労働政策で考える「働く」のこれから諏訪 康雄氏『個人の“キャリア権”によって、企業の生産性は高まる』

組織のイノベーションも循環の起点

中村 「100年キャリア時代の就業システム」では、キャリアトランジションを通じて個人のキャリアが組織のイノベーションにつながり、組織はその過程で、個人に「能力」の開発機会と「賃金」などの投資や分配を行うという好循環を目指しています。

諏訪 いいと思いますね。訴求力があります。このシステムでは、個人のキャリアから組織のイノベーションが時計回りになっています。

他方で、産業構造の転換など、組織のイノベーションによって否応なしにキャリアトランジションが起きて、個人のキャリアに影響を与えることもあります。あるいは人材投資と分配が組織のイノベーションにも影響する。そこで反時計回りの動きもあり得ると思うのです。

そうすると、この図は今後起こり得る状況の絵説きとしてさらに示唆深いものがあります。

「人的ネットワーク」をつくるパラレルキャリア

中村 諏訪先生は、個人が豊かにキャリアを形成するための「キャリア権」を提唱されてきました。その理念を実現するためにどんなことに取り組めばいいでしょうか。

諏訪 キャリアに対する周囲の配慮、尊重だけでなく、個々人の自覚、つまりキャリアを自分なりに管理する姿勢、キャリアマネジメントの視点が大事です。

人生100年時代になると、時間軸上を長く展開していくキャリアの全部を会社が面倒見きれるわけではない。そのなかで重要になるのが「人的ネットワーク」です。転職や独立・起業、セカンドキャリアを築くためにも20代、30代のときから自分なりの人的ネットワークをしっかりと形成し、維持していくことです。

中村 人的ネットワークを築くのに必要なことはなんでしょう。

諏訪 パラレルキャリアだと思います。

P・F・ドラッカーは、キャリアの観点から本業を持ちつつ従事するボランティアが非常に重要だと指摘しています。なぜなら、企業の多くは分業制なので、通常、全体の事業のほんの小さな部分しか経験できない。しかし、ボランティアの多くは大まかな分担のみでマニュアルや明確な指示命令系統があるわけでもない。1から10まで全部自分で考えなければいけないので結果としてキャリアを強化していくことにつながると言います。

ボランティアは金銭的対価がありません。でも、本業が忙しいなかで、どれだけの貢献をしているか、周りの人はきちんと見ている。そこでの評価や信頼が、仕事の紹介など転職につながることも海外ではあるようです。

中村 副業・兼業は、より本格的なパラレルキャリアですね。

諏訪 副業・兼業は、起業や転職につながり得るだけでなく、自分のキャリアに対する複眼の視点を与えてくれます。

違う業界を知り、これまでやってきた仕事の意味を考えることを通じて複数のキャリアのインテグレーションが起こり、時間軸の長いキャリアをより強固に支えてくれるのです。

中村 社外の勉強会などに参加する個人も増えています。主体的な学びにはどういった姿勢が必要ですか。

諏訪 たとえばデンマークでは学校の教室を開放し、地域の人たちが自主的に勉強会を開催できるようにしていて、メンバーがお互いに講師になって教えあうということをやっているそうです。講義を聴いたり、本を読んだりすることよりも、自らの経験をリフレクションし、他の人に教えることで、より深い知識理解が当人の身に付くきます。もちろん地域での人脈も広がります。

日本でも、以前は全社的品質管理活動の一環として自己啓発や相互啓発を行うQCサークル活動を行っていましたが、これはお互いに教えあう仕組みでした。QCサークル活動はさまざまな事情により衰退しましたが、今でも社内でお互いが講師をやって教えあう仕組みはつくれるし、重要な意義があると思います。

個人に権利を認めたらフリーライダーが出る?

中村 ここまで、個人のキャリアを強くしていくお話を伺ってきました。一方で、個人のキャリアを権利として認めることによって、企業側からは、権利にフリーライドする人や、権利を盾に取る人が出てくることを懸念する声もあります。この点をどう考えればよいでしょうか。

諏訪 いかなる権利でも、乱用する人は出てきますから、その懸念はそのとおりだろうと思います。

他方、一部に乱用する人がいるからといって、社会経済的に意味づけられるべき権利が重要でないことになるかと言えば、そんなことはありませんよね。

プラスとマイナスのどっちを見るかなんです。自動車を運転する権利があるからといって、暴走したり、後ろから追い上げたりいろいろな問題行為をする権利なんてありはしないんだけど、こういう乱用する人は必ず起きるわけですよね。乱用の懸念があるから、その権利は要らないなんていうと、ほんとに何にもできなくなっていく。

キャリア権について言えば、たとえば、自分が専門職としてやりたいことが明確にあって会社ともその意向を確認して入社する。自分の専門能力を高めていきたいと努力していたら、全然関係のないところに組織の都合で異動となった。「ちょっとそれ、話が違うじゃないですか」と言ったら、「嫌なら辞めてください」と言われる。これは甘受しなければいけないことなのか。

組織と個人の諸事情にも寄るでしょうが、一番伸び盛りのときに、キャリアがブツブツ分断されると、個人の能力は高まりません。合理的な理由なく配転されたとなれば、モラールダウンは避けられません。

もちろん、キャリア権自体は個人と組織の対話のなかで尊重すべき対象としてまずは現れるわけで、現行法のもとではキャリア権がただちに請求権となって、相手方に何かを請求できるようにまでの存在だとは、私も考えていません

キャリア権によって「違う饅頭」が生まれる

中村 さらに考えを進めて、個人のキャリア権と企業の成長の関係については、どのように考えていくべきでしょうか。

諏訪 日本の産業や社会を発展させようと思えば、一部の一握りの人ががんばればよいというのではうまく回りません。日本では45歳まではフルにキャリアを伸ばせても、そこから先は一部の出世していく人以外はお荷物扱いという風潮もあります。

しかし企業全体の平均年齢は、通年勤務者だと、すでに46歳となっています。今後、多くの人が70歳かそれ以上まで働くとすると45歳あたりがちょうど折り返し地点。しかもそれを超える世代が大多数になっていく。キャリア権の理念はまさにその世代の再評価と活躍の場の整備につながります。

人的資源の数は減っても質は上がってくるようになる。年を重ねると計算力、暗記力などの流動性の知能は落ちるが、経験学習をうまく組み込んでいけば結晶性の知能は上がっていくし、専門性の核をもった人材はかなりの年齢まで能力を発揮し、付加価値の高い製品やサービスを生み出していけるのではないでしょうか。

中村 先生はキャリア権がイノベーションにつながるとお考えなのですね。

諏訪 生産性の向上の基本は、1時間に既存の饅頭を10個作っていたのを15個にすることではなく、まったく違ったタイプの饅頭を考案し、一挙に高い値段で売ることだといった例えを、立正大学の吉川洋先生が述べていますが、そのとおりです。

発想というのは、何も経験していない人や専門性の核を持たない人が集まってブレーンストーミングしても大したものは出てこない。発想に富んだ人ばかりだけでなく、長い時間をかけてさまざまな学び、経験を積み重ねた人たちも加わって議論しあうことでこそ生まれる可能性が高まります。そうした生産性向上の基盤となるのがキャリア権の尊重、キャリア形成の支援だと考えています。

取り残される人を生まない法制度を

中村 「キャリア権」の背景には、そうした組織と個人のよい関係性が念頭にあるわけですね。

諏訪 そうです。個人の職業人生という視点から、もともと憲法に点在していた個人の権利を整理し、体系化すると、「キャリア権」というものが浮上してくるのではないかと考えました。キャリア権の理念を「人々が意欲、能力、適性に応じて希望する仕事を準備、選択、展開し、職業生活を通じて幸福を追求する権利」と定義し、雇用政策の立案や個人がキャリア展開する際の「法的基盤」にすべきではないかと考えたものです。

企業に人事権がある一方、労働者にはキャリア権があり、キャリアの形成と展開について両者間での調整がもっと考慮されるべきではないかという発想です。

中村 確かに憲法を基にキャリアをめぐる権利が保障されていると、現状の法制度のなかでは取り残されている人たちの施策も推進しやすくなりますね。たとえばフリーランスの教育訓練は、文科省、厚労省、経産省の従来の教育訓練施策だと抜け落ちてしまい、どういう枠組みで推進するのかから考えないとなりません。

諏訪 そうです。厚労省の管轄は雇用された労働者中心なので真正のフリーランスは、どうしても外れてしまう。公正取引委員会が不当な専属性や報酬を不当に引き下げることなどにについて独禁法政策の観点から報告書を出しましたが、まだ一歩を踏み出したにすぎません。

キャリア権はいまだ法理念の域を出ていませんので、憲法と個々の法律の中間的なものとしてキャリア基本法を立法化することが望ましいと個人的には考えています。キャリア基本法のもとで一貫した各省庁間を連携する具体的な政策をつくれればよいのではないかと提言しています。

たとえば、文科省が実施するキャリア教育は個々人がもつキャリア権の尊重に基礎づけられ、その支援をするために、キャリアを理解させる教育が必要だからなどと、一貫した説明がつくようになります。

中村 先生がキャリア権という根本的な、個人の人生において骨格となるような概念を提唱されて、キャリア教育や社会人基礎力といった形で浸透してきています。個人の人生を支えるキャリア権という概念が、「まったく新しい饅頭を作る」ような組織へとつながっていけば素敵ですね。

執筆/溝上 憲文 撮影/刑部 友康

ご意見・ご感想はこちらから

5回連載してまいりましたインタビュー企画は今回で終了です。ご意見・ご感想をお待ちしております。
次回連載 テーマ:「能力」 2018年4月23日 公開予定

諏訪 康雄(すわ やすお)
法政大学名誉教授
1977年法政大学社会学部専任講師。助教授、教授、大学院政策科学研究科教授を経て、2008年同学大学院政策創造研究科教授。2013年同大を退職し、現職。労働政策審議会会長など、政府審議会等の委員を歴任。中央労働委員会会長も務めた。専門は労働法・雇用政策。
「キャリア権」の提唱や、「社会人基礎力」の策定など、現状の雇用システムの枠にとどまらない、新時代の政策コンセプトを構築してきたことで知られる。

これからの労働政策

雇用政策の泰斗で「キャリア権」の提唱者である諏訪先生に、一番お聞きしたかったのは、「権利を認めたら権利の乱用が生まれるのではないか」という疑問でした。先生は、一部では乱用が生まれるかもしれないが、それでもなお、キャリア権を認め、尊重することが、個人のエンゲイジメントを高め、ひいては企業のイノベーションにつながるとおっしゃいます。
個人のキャリア選択が多様になるにつれ、既存の法制度や政策決定の枠組みではカバーしきれない事態が出てきます。個人の多様なキャリア選択を支える法制度の重要性を心に留めながら、調査研究に取り組んでいきます。

ワークス研究所 主任研究員 中村天江