労働政策で考える「働く」のこれから武石 恵美子氏『キャリア自律も、ダイバーシティも、 個人と組織の「対話」から始まる』

「自分で選ぶ」ことがキャリア自律の第一歩

中村 人生100年時代、個人のキャリア形成と、その両輪である企業の人材活用の仕組みはどのように変わっていくべきだとお考えですか。

武石 今までの仕組みを相当変えていかなければいけません。

100年という長い人生では、何らかの形で働くことにかかわる職業キャリアの期間も相当長くなります。しかも社会の変化が非常に激しい。30年おきに変化していた社会の構造変化が、5年、10年で発生するようになってくる。そうなると30年掛ける2倍ではなく、10年掛ける5~6倍の変化に応じてキャリア形成をしなければなりません。これを前提とすると、組織も個人も変わっていく必要があります。

これまでの組織は自分の組織にとって有益な人材を育成することに注力し、実際にうまくやってきました。しかし、10年掛ける6倍のキャリア時代になると10年後、20年後の人材の完成形というのはたぶん誰にもわからない。

そうなると、組織が責任をもって人を育てること自体、考え直す必要があります。これからの時代は個人が育つことを前提にすべきです。個人が自分はどうしたいのか、自分らしいキャリアをどのように創っていくのかを考えなければいけない時代が迫ってきています。

中村 変化は既に起きていますか?

武石 現実はそうはなっていないようです。ある有名企業の経営トップの方とお話をしたときに「うちの会社の強みは人材育成。幹部となる人材は計画的に育てていきたい」とおっしゃる。従業員の1割程度を選別し、育成するというのですが、30年後の経営トップ層を今から育成していくことができるのか疑問です。

会社が、自ら育てることに対するこだわりを捨てきれない気持ちもわかりますが、これからは自分はどのように育ちたいのか、どのように学びたいのかについて個人の責任に任せていくことが必要でしょう。

中村 これまでのような人材育成は難しくなるなかで、企業にできることは何でしょうか。

武石 個人に仕事を選ばせることでキャリア自律を促すことです。今までは働く場所や働き方を含めて全部企業が与えてきましたが、今後は個人がそれらを選ぶための選択肢を企業が提示していく必要があります。社内公募や副業もその1つです。

キャリアの可能性を提示され、自己責任で選び、結果は自分にはね返ってくる。自分で選んで最後は責任を取るというサイクルに持ち込むことが大事です。

ただし、これまで会社に任せる人生を続けてきた人に、自分の能力を見据えて10年後、20年後も通用するスキルを身に付けましょうといっても、それができる人は1~2割ぐらいでしょう。すぐには難しいですが、自分の将来を自分で切り拓くという方向に持っていくことが大切です。

中村 政策的な対応も必要ですか。

武石 もちろん自律的にキャリア形成できずに失敗してしまう、キャリアトランジションが増えれば摩擦的な失業も増えるでしょう。

1~2割の上の層は自助努力で乗り越えていきますが、そうでない大部分の人たちに対しては、能力・スキルを転換するための支援など政策的に最低限の保障を備えたセーフティネットの仕組みが必要です。今のセーフティネットは脆弱ですし、取り残された人たちがキャリアをつくっていくためのしっかりとした支援がもっと必要になってきます。

また、個人が自己投資をしやすくするための減税のような経済的支援もあるでしょう。

会社と個人、互いが納得するキャリアづくり

中村 会社にとって望ましいキャリア自律とは、本音でいえば、会社のなかで役割を果たし成果をちゃんと出している人材に対して、その対価として、自己実現を応援しようというものです。

会社への貢献と自己実現をバランスよく両立できる人材もいるでしょうが、それができない人もいます。どうすれば会社と個人がお互いに納得できるような形で、自律的なキャリアをつくっていけますか。

武石 自律的なキャリアをつくるには時間もかかります。

自分が自由や自律を求めるのであれば、相手の自由・自律も尊重しなければいけない。組織としてはこういう人材、こういう能力を求めていると発信しなくてはいけませんが、一方で個人にもこういうことをやりたいという思いがある。そこのすりあわせをどれだけ丁寧にできるのか、コミュニケーションが大事です。

新入社員がいきなり花形の広報やマーケティングをやりたいと言うと、上の人は「お前、何を言っている、10年早い」と言って終わり、というのが今までのパターンです。しかし、まずはそのときに話を聞く、対話することが重要です。本当に無理なことを言っていると思っても「そっちに進むのであれば、こういう経験や勉強が必要だ」と、前向きなアドバイスをすることでプラスのサイクルに持っていくことが重要です。

中村 単に話を聞くだけではなく、組織がキャリアパスをすりあわせていく。

武石 組織のなかで自律的なキャリア形成を実現するには、会社と個人、両方の主張にどこかで折り合いをつける必要があります。そのためには話し合い、つまり対話が重要になる。

お互いの主張が折り合わなければ、働く側が会社を辞めるという選択肢も出てくるでしょう。我慢して20年も30年も勤め、最後にこんなはずではなかったと言って過ごすことは組織と個人、双方にとってもったいない。自分に合わなかったという失敗も1つの経験として次の選択肢で生きてくると思います。

それらを含めて社員が自分で選ぶことができる仕組みをしっかりとつくっていくことが必要でしょう。

組織に必要となる「聞く力」

中村 個人には、自分の考えを言い続ける努力が必要ということですね。一方、組織にも「聞く力」が求められています。どうすれば組織が聞く力をもてるようになり、聞く耳をもつ上司が増えるのでしょうか。

武石 たとえばP&Gがダイバーシティ&インクルージョン(D&I)を推進していくうえで重視したのが、上司が何よりも優先して部下の話を聞くことです。部下が相談してきたらとにかく部下に向き合え、というメッセージを会社が発信しています。

D&Iを推進するには、制度、風土、能力・スキルの3つが重要です。スキルとしては「自分の意見を主張する」「相手の話を聞く」ことが求められ、それがなければD&Iはうまくいきません。周りの空気を読んで言うべきことを言わない風土ではダイバーシティの醍醐味を失ってしまいます。言うべきことをしっかりと言うことを評価しないといけません。

中村 「言う」と「聞く」はセットであり、それがないとダイバーシティは絶対に進まないということですね。

個人と組織の対話が、我々が「100年キャリア時代の就業システム」で重視している、個人のキャリアと組織のイノベーションを循環させるキーだと改めて思いました。
それを促す政策としては何が考えられるでしょうか。

武石 労働政策においても、副業や自律的な働き方を支える仕組みづくりなど、新しい労使関係、「組織-個人」の関係を前提にした政策が必要になると思います。

また、当然のことではありますが、教育は大事です。高校でもさまざまな教育プログラムが導入されていますが、学校でディベートなどの経験により、自分の意見を主張する、人の意見を聞くことを重視しているプログラムを受けてきた受験生に面接をすると、コミュニケーション力が高い生徒に出会います。こちらがどんな角度から質問してもちゃんと自分の頭で考えた言葉が返ってくるのです。

これまでの教育のように知識を覚えて正解を出す能力の養成に偏重することなく、「言う」「聞く」という能力を評価していく。政策でそういう方向に誘導していくことも必要でしょう。

中村 人材を組織が育成する仕組みから、個人がキャリアを選べるように転換していく。100年キャリア時代には、組織と個人の双方向による対話を通じたキャリアづくりが何より大事であるということですね。

「言う」「聞く」そして「対話する」力を身に付けるための教育のあり方も、大きなテーマであると改めて感じました。

執筆/溝上 憲文 撮影/刑部 友康

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次回 東京大学大学院 経済学研究科 教授 柳川 範之氏  3/29公開予定

武石 恵美子(たけいし えみこ)
法政大学キャリアデザイン学部学部長・教授
1982年労働省(現・厚生労働省)入省。ニッセイ基礎研究所、東京大学助教授を経て、2006年より法政大学キャリアデザイン学部助教授。2007年より同学部教授。人的資源管理論、女性労働論を専門とする。『国際比較の視点から日本のワーク・ライフ・バランスを考える』『キャリア開発論:自律性と多様性に向き合う』など著書多数。多様な働き方の浸透が、キャリア開発に与える影響をいち早く検証し、改善点などを発信してきたことでも知られる。

これからの労働政策

100年キャリア時代、個人の幸せなキャリアと組織のイノベーションを両立する仕組みが必要です。仕組みの鍵は、個人が自身の志向を言い、組織がそれを聞き、対話によってキャリアをすりあわせていく「個人と組織のコミュニケーション」だと、武石先生はおっしゃいました。
「労使関係の再構築」は、かねてから労働政策上重要なテーマだといわれているものの、いまだブレイクスルーがみつかっていません。
働き方が多様化すればするほど、個人と組織の契約関係は個別化していきます。集団的労使関係だけでなくミクロレベルの個別的労使コミュニケーションの重要性に着目していく必要が生まれています。

中村天江