大人が再び学んだら内多勝康氏(テレビ局アナウンサー → 医療・福祉施設の職員)

ようやく専門家への一歩を踏み出せた

Uchida Katsuyasu
国立成育医療研究センター「もみじの家」ハウスマネジャー

転身のプロセス

1986年 22歳〜
大学卒業後、アナウンサーとしてNHKに入局。高松局を皮切りに大阪・東京・名古屋局などに赴任。『首都圏ネットワーク』『生活ほっとモーニング』などを担当する一方で、新人時代から関心のあった福祉に関連する取材を継続的に行う。

2011年 47歳〜
日本福祉教育専門学校の通信教育課程に入学し、2013年、社会福祉士の資格を取得。『クローズアップ現代』で医療的ケア児と家族の現状を取材したことが転機となり、2016年、NHKを退職して「もみじの家」に転職。

2018年現在 55歳
施設の長として、予算など事業計画の策定と、広報活動全般に携わる。また、社会福祉士としても「支援を必要とする人と支援する人・制度とを結びつける」仕事に全力を注ぐ。

在宅で医療的ケア(*)が必要な子どもと、その家族を支える医療型短期入所施設「もみじの家」の初代マネジャーに就任して3年目。内多勝康氏は現在、広報活動を中心とした同施設の事業運営に奔走している。30年間務めたNHKを辞めたのは52歳のとき。思い切った転身だが「振り返れば、アナウンサーとして歩んだキャリアは、今の仕事のための長い助走期間だった気がします」。
内多氏と福祉のかかわりは新人アナウンサー時代から始まっている。あるボランティア協会が主催する祭りの司会を務めた折に、初めて障がい者と正対し、"埋もれた声"を耳にした内多氏は、福祉に関する番組企画を継続的に提案するようになった。「なかでも印象深いのは、自閉症の男性公務員を取材したドキュメンタリー番組。職場である老人ホームでタオルを何百枚もきちんと畳み、お風呂も完璧に磨く、そんな彼の行動や興味の偏りを生かした仕事ぶりを紹介したものです。まだ自閉症への社会理解が浅く、私にも『気の毒』という勝手な思い込みがあったのですが、彼の確かな仕事を見て、あらためて価値観がリセットされました」
自閉症を治すのではなく、「ありのままでいい」というメッセージを伝えた同番組は反響を呼び、とりわけ福祉関係者間で共感を生んだ。以降、福祉にかかわるシンポジウムや講演などに呼ばれるようになり、内多氏の活動の場や人脈は広がっていく。

社会福祉士の資格を取得

50歳を前に、内多氏は「社会福祉士の資格を取る」と一念発起し、日本福祉教育専門学校で学び始めた。
「自分なりに勉強していても、福祉の実践家や専門家と話をしていると、どうしても追いつけない感覚があったんですよ。歴史や制度も含め、いつかちゃんと体系立てて学びたいと思っていたのです。当時、名古屋局に単身赴任していて、わりと自分の時間が取れたのでチャンスだと。通信制で勉強し、実習も愛知県内の福祉施設でできたから、なんとか続けられました。在職中で負担はあったけれど、久々の学生生活は思いのほか楽しかったですね」
国家試験にパスし、社会福祉士の資格を取得したのは2年後。入学した頃は「定年後に何か役立てばいいな」くらいの気持ちだったが、結果、この資格取得が転職機会につながる。番組取材を通じて縁のあった国立成育医療研究センターから、「創設するもみじの家の初代マネジャーに」と声がかかったのである。
「定年までまだ時間がありましたし、もちろん迷いました。娘たちにかかる学費なども計算し、まずは経済的に破綻しないことを確認したりして(笑)。ただ、もみじの家は公的医療機関が運営する日本初の短期入所施設で、新しい支援モデルづくりに参加するチャンスを逃したくなかった。それに、私のような"外の血"を求めてくださったわけで、ならば役割はあるはずだと思い、新天地に踏み出す決心をしたのです」

新しい仕組みづくりへの挑戦

内多氏の主な仕事は、予算など事業計画の策定と、メディア対応や講演会といったこれまでのキャリアを生かした広報活動である。高齢者や障がい者と同様に、子どもの世界でも介護が必要になっていることは、まだまだ社会に認知されていない。「もっと喚起していかないと。医療的ケア児は社会で支えなきゃいけない、そう思ってくれる人を増やすことが重要です」─埋もれた声に耳を傾け、社会にさざなみを起こしていく活動は、放送を通じて内多氏が取り組んできた営みと一致する。
もみじの家は、全国に広がる支援モデルになり得るかどうか、試金石としての注目も集めている。広げていくには、収支の安定した施設運営を実現することが先決課題だ。
「運営費の6割は公的制度からの報酬や補助金などで賄い、あとは寄付金に頼っているのが現状です。手厚いケアで利用者のニーズに応えているのは確かですが、寄付金に頼らずとも収支トントンでいける運営を実現しないとモデルケースにはなれません。医療的ケアは医療と福祉のハイブリッド型支援なので、医療制度からも診療報酬を底上げしてもらえるよう、行政に働きかけをしているところです」
将来的には、高齢者の地域包括ケアシステムのように、医療・福祉・教育が連携した地域包括ケアを実現させたいという。「全体像が見えてきたぶん、大変なこともわかった」が、それ以上にはっきりと感じているのは、新しい仕組み、事業を創造するやりがいだ。
「アナウンサー時代はいろんなテーマを料理しなくてはいけなかったけれど、今は一転、1つのことに深く継続的に取り組んでいます。ようやくスペシャリストになるための一歩を踏み出せたかなと。この先どう環境が変わっても、専門家として生きていけるよう研鑽を積んでいかねばと、日々心を新たにしています」

Text=内田丘子(TANK) Photo=刑部友康

(*)退院後、医師の指導の下に保護者などが日常的に行っている人工呼吸管理や痰の吸引などの医療的介助行為。これらを必要とする医療的ケア児は、全国に1万7000人以上(2015年度厚生労働省)と推計されている。