にすぎないので、無駄な労働投入量が適正化されたとしても、従業員が高付加価値な成果を出すことには直結しないはずだ。

先の労働生産性の国際比較データで世界トップ3がルクセンブルク、アイルランド、ノルウェーであることからも明らかなように上位国は金融、ハイテク、資源といった資本集約型産業を国家戦略としており、製造業と小売・流通・サービス業が主たる従事者で構成される日本とは、産業構造からして労働生産性の前提が異なる。今の産業構造やその従事者数を所与としながら企業や個人の努力によって長時間労働を減らしても、マクロな指標としての労働生産性改善にどれだけ寄与するかは個人的にいまだ懐疑的である。さらには流行りの朝活や残業禁止令、いつでもどこでも働くことができるリモートワークの推進などを展開しても、業界毎にその効果や適用性に差があるはずで、一律対応の働き方変革運動や手法論は見直す時期に来ているはずだ。

経営観を考える『経営は何をすべきか』(ゲイリー・ハメル、ダイヤモンド社)は20世紀型経営からいかに脱却すべきかを論じた著書である。少し飛躍になるが、働き方改革を長時間残業削減運動の視点から脱却し、これまでの日本的労働集約型経営モデルから資本集約化型モデルに変える契機と捉えてみると今後の課題設定や施策は変わってくるだろう。

接客やシフト勤務主体の小売・流通業従事者はホワイトカラーのような自己裁量での働き方改革に限界がある

日本の主たる産業は何かと聞かれたら、多くの方は「モノづくりの国」、つまり製造業と答えるのではなかろうか。しかし、総務省統計局労働力調査の時系列データをみると、第三次産業(サービス業)、特に水色でハイライトした7産業だけで2016年時点の従業者割合は約55%と過半数を占めている(過去10年で大きく増えたのは医療、福祉)。

つまり、ボリュームゾーンの観点からは運輸、卸売、小売、宿泊、飲食サービス、医療、福祉といった業界に従事する方々の働き方を重点的に見直すことが日本社会全体への波及につながる。他方で、今の「働き方改革」の潮流は大企業のホワイトカラー向け長時間残業削減活動になりつつあり、その解決策は朝活推奨や残業禁止令によるタイムマネジメント意識向上策と、自宅、外出先、海外出張先で通常業務を可能とするリモートワーク推進の話になりがちだが、それらの対応策は残念ながら、小売・流通・サービス業ではそのまま適用しにくい。

サービスに適正単価をつけること、能力開発機会を増やすことを提言

この業界特有の長時間労働蔓延や低生産性の実態は、「流通業の生産性向上等に関する調査」(2016年3月:経済産業省が野村総合研究所に調査委託)や「サービス産業の高付加価値化・生産性向上について」(2014年1月:経済産業省商務情報政策局)、「日本の非製造業の生産性低迷に関する一考察」(2015年7月:日本政策投資銀行地域企画部)などに詳しい。詳細は割愛するが、日本では "パパママストア"的な零細家族経営モデル中心で規模の経済性が働かないこと、従事者の高齢問題や業界慣習などにより相対的にIT活用によるオペレーション効率化が他業界よりも出遅れていることが指摘されている(補足するとあくまで米国との対比であり、実は欧州やアジアの小売・流通業も日本と同じくらい低労働生産性である)。
この状態を変えるにはこの業界自体を高付加価値化するか、この業界従事者を他の業界(高付加価値産業)へ転職(移動)させることが必要である。

私自身が今回提言したいのは、「水とサービスはタダ」「お客様は神様」信仰から脱却し、"サービスに適正対価を支払うビジネス慣行への移行"である。
日本のおもてなし力、つまりサービス提供品質の高さは素晴らしい。配送物やホテル、交通手段の業務正確性や顧客接点でのホスピタリティレベルは海外での生活・ビジネス経験者からみれば、その差は歴然である。

しかし、"提供対価は常にサービス(≒タダ)"という日本人の認識を改めて、事業者側も消費者の過剰な要求に一律対応し、無理をして応えることをやめるのはどうだろうか。

これは「組織人事の世界観ゼミ」の参考図書『最後はなぜかうまくいくイタリア人』(宮嶋 勲、日本経済新聞出版社)にある「最高のサービスが受けられる社会は、同時に最高のサービスを提供するために厳しい労働をしなければならない社会でもあるのだ」という日本社会への指摘にも通じる。日本社会そのものがもう少しすべてのことに寛容であってよいことに加えて、サービスの違いやロイヤルカスタマーであるかどうかに対して適正な対価をつける新たなプライシングモデルの提案である。例えば現状はすべてのユーザーに対して宅配便の再配達サービスは無料であり、何回でもリクエストできる。市場原理に合わせて、再配達は有料、加えて集中する夜8-9時台はさらに特急料金にしたらどうか。そうすると手数料を払いたくないユーザーは自分で宅配センターに荷物を取りに行くようになり、手数料の収益化に加えて宅配デリバリー負荷の分散も期待できる。プレミアムサービスにプレミアムフィーを払うことも、一見客とお得意様の対応を明確に分けるのも、経済合理性から当然の対応のはずだ。実際に出張族はよくわかるはずだが、エアラインやホテルはロイヤルカスタマーかどうか、ハイクラスの席予約かどうかで窓口、ラウンジ、その後の接客対応が全く違っている。すべての小売・流通・サービス業においてもサービス対価体系を含めて、一律でなく顧客の峻別でメリハリをあえて示すことで収益性の改善が期待できる。

蛇足だが、"お客様は神様です"を生み出した三波春夫の事務所ホームページが「お金を払う客なんだからもっと丁寧にしなさいよ。お客様は神様でしょ?」というフレーズが世間でよく使われているのは故・三波春夫の主旨と異なり、完全に間違いです、と指摘しているのもまた興味深い。

能力開発機会を官民が一体となってどう増やしていくか

もう一つは、"先端知識や専門性を継続的に身につける能力開発機会"の必要性である。
労働集約的産業の従事者は年齢を重ねるごとに就業リスクにさらされる。長時間労働かつ低賃金で毎日を忙しく過ごす→結果として専門性やスキルが上がらない(教育機会もない)→年を重ねるごとに今の仕事は若手に置き換えられて、どんどん下流社会に落ちる→さらに状況悪化のスパイラルから抜け出せないというわけだ。小売・流通・サービス業も今後ITの活用や合理化を進めるためには従事者のITリテラシー向上が不可欠である。またこの業界を高収益化にするためにパパママ経営からプロ経営者によるビジネス判断が一層求められるだろう。加えて、他の高付加価値ビジネス業界への転職を図るためには、今従事している仕事以外で新たな専門性やスキルを身につけることが必須である。

残念ながら今の日本市場における職業専門教育は実質的に企業内のOJTに依存しており、また他国と比べると教育投資額は極めて少ない(この部分は石原直子さんの寄稿とあわせて読んで頂けると幸いである)。学校を卒業して社会にでたら、"意識高い系"と呼ばれるような自律的に行動できる人か、大企業勤めで体系的に能力開発機会がすでに用意されている人以外は多くの場合、自分の専門性やスキルをアップデートする機会は減っていく。しかし、これからの時代はテクノロジーの進化による破壊的イノベーションや業界のビジネスモデル変化に合わせて、先端知識や専門性を継続的に身につける能力開発機会がないと市場から取り残される人が増えていくだろう。このままではさらに小売・流通・サービス業界を中心に長時間労働かつ低賃金の環境は悪化し、貧困は拡大しかねない。一方で低生産性に苦しむ企業側だけに能力開発や教育投資を期待するのは無理がある。そこで今後の働き方改革では、能力開発機会を官民が一体となってどう増やしていくか、その仕組みづくりや投資予算編成も重要になってくるはずである。

プロフィール

鵜澤 慎一郎
EYアドバイザリー・アンド・コンサルティングパートナー
10年にわたる事業会社での財務・人事・新規事業開発経験後に2005年からコンサルティング業界に転身し、11年半の間に数多くの大規模・複雑・グローバルな人事組織設計・業務オペレーション改革・システム改革を手掛ける。HR Transformation 事業責任者やアジアパシフィック7カ国のHRコンサルティング推進責任者経験を経て、2017年4月より現職にて人事・組織コンサルティング事業領域における総合責任者となる。