インタビュー 『社会リーダー』の軌跡川添高志氏 ケアプロ株式会社 代表取締役社長、看護師・保健師

社名「ケアプロ」は、「革新的なヘルスケアサービスをプロデュースし、健康的な社会づくりに貢献する」という使命に由来している。様々な事情で健康診断を受けない、受けられない人たちに向け、安価で手軽にその機会を提供する「セルフ健康チェック」を打ち出したのは、2008年。"健診弱者"を救う本サービスは、文字どおり革新的なものであった。今では広く認知され、累計利用者数は28万名(2015年1月末現在)を突破。現在は、この予防医療事業とともに、24時間365日対応する訪問看護ステーションも運営する。「医療界の革命児たれ」を標榜し、川添高志氏は、業界が抱える種々の問題に挑み続けている。

「医療分野で起業する」
高校生の時に導き出した自分の将来

高校時代のニックネームは「社長」。川添氏は、高校1年生の時にはすでに起業すると決めており、周囲にもそう公言していた。直接のきっかけは、大企業に勤めていた父親がリストラに遭ったことだ。雇われる身の危うさを間近に見たことで、川添氏は、「どう生きていくか」を深く考えさせられたのである。

いい大学を出て、大企業に勤め、と、いわゆる"安全な道"を歩んでいたはずの父が、会社の経営悪化で突然リストラに遭った......これは大きな衝撃でした。僕自身、それまで安定志向があり、大企業に勤めることが成功だというイメージを持っていましたから。それが父を目の前にして、あっけなく崩れた。この時を境に、将来の生き方をすごく考えるようになったんです。そして出てきたのが、「どういう社会変化が起きても生きていける、ビジネスをつくり出せる人間になりたい」という思い。それを実現するために、起業を志すようになったのです。

この段階では「何で起業するか」は全然見えていなかったんですけど、ただ、医療や健康には関心がありました。実は僕、子どもの頃は体が弱かったんです。入退院を繰り返した時期もあり、その度に両親はひどく一喜一憂する。子ども心に「元気な姿を見せたいな」と思ったことが起点になったのでしょう、以降は栄養学にも興味を持つようになりました。だから、小学校で一番まじめに勉強したのは家庭科だったんですよ(笑)。

さらに、医療に対して一層の関心を持つようになったのは、高校2年の時に祖父を亡くしてから。病院で延命措置を受けていた最期は、管につながれた状態だったのですが、決して十分なサポートを受けられていなかった。「これって、本当にあるべき姿なのだろうか」。日本の医療は先進的だと言われるものの、何か実態とのギャップというか、そういうものに疑問を感じたのです。生きること、死ぬこと。僕は早くから、そのありようを考えさせられる場面に居合わせたんだと思います。

祖父の死後、川添氏は老人ホームでボランティア活動をするようになる。母親がホームヘルパーとして働いていたこともあり、医療や介護の現場を「見てみたかった」。最初はそんな軽い気持ちからだったが、行った施設で川添氏が目にしたのは、人手の確保や運営に窮する実態だった。このことが結果、「自分の行く道は医療分野にある」と方向づけたのである。

入浴介護のボランティアとして入ったのですが、僕には、その仕事がたらい回し的な作業に見えた。スタッフ一人で20人くらいの高齢者を見ていたからで、食事や排泄などといったほかの介助も同様です。「もう少し、ゆっくりお世話できないんですか?」。そう聞くと、返ってきた答えは、「人が不足している」。高齢者をぞんざいに扱わざるを得ない現場の実態は、けっこうショックでした。

この老人ホームは運営が厳しかったようで、利用者にも職員にも大きな負荷がかかっていました。当然のことですが、経営を改善しなければ、人手不足やサービスの質の悪さは解消できません。どうすればいいんだろう......ここから僕は、医療と経営との関係、医療政策などについて、強く関心を持つようになったのです。少子高齢化の波が来ていることもわかっていたから、この分野で何かを成せれば絶対に意義があるし、やりがいがあるんじゃないかと。明確な輪郭があったわけじゃないけれど、志していた起業の方向性は決まりました。「自分ならではの生き方」を探してきたなか、高校3年の時にその答えを導き出せたのはよかったと思っています。

医療の現場と経営を学び、
起業準備を整えていく

その後、川添氏は慶應義塾大学看護医療学部に進学。医学や薬学など、数ある医療ジャンルの中から同学部を選んだのは、これからの時代、「看護」が主流になると考えたからだ。在学中、看護学生として数多くの現場を見て回り、また、医療と経営の関係を学ぶために、川添氏は積極的にアクションを起こしていく。

病気にかかっている人や障がいのある人たちを支える仕事のメインは、看護だと思ったんです。看護は何かを"取り除く"というより、例えるなら、コップの中に少ししか入っていない水を押し上げていくためのサポートをするというか。つまり自然治癒力を高めていくお手伝い。病弱だった僕自身、食事やスポーツを通じて体のコンディションを良くしてきたという実感があるので、自然治癒力や予防医学の大切さを広めるような仕事がしたかったのです。

時代性もあります。超高齢社会を迎え、社会保障の財源は危機的な状況なわけで、延命治療の見直しや予防医学の重要性が説かれています。ヘルスケア業界で言われている、「キュアからケアへのパラダイムシフトの時代」。そんな世の中の動向と自分の考えが重なって、これからの医療は看護中心になっていくだろうと、ストンと腑に落ちたのです。

授業を通じて、病院や老人ホーム、健康保険組合などといった様々な現場に行き、医師や利用者たちの生の声を聞けたことは有意でした。大学4年間で200日くらい行ったでしょうか。一番重要なのは現場を知ることなので、この経験は、医療ビジネスをするうえで相当なアドバンテージになりましたね。

ただ、看護医療学部の先生方は、医師や看護師であって経営者ではないから、病院経営にかかわる話や知識は教えてもらえません。僕は、そこに対する焦りがあったので、ほかの学部にゲストスピーカーとして訪れる起業家の講演を聞きに行ったり、看護師として起業している方と人間関係をつくったりと、個別の動きはけっこうしていました。

在学中、川添氏はカリキュラムの一環で行われたアメリカの医療機関の視察に参加した。現在、ケアプロで展開している事業モデルに出合ったのは、この時だ。大型スーパーの片隅で、客が簡易な医療サービスを受けている光景を目にしたことで、「これを日本でやろう!」と事業の骨格が固まったのである。

アメリカで行われていたのは"Minute Clinic"というもので、文字どおり数分のクリニック。医療行為もできる看護師資格を持つ人が、ワクチンの接種や薬の処方など、日常における治療を短時間かつ安価に提供するサービスです。メニューには、気軽に受けられる健康診断もある。アメリカでは医療費がすごく高いでしょう。「病院に行くほどではないが、ちょっと診てもらいたい」というニーズを捉えた事業で、業態としても確立されています。

すごいな、便利だなと感じました。日本とは医療制度が違うとわかっていても、こういう医療サービスができない日本は遅れているという悔しさがあった。視察でたまたま知った事業モデルですが、何とか日本に持ち込みたい――そう思ったのです。

アメリカの医療機関では病院経営についても勉強しましたが、帰国してから、僕は実践を学びたくて、医療に特化したコンサルティング会社でインターンを始めました。まだ社員10人ほどのベンチャー企業だったので、会社のすべてを見ることができた。計画立案から営業、リクルーティング、資金繰り......まさに経営のイロハです。大学4年からは、名刺を持たせてもらって週5日ペースで働き、プロフェッショナルな仕事を体験できたことは、最高の修業になりました。

健診弱者を救い、予防医療を促進する
「健康セルフチェック」

見たもの、聞いたもの、その一つひとつを血肉とし、川添氏は起業に向けて確実にキャリアを積み重ねてきた。大学を卒業する頃には1000万円の起業資金をため、経営スキルも身につけていたが、卒業後、川添氏は看護師として東京大学医学部附属病院に勤務する。現場での本質的な問題、それを解決するビジネスを考え深める"仕上げ"のために。

やりたい分野は「生活習慣病の予防」と決めていたので、手を挙げて、糖尿病の病棟を担当させてもらいました。患者さんの多くは、もっと早く病気に気づいていれば重症にならずに済んだ人たちで、結局、「検査をしておけばよかった」という話になるんですよ。健診を受けていない人が、なぜこんなに多いんだろう?と疑問に思い、マーケティングのために患者さんたちにヒアリングを始めると、様々な声が出てきた。「値段が高い」「忙しくて時間が取れない」「予約が面倒」。なかでも強制を受けない主婦や、保険証を持たないフリーターや外国人にとって、健診は思った以上に敷居が高いものだったのです。

加えて、病院外でも約1000人を対象に、値段や場所、検査項目などに関してアンケートを取ったところ、値頃感としては「500 円くらいなら利用したい」という人が8割。ほかにも駅前なら便利とか、どんな検査項目が求められているか、あるべきサービスの輪郭がはっきりしてきたのです。

問題は、医療機関じゃない場所でどう実施するかです。医師を雇って診療所を構えるとなると、安価なサービス提供はとうてい無理ですから。そこでひらめいたのが、自己採血という方法。自己採血は、必要のある個人が自分で指先などから採血すること。事業としては前例がなかったんですけど、厚生労働省や保健所に確認したところ、自己採血を徹底し、検査結果に対して病名診断をしなければOKであると。アメリカですごいと思った医療サービスを、かたちは違えど日本で事業化できるメドが立ったのです。

2007年、満を持して会社を設立。人口密度の高い東京・中野区に狙いを定め、翌年には常設1号店をオープンした。生活習慣病にかかわる血糖値、中性脂肪、総コレステロールなどの検査が1項目につきジャスト500 円で受けられ、結果も数分で出る。当時、「ワンコイン健診」と称された本事業は、多くの健診弱者の心に届き、彼らを救ってきた。それは人々に対する健康管理の啓蒙活動であり、また、膨らみ続ける医療費の抑制にも資するものだった。

立ち上げ当初は、けっこう大変でした。最初、駅ナカに店舗を出そうとJRに相談しに行ったら、あまりの家賃の高さに玉砕しましたし(笑)。中野の商店街に着眼したのは、活気があり、主婦や自営業者などサービスを必要とする人たちが多いと考えたから。まずは知ってもらうために、チラシ配りから始めました。僕自身がサクラになったり、マスコミにアプローチしたり、まあできることは何でもしましたね。パチンコ店やスーパー、イベント会場などに出向いての出張サービスも積極的にやりました。

手探りでしたけど、でも、「世の中に絶対に必要なビジネスだから、失敗するはずはない」という確信はあったんです。テレビや雑誌に取り上げてもらい、口コミでも広がって、開店から半年後には採算ベースに乗りました。久しぶりに検査を受けてみたら、数値が異常だったという人はやっぱり多い。やってみて、事業の社会的意義を再確認しましたね。あまりに検査結果の悪かった人が、「すぐ病院に行ったことで命が助かった」と、感謝の言葉をくださる。健診を受けないで後悔する人たちを少しでも減らせているということは、今は日々実感しています。

気軽に健康管理ができる仕組みを提供し、市民一人ひとりが自分の健康に責任を持つような社会にしていきたいのです。「限られた資源を大切にしましょう」という環境問題と同じで、社会保障の財源にも限りがあります。例えば、難病や交通事故などのように、自己責任ではないところで十分な医療が保障される安心な社会。それを守り、維持すべきだと思うんです。

掲げるビジョンは、
「医療界のジャニーズ事務所」

2012年には、起業の原点でもある在宅医療、高齢者介護にも本格参入。運営している訪問看護ステーションは「24時間365日対応」で、在宅での療養生活を支援する様々なサービスを提供している。経験の浅い看護師は訪問看護に不向きであるとされるなか、若い人材の登用や教育に尽力し、本事業においても川添氏は、新たな事業モデル、サービスの創出に挑み続けている。

「医療・福祉界のジャニーズ事務所を目指す」。僕は、ビジョンとしてよくこんな言い方をしているんです。「ケア」と「プロ」で革新的なヘルスケアサービスをプロデュースする会社、それがケアプロの未来構想です。

例えば、栄養管理のビジネスをしたい、メンタルケアのビジネスをしたいといった、いろいろな芽が出てきた時に、重要になるのはそれらをプロデュースする力です。世の中に必要だけど、ビジネスとして成立しづらいものを、儲かるようにつくり変えていく能力ですね。僕はそこを担いたいし、様々なタレントを発掘しながら、医療業界に独自のソーシャルビジネスを提供し続けたいのです。

医療業界で変革を起こすのは、決して簡単ではありません。法律や政治の問題、既得権益者からの圧力、技術の問題......壁がけっこうありますから。でも、ブレずにあきらめなければ、どんな壁が立ちはだかっても解決の糸口は必ず見つかる。そのためには、もっともっと能力や知識が必要なので、僕は先を走る一人として、学び続けたいと思っています。

社会にとって価値あるものを提供したいという思いは強いのですが、「特段の信念を持って」というより、自然に身を任せてきた感じなんですよ。もともと「自分はどうあるべきか」を常に問うてきたので、僕にとっては"べき論"から考えたほうが気持ちよく、自然なのです。日本人として、経営者として、あるいは川添家の跡取りとして、それぞれ自分らしくありたいと思っているだけ。その「自分らしく」を形成しているのは、これまでの人生で培われてきた経験です。僕の場合は、経験からいいと思ったことは増やし、イヤだと思ったことは減らしていく――極めてシンプルな話です。僕にとって、その行動と価値を最大化していける領域が医療界だったのです。幸いにも早い段階で気づけた道なので、このままずっと突き進んでいきたいですね。

TEXT=内田丘子 PHOTO=刑部友康

プロフィール

川添高志
ケアプロ株式会社 代表取締役社長 / 看護師・保健師
1982年兵庫県生まれ、横浜市育ち。
2005年慶應義塾大学看護医療学部卒業。経営コンサルティング会社勤務、東京大学医学部附属病院での看護師としての勤務を経て、2007年にケアプロ株式会社を設立。日経ビジネス「次代を創る100人」やアショカ・フェロー、世界ダボス会議グローバルシェイパーズなどに選出。