第8章 研究展開 今後の「働く×生き生き」研究に向けて最終回(後編) 「ウェルビーイング研究」の観点から キャロル・リフ 氏

「どのような人」が「どのような種類の幸福」を感じるのか、より深い研究を

【プロフィール】

Carol Ryffさん.jpgキャロル・リフ ウィスコンシン大学心理学教授。コロラド女子大学卒業後、1978年、ペンシルベニア州立大学大学院でPh.D.(人間発達)取得。専門は人間発達、生涯人間発達心理学。1980年代後半よりエウダイモニア的な幸福(生きがいに当たるような幸福感)について研究を始め、1989年、心理的幸福感の概念を提唱、その尺度を開発。MIDUS (Midlife in the United States:中高年のストレスと健康に関する研究)と呼ばれる大規模な調査を長期間にわたって行うプロジェクトの中心メンバーでもある。

「働く×生き生き」これからの研究課題を紐解く

社会的属性や人々の健康状態を丁寧に把握する

――「生き生き働く」とウェルビーイングとの関連性は、専門家の知見からしても大きなポイントだと思います。今後に向けては、この研究と働く人々の健康とを結び付けることも重要だと考えているのですが。

リフ 次のステップとして、今回の研究を健康アウトカムに結び付けるのは良いアイデアです。一段と幸福に近づきますから。ただ、その場合には運動、喫煙、飲酒などといった行動習慣についても確認する必要があるでしょう。また、自己申告法やバイオマーカーなどで健康状態の数値を測定する方法もあります。ちょっと抵抗があるかもしれませんが、今後の研究の方向性を定めるうえで、説得力ある裏付けになると思います。結局のところ、社会は健康問題に戻ってくるんですよ。人々の健康は個人、コミュニティ、社会が良い状態でいるための究極の目的とも言えるわけで、社会は、そこで暮らす人々の健康に留意しなければならないのです。

ポジティブな側面とネガティブな側面。バランスの取れた視点を

――調査・研究をより進展させるために、ほかに重要な点は何でしょう。

リフ 先にも述べましたが、一つには働く人々の社会的属性や、仕事に求めるものの違いなどを丁寧に把握することです。そうすれば、「どのような人」が「どのような種類の幸福」を感じるかについて、より深い研究、理解が進むはずです。この研究を活用して、職場における幸福について多様なストーリーを描くというのも、面白いやり方だと思います。なぜなら、職場における幸福の感じ方は人によってさまざまであり、仕事における幸せは実際の業務内容とはあまり関係がなく、その業務を行う人の資質や性格が重要な役割を果たす可能性があるからです。そのうえで、研究成果としてまとめるには、バランスの取れた視点が欠かせません。つまり、ポジティブな側面とネガティブな側面、両方に焦点を当てて理解を深めることができれば、より有益な調査となるでしょう。

――日本人の働きがいは、1981年をピークに20年近く下がり続けてきて、その後も横ばいで推移しているという内閣府のデータがあります。そこには、働き始める前の一部の学生が働くことに対してポジティブになれないという問題もありそうです。

リフ それはとても興味深いですね。今後の調査の中で、自身の仕事経験についてポジティブかネガティブのどちらか一方に偏って表現する人がいたら、そうした考えがどこから来ているのか聞いてみるといいでしょう。なぜそのように感じるのか、過去に受けた教育と関係があるのか、個人的な経験がそのような考え方につながっているのか、その仕事は本当にネガティブな側面しかないのか、といったことをぜひ聞いてみてください。

――確かに、職場にはさまざまな側面があり、一人ひとりにあった仕事のウェルビーイングをきちんと理解するには、バランスの取れた視点が必要ですね。

リフ そう。いいこと、悪いこと、仕事には常にいろんな側面が混ざり合っていますから。数年前だったか、日本の過労死という言葉を聞いたとき、非常に深刻な社会問題だと感じました。職場からの仕事の要求度が高すぎることで、実際に人の死期が早まる可能性があるという点で、客観的にも、仕事は人の命にマイナスの影響を及ぼし得るということです。もちろん、仕事上のネガティブな点は全く気にならず、関心があるのは仕事以外の時間の過ごし方や、人との交流だという人もいるでしょう。ただ、いずれにしても大切なのは、バランスの取れた視点を持つこと。見落としている部分に、日本の職場におけるウェルビーイングについての真の問題が隠れているかもしれません。
一般的に研究は、ポジティブな方向かネガティブな方向か、どちらか一方の答えを得る前提で進められることがあります。でも、今後もっと理解が進むべき職場における幸福感研究や、私のようにメンタルや体の健康に携わる者にとっては、バランスに配慮し、全てを伝えることが義務ではないでしょうか。

――ありがとうございます。これまで、「生き生き働く」ことに直接踏み込んだ研究はほとんどありませんでしたから、今回のプロジェクトは、私たちにとっても新たな発見や学びが多くありました。それらを今後に生かしていきたいと思います。

リフ 過去を振り返っても、仕事や働くことに関する研究は経済的観点や社会生産性的観点で行われ、個人の幸福という観点での研究は極めて少数ですからね。その点において、皆さんが働く人々の職場における幸福について時間をかけてデータを集め、研究を行ったことは素晴らしいと思います。そして、仕事を通じて得る幸福は人によって異なることを研究成果として発表するだけでなく、それらを実際の職場で生かそうとしている点でも。MIDUSも生き生き働く研究も、単なる心理学ではなく、科学的根拠に基づき、経済、健康、そして職業経験など複数の分野を横断しているので非常に興味深いですし、私たちは同じ道筋に立っていると言えます。昨今、働く人の幸福についての関心は、ますます高まっています。これは日本だけのことではありません。先進国、あるいは世界に共通する重要なテーマですので、今回の研究の中に新しい方向性を示すものがないかを考察しながら、より一層進展させていってほしいと思います。


執筆/内田丘子(TANK)

※所属・肩書きは取材当時のものです。