成功の本質第97回 AfriMedico

アフリカの家々に「置き薬」を展開
セルフメディケーションを促進

置き薬マネージャーのムトロ氏(左)と、置き薬を設置している家族。タンザニア、ブワマ村にて。
Photo=AfriMedico提供

300年の歴史を持つ日本発祥の「置き薬」が、東アフリカのタンザニアで医療環境を改善するための事業として導入されている。場所は同国最大の都市ダルエスサラームから車で3時間のブワマ村と隣のムレゲレ村。現在両村で約100世帯に、その名も「OKIGUSURI」と呼ばれる薬箱が置かれている。下痢止め、咳止め、鎮痛剤、塗り薬、マラリア検査キットなど12、3種類が常備される。
利用者は必要時に必要分を使用し、代金は後払い。補充と新規の顧客開拓はブワマ村に設置された置き薬ステーションに常駐する置き薬マネージャーが家々を回って行う。薬について説明し、相談にも乗る。置き薬ステーションには、ダルエスサラームの医薬品卸会社で調達した医薬品が届けられる。代金は、普及が進む携帯電話によるネット決済で回収される。
この置き薬事業を推進しているのは、「アフリカの住民に健康と笑顔を届けること」をミッションとする日本のNPO法人AfriMedico(アフリメディコ)だ。メンバーは現在34名。ほとんどが本業を持ちながら、自分の専門やスキルを活かして参加したプロボノとして参加し、40歳前後が中心だ。活動は平日夜と土日に行われる。メンバーたちがそのミッションに共感して集まったAfriMedicoは、代表理事で薬剤師の資格を持ち、外資系製薬会社に勤める町井恵理のアフリカでの原体験から始まった。

救えなかった乳幼児の命

町井は大学の薬学部在籍時代、インドを旅行した際、マザーテレサの施設で孤児たちの世話を体験し、「ボランティアに目覚めた」。外資系製薬会社に入社後も休暇のたびにボランティア活動を続けたが、6年後に「長期的に取り組みたい」と退職し、青年海外協力隊に入隊。西アフリカのニジェールで感染症対策に従事した。
現地は識字率が低いため、ラジオや紙芝居で啓発に注力。当初、アンケートをとると感染症の知識の正答率が20%程度だったのが、2年後には80%にまで伸ばすことができた。ところが、住民は「マラリアの予防には蚊帳が有効」と理解しても、蚊帳を買う余裕がなく、どこで買えるかも知らなかった。疲労と栄養不足で倒れるまで奮闘しても、自分は人々の行動を変えることはできなかった。「私は何をやっていたのか」。無力感に苛まれた。
ショッキングな出来事もあった。ある村で乳幼児を抱えた母親が、「子供が高熱を出している。病院に行くお金をちょうだい。日本人はお金持ちでしょ」。200円ほどだったが、「渡せば自助努力をやめてしまう」と断った。苦渋の決断だった。1カ月後、村を再訪すると子供は亡くなっていた。従来の支援活動のままでは限界がある。自分に足りないものは何か、自問した。町井が話す。
「人の意識や行動を変えるには、現地の人々を巻き込んだ新しい取り組みを始めなければならない。私にはそのためのマネジメント能力が決定的に欠けていました」
帰国後、別の製薬会社に転じると、社会人向けMBAプログラムを提供するグロービス経営大学院に通った。起業を前提にビジネスモデルを考案する科目があり、町井は薬学生時代に学んだ置き薬の仕組みを活用したアフリカの医療環境改善をテーマに選んだ。担当教員は事業の困難さを危惧し再考を促した。町井は100個の代案を考えた末、諦めきれず、置き薬事業を再提案した。教員も認めてくれた。町井がそのときの思いを話す。
「ニジェールでも、政府に申請すれば地域に医薬品が届くはずなのに届かなかった。薬を街まで買いに行くにも交通費が高い。農業が主な生業で、収入は収穫時期に限られる。家庭まで医薬品を安定供給するには、使用分を後払いする置き薬が最も適している。目指したのは、自分の健康に責任を持ち、軽度な身体の不調は自分で手当てするセルフメディケーションを定着させることでした」

Photo=AfriMedico提供

悪循環を好循環に転換する

町井恵理
AfriMedico 代表理事
Photo=鈴木慶子

2014年4月、町井はAfriMedicoを立ち上げた。1年後にNPO法人格を取得。事業の候補地としてタンザニアが選ばれたのは、偶然の人脈の連鎖による。AfriMedicoのメンバーの知人に、薬学生の国際的組織、国際薬学生連盟にかつて参加していた人物がいた。その知人は町井のプロジェクトに共感。学生連盟時代の知り合いに国際電話を入れた。相手はタンザニアにある欧州系商社に薬剤師として勤務し、薬学会の若手リーダーとして幹事を務めるジェフリーだった。タンザニアの農村部でも、病院が遠い、医薬品が身近に入手できないなど医療環境が悪く、多くの子供の命が失われていた。ジェフリーは医療アクセスの悪い地域について改善が必要と思いつつ、インフラ整備を待つしかないと考えていた。置き薬なら現状の課題を乗り越えられるとその導入を即断。地元の薬学生に声をかけて現地チームをつくると、友人で改革に前向きなブワマ村の若き村長ユスフに導入の先例になってくれるよう求めた。
村長は快諾。2年半の準備期間を経て、2017年1月、置き薬ステーションを開設。2軒の家に置き薬が配置された。置き薬マネージャーには看護師資格を持つ村の青年ムトロを村長が紹介してくれた。現地に赴いたAfriMedicoの海外戦略担当の理事、青木基浩が話す。
「ムトロと一緒に1軒目のお宅を訪ねたときのことです。子供が皮膚病で困っていました。ムトロは症状を見て、すぐに真菌に効く薬を出し、塗ってあげました。母親はとても喜び、置き薬を置いてくれたのです。日本の置き薬が初めてアフリカに渡った。感慨無量でした」
2017年9月には、ムトロの活躍で隣村のムレゲレでも展開が始まった。
発展途上国での生活支援といえば、ノーベル賞受賞者ムハマド・ユヌスが創始した、貧困者向けの小口金融サービス(マイクロファイナンス)が有名だ。本業で医療関係のコンサルティングファームに勤める青木によれば、置き薬事業も似た構造を持つという。
「『貧困→医療教育不足と劣悪な住環境→病気→就業が困難→貧困』という悪循環のうち、貧困という大元(おおもと)に小口金融が入ることでこれを断ち切り、就業を支援して好循環に変える。置き薬事業も、医療教育不足と病気に働きかけることで好循環に転換する。置き薬事業の目的の1つには、医療を通して就業を支援し、雇用を創出することも入っているのです」
町井は、「5年後にはタンザニアの総人口の1%にあたる約50万人に置き薬が届くようにし、国の制度として認めてもらうことが目標」という。それには成果を示すエビデンス(科学的根拠)が求められる。医薬品の効果の調査方法を学ぶため、町井は連携を受け入れてくれた東京女子医科大学に研究生として通い始めた。

IT化による置き薬の進化

ムレゲレ村で、町井氏がマラリアの予防法を教える紙芝居を村人に見せている。町井氏が青年海外協力隊の一員として赴いたニジェールで啓発活動に使っていた紙芝居をAfriMedicoのメンバーが英語とスワヒリ語に翻訳した。
Photo=AfriMedico提供

現在、置き薬用の医薬品は現地で入手できる欧州や中国の製品を使っているが、将来的には日本の製品を導入するため、国内メーカーとも連携し、承認申請の準備も開始した。それは、「国内市場が縮小するなかで、日本の製薬業界の発展にも寄与したいから」だと町井は言う。
「特に日本で衰退傾向にある置き薬業界については、アフリカでビジネスモデルを進化させ、それを日本でも導入して、もう一歩活性化させたいと思っています」
その進化について、青木が次のように説明する。
「日本の置き薬の営業スタッフは家々を訪問し、1~2時間話し込みます。顧客の健康状態だけでなく、家族構成、生活習慣、趣味嗜好まで把握している。これは病気関連だけに限られる一般的な医療データと比べ、はるかに豊富な顧客情報です。これを日本の置き薬企業は活かせなかった。一方、アフリカではゼロからのスタートなので、置き薬事業が今後拡大していくなかで、顧客情報をビッグデータとして活用すれば、顧客の個別ニーズに対応するパーソナルマーケティングも可能になる。アフリカで置き薬のイノベーションを起こし、逆輸入するのです」
データ処理にはITが必要になる。ソフトウェア会社に勤務し、IT担当として参加している安食(あじき)敏宏が話す。
「今は日本の支援者や寄付金などのデータを管理しているだけですが、ゆくゆくはアフリカの顧客管理を行うようになるでしょう。医薬品についても、現地スタッフから各家庭の薬箱のなかの写真を撮って送ってもらい、画像認識で使用状況を自動的にデータ化するシステムに取り組んでいるところです」
江戸時代の置き薬には、「懸場帳(かけばちょう)」といって、得意先が使用した薬などの情報を記録した顧客台帳があった。
「私たちは懸場帳をデータベース化する。IT化は重要な課題で、それが現代版の置き薬です」(町井)
AfriMedicoでもう1つ注目すべきなのは、プロボノ活動がメンバーたちの本業にも好影響をもたらしていることだ。彼らは、日本では戦略立案、医療教育のための資料作成などの後方支援、薬剤承認申請の手続き、製薬やIT系など支援企業との連携などを担当する。
ある日曜日の午前、拠点のある東京・御成門のシェアオフィスで開かれたミーティングをのぞいた。参加者は9名。町井は1歳半になる子供同伴だった。いつもの光景のようで、議事進行役の町井に代わり、男性メンバーが面倒を見ていた。
広報担当の理事で事務機器メーカー勤務の山口牧子によれば、「うちの組織はすごくオープンで、メンバー同士も年齢に関係なくニックネームで呼び合う。町井はマッチー、私はマッキー。上下関係などまったくない。みんな一緒で、それがそれぞれの力を引き出しています」
この日は、メンバーのなかで最年長、56歳の安食も参加していた。ニックネームは「アジー」だ。
「私の会社はコンピュータのことしか知らない人間ばかり。ここはさまざまな業種職種の人がいて、日本の縮図。違う視点を持つことができるんです」(安食)
前出の山口も、「入会してからどんどんリーダーシップの力がついてきた」と町井。本人いわく、「それは理事になって、決めなければならないことが増えてきたからでしょう」。勤務先も山口のプロボノを応援。その活動に対して社内表彰制度の「社会貢献賞」を贈った。山口はアフリカのソーシャルビジネス関連については社内で最も知悉(ちしつ)した人材となり、従来はなかったアフリカ出張も任された。プロボノの意味について町井が話す。
「パラレルワークが個人の能力アップにつながる。お金で報酬を払えない分、プロボノ活動の経験を活かし、本業で報酬につながればいいと思っています」
AfriMedicoの現在の収入は支援企業からの寄付金や助成金、会員の会費が中心で2016年度は約400万円。今後は置き薬事業を収益の柱に育てていく計画だ。

2016年8月、ケニアのナイロビで開かれた第6回アフリカ開発会議に、AfriMedicoがNPO法人としては唯一、参加を果たした。左から、現在、理事を務める山口氏、AfriMedicoの現地スタッフの1人、ジェフリー氏、同じく理事の青木氏、プロボノの鈴木真理氏。右の図版はそのときに展示したポスターの一部で、置き薬のシステムが英語で解説されている。
Photo=AfriMedico提供

うちの国にも置いてくれ

置き薬事業の海外展開では、日本財団が2000年代からモンゴル、ミャンマーなどで導入した例があり、モンゴルでは遊牧世帯からの往診依頼数が減少するなどの成果を上げた。日本財団はそれぞれ数千万、あるいは、数億円の援助金を投入した。一方、AfriMedicoは、資金力でも、組織力でもはるかに劣る。それでも、置き薬のイノベーションを目指そうとするその活動は、ミッションに共感した人々や企業のつながりが生み出す力の大きさを感じさせる。
将来的にアフリカ全体へと広がる可能性も見えている。アフリカの開発をテーマに、日本政府が主導し、国連などと共同で3年ごとに開催されるアフリカ開発会議が2016年にケニアの首都ナイロビで開催されたときのことだ。AfriMedicoも展示会に出展。ケニア、ナイジェリア、コンゴなど、多くのアフリカ諸国の人々から、「うちの国にもOKIGUSURIを置いてくれ」「私たちも手伝いたい」と次々と声をかけられた。それは日本が生み出した知恵への共感だ。置き薬事業がさらに広がり、セルフメディケーションがアフリカの地に根づく日を期待したい。(文中敬称略)

Text=勝見明

資本主義の歪みを正すには「公」と「民」のほかに第3の柱が必要となる

野中郁次郎氏
一橋大学名誉教授
資本主義により利潤が追求されていくと、1つの帰結として自由と平等のバランスが崩れ、格差問題をはじめ、社会的な歪みが生じる。各国の政府は財政難や政治的混乱などを抱え、十分には対処できない。そこで、「公」でも、「民」でもないNPO法人などの中間組織の役割が重要になる。
共通善を志向する中間組織が1つのプラットフォームを提供し、政府、企業、大学、地域社会など多様なステークホルダーを巻き込み、「知のエコシステム」を生み出す。集合知によりイノベーションを起こして、それぞれがWin-Winになる関係性を構築し、歪みを正していく。
世界的経営学者であるカナダ・マギル大学のヘンリー・ミンツバーグ教授も著書『私たちはどこまで資本主義に従うのか』のなかで同様の論を展開している。政府セクターと民間セクターのほかに、いずれにも分類されない社会事業、社会運動などの「多元セクター」を加えた「3本の脚」で社会のバランスをとるべきである。多元セクターは強力なコミュニティをベースに形成され、これを担う人々は知恵を発揮し、「未来の世代と地球を救わなければならない」と教授は説くのだ。
AfriMedicoはまさに中間組織であり、多元セクターにほかならない。特徴的なのは、メンバーが本業と「兼務」する形で企業の境を超えてプロボノに参画していることだ。そのため、人間の知の幅が企業の枠組みを超えて広がっていく。一人ひとりの持つ専門的な情報や知識が知恵となり、無限の集合知を生む原動力となる。だから、資金力のないNPO法人でも社会を変革する事業を興せるのだろう。
置き薬という、日本が歴史的に蓄積した知がアフリカで発展的に活用されている点も興味深い。日本では衰退傾向にある置き薬事業をアフリカの地で最新のテクノロジーも適用して再創造し、ステップアップさせる。『イノベーションのジレンマ』で知られるハーバードビジネススクールのクレイトン・クリステンセン教授も、ある仕組みについてそれ以上の発展に限界があっても、ほかの地域の異なる文脈に置かれると、破壊的イノベーションが起きる可能性を指摘している。
展開先の地域でのステップアップは、製造業における生産技術や人材育成などの例が多く見られるが、置き薬という、一種のマーケティングの手法においても成り立つことを示す例としても注目すべきだろう。
野中郁次郎氏
一橋大学名誉教授
Nonaka Ikujiro 1935年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。カリフォルニア大学経営大学院博士課程修了。知識創造理論の提唱者でありナレッジマネジメントの世界的権威。2008年米経済紙による「最も影響力のあるビジネス思想家トップ20」にアジアから唯一選出された。『失敗の本質』『知識創造企業』など著書多数。