DX時代の人材戦略=リスキリング第5回 海外で広がるリスキリングの取り組み

AT&T だけでなく、いまや多くの企業がリスキリングに取り組んでいる。今回は、世界最大のEC 企業Amazon.com(以下Amazon)と小売りの雄Walmartの取り組みや、企業のリスキリングを支えるプラットフォーマーを紹介しつつ、なぜ今、内部育成に関わるリスキリングが重視されているのかを解説する。

全体の底上げを目指すAmazon

VOL_5.jpg世界的なデジタルジャイアンツの一角であるAmazonは、2019年7月、2025年までに7億ドルを投じて米Amazonの従業員10万人をリスキリングすることを発表した。従業員1人あたりの投資額は約7000ドル(2020年8月末の為替レートで約75万円)となり、企業の従業員リスキリング事業としては最大規模だ。

発表によると、Amazonが求めるのは、データマッピングスペシャリスト、データサイエンティストやビジネスアナリストなどの高度なスキルを持つ人材である。具体的なプログラムとして準備されているのは、非技術系の従業員を技術職へ移行させる“Amazon Technical Academy”、テクノロジーやコーディングといったデジタルスキルを持つ従業員の、機械学習スキルの獲得を目指す“Machine Learning University”などであり、デジタルスキルの全体的な底上げを目指していることがわかる。

VRを用いたリスキリングに臨むWalmart

世界最大の小売りチェーンWalmartは、社内研修にバーチャルリアリティ(VR)を用いている。2016年に試験的に5店舗にマシンを導入し、2018年9月には約1万7000台を全米の店舗に導入した。

たとえば、年に1度の大規模セール「ブラックフライデー」のような発生頻度が低いイベントや自然災害などのトラブルに備えて、実際の経験がない従業員でも即戦力となれるように、VRを活用して実践的なスキルを身につけるプログラムがある。また、ネットで注文した商品を店舗で受け取るサービスのための専用機械「ピックアップタワー」をはじめとした新たな設備を店舗に導入するなどの場合にも、VRを用いて事前に取り扱い方法を身につけることが可能になっているという。小売業でも次々に新たなテクノロジーが導入されることは間違いない。Walmartは従業員が小売りのDXに対応できるスキルを獲得することを、テクノロジーを使って支援しようとしているのだ。

広がる汎用プラットフォームを活用したリスキリング

AmazonやWalmartほどの大企業であれば、従業員のリスキリングに膨大な資金を投じることができる。しかし、多くの企業では、リスキリングのプログラムを自ら構築したり、そのための大規模な投資を行ったりすることは難しい。
そこで鍵となるのが、プラットフォーマーの提供するオンライン学習プログラムだ。Salesforceの“Trailhead”やUdacityの“MOOC”は、すでに一般向けの無料オンライン学習プラットフォームとして知名度が高いが、これらのプラットフォーマーは近年では、企業とその従業員のリスキリングのためのプログラムも提供するようになりつつある。たとえば英国のCircus Streetは、Sanofi(製薬)、Orkla(食料品サプライチェーン)、Nestlé(食品製造)などの欧州企業に対して、DXを見据えた従業員教育プログラムを提供している。企業による従業員のリスキリングも、すべて自前で準備するのではなく、プラットフォーマーの提供するサービスをうまく活用しながら始められるのだ。

なぜ今、「Buy」ではなく「Make」が重視されているのか

これまで、戦略転換に伴う人材ニーズの変化は、リストラと新規採用(Buy)で解決するのが米国企業の主流だった。米国でのリスキリングの興隆は、それが内部育成(Make)に変化しつつあることを意味する。なぜそんな変化が起きたのか。市場、企業、個人の3つの側面からその要因を探ってみよう。

市場:人手不足
まず大きな要因として、人材不足がある。データサイエンスやAI・機械学習などの高度なスキルの保有者はそもそも労働市場に多くはない。DXの波は全産業に及んでいるため、これらの人材の獲得競争は必然的に熾烈になる。この競争では、多くの場合GAFAのようなデジタルジャイアンツや勢いのあるテックベンチャーが勝利し、多くの企業は負けてしまう。外部から採用できない以上、内部育成するしかないということになる。

企業:コストパフォーマンスの高さ
ペンシルベニア大学ウォートン校の調査によると、採用(Buy )のほうがリスキリング(Make)よりもコストが高いわりに、採用後1~2年間の生産性が低い。また、内部育成すれば、企業文化を維持できるというメリットも指摘されている。総合的に見て、内部育成のほうがコストパフォーマンスがよいという判断が、企業には生まれつつあるのだ。

個人:成長機会の重視
個人が企業に求めるものも変わりつつある。“Employee Experience”という言葉の流行が示すとおり、ある企業で働くかどうかを個人が決める要素として「どのような体験をさせてくれるのか」が重要になっている。この観点では、自身の学習や能力開発に、企業がどの程度コミットしてくれるのか、という“ 学習環境”も重視される。変化の速いDXの時代には、職そのものを保障してくれるかどうかではなく、いつでも職を得られるようスキルの習得に投資してくれるかどうかのほうが重要であると、個人も気づいているのだ。

これからの時代は、「人を育てる」という組織能力のある企業しか選ばれなくなるのかもしれない。

本記事は「リスキリング ~デジタル時代の人材戦略~」14-15ページから作成しています。