成功の本質第96回 アグリガール/NTTドコモ

たった2人から始まった非公式な組織が国も巻き込むプロジェクトへ

ロゴが入ったオリジナルTシャツを着たアグリガールたち。熊本県南阿蘇村にて(写真上)。日本最大の干拓地・秋田県大潟村に県農産部の職員とともに立つアグリガール004の川野千鶴子氏(写真下左)。NTTドコモの男性社員がアグリガールとともに動く機会も増えた。アグリガール076の佐藤奈穂氏(写真下中)。2017年7月、アグリガールは総務省と連携し、ほかの企業や団体も巻き込みながらIoTデザインガールとしても活動することに。東京の麹町で行われた地域IoT官民ネットの設立総会にて(写真下右)。
Photo=NTTドコモ提供

NTTドコモ(以下、ドコモ)に、「アグリガール」を名乗る女性社員が北海道から沖縄まで、各拠点にあわせて約100名いる。ドコモの農業ICT(情報通信技術)化事業の最前線を担う営業部隊だが、公式な組織ではなく、リーダーもいない。農家と接点のある仕事に携わっていれば、誰でも自己申告で参加できる非公式なネットワーク組織だ。
産声をあげたのは2014年秋。物語はその1年前、東京本社の第一法人営業部に1人の女性社員、入社20年の瀬戸りか(現在、日本電信電話に在籍)が異動してきたことから始まる。瀬戸は第一法人営業部長で執行役員の古川浩司(現・取締役常務執行役員法人ビジネス本部長)から、「ドコモで手つかずのところは農業だ。JA(農業協同組合)を攻めろ」と命じられた。
瀬戸はまず、1年かけて回線契約の面からアプローチし、巨大組織JAとのパイプをつくり上げた。一方、その間、大手IT企業各社を連携や協業を求めて回ったが、そちらは成果が得られなかった。瀬戸が話す。
「大手は既に農業ICT化事業に大規模投資を行っていました。ドコモは後発で担当は私1人。相手にされませんでした。同じ土俵に乗って、独自にソリューションを開発しても勝負にならない。ドコモの強みを活かそうと、スマートフォンなどで使える農業に必要なコンテンツを探し始めたのです」
そんなとき、ベンチャー企業が開発した、牛の分娩事故を防ぐ「モバイル牛温恵(ぎゅうおんけい)」というシステムが見つかった。センサーで母体の体温を監視し、分娩の兆候が表れたらメールで通知する。畜産農家では適切なタイミングで出産の介助ができないことで子牛が亡くなる事故が一定頻度で発生していた。瀬戸にこの牛温恵の販売が託されたのと同時期に、7期下の有本香織が異動してきた。

つなぎに着替え、長靴を履く

コンビを組んで営業を開始したところ、予想外の反応を経験することになる。畜産業界の商談の場はどこも男性ばかり。女性の営業は珍しがられ、幹部クラスも出てきて、話に関心をもってもらえた。農業関連の世界では、女性の希少性が営業活動を後押しする。ならば、それを前面に押し出そう。2人は自らを「アグリガール」と名乗ることを発案。古川の了解を得て、名刺にも明記し、「001」「002」と番号もつけた。
2人は牛温恵をドコモの全国網で販売するため、営業拠点を回りながら、コミュニケーション能力に優れた女性社員を見つけてはアグリガールにスカウト。地方出張に出るほかの営業担当にもスカウトを依頼。アグリガールの存在が全社的に広まるにつれ、自分から手をあげる女性が次々と現れるようになった。牛温恵の顧客を訪ねるときは、つなぎの作業着に着替え、長靴を履く。それは新鮮な体験だった。有本が話す。
「たとえば、『牛温恵があると牛のそばにずっといなくてもすむので、子供に、明日、運動会見に行けるよと約束できるようになった』と心から感謝される。こんなに喜んでもらえる商品を取り扱えてよかったという声がアグリガールたちから聞かれるようになっていきました」
アグリガールには、初めは「楽しく仕事をしよう」という感覚もあったが、各地で活躍の事例が現れるにつれ、「アグリガールとは何か」が問われるようになった。
「牛温恵の販売は仕事であり、評価の対象になります。同時に分娩事故の防止という、社会課題の解決にも携わっている。アグリガールはそういう存在ではないかと感じるようになったのです」(瀬戸)
2人は次のコンテンツを探し求め、東大発のベンチャー企業、ベジタリアと出会う。ベジタリアは、水田の水位や水温などをセンサーで測定し、スマートフォンなどを使って遠隔地からも確認できる「パディウォッチ」など、農業ICT化のアプリケーションを開発していた。
そのグループ会社で新潟生まれのベンチャー企業が、新潟市から相談を受けた。新潟市では、廃業した農家の水田をほかの農業生産法人が引き継ぐ例が増えていたが、水田が分散し、管理の効率化が課題となっていた。

役員がメンターになる

モバイル牛恩恵のユーザー、長崎県壱岐市の繁殖農家の人たちと写真に納まるアグリガール008の中嶋雅子氏(後列左から2人目)。中嶋氏はこの界隈にすっかり溶け込んでいる。親しみを込めて、生まれたばかりの子牛に「中嶋雅子」と命名した農家もあるほどだ。
Photo=NTTドコモ提供

事情を知った2人は現地へ急行。2015年5月、新潟市、ベジタリアグループ、ドコモが連携する実証プロジェクトを発足させた。農業生産法人の協力を得て、300の水田にパディウォッチなどを導入、業務の効率化を検証する。刮目するのは、市の担当者との最初の対面から、わずか2カ月で連携発表へとこぎ着けた、そのスピード感だ。ここに、アグリガールならではの1つの特質がある。
「それは役員との関係で、アグリガールが手がけているとなれば、メンターとして応援してもらえる。階層を飛び越えて相談できるので、一気に案件を進めることができるのです」(瀬戸)
「実証プロジェクトも、新潟市が農業の国家戦略特区なのでPRになる、と役員に話し、即OKをもらいました。移動中の電車内で、ほんの数分のことでした」(有本)
この実証プロジェクトはその後、農林水産省も巻き込んで、全国43道府県が参画する大プロジェクトへと発展する。
一方、地方発の取り組みも次々生まれた。たとえば、九州ではアグリガールが地元の海苔の漁業協同組合と、水温や塩分濃度を測定するICTブイを使った実証プロジェクトを立ち上げた。事業領域は、稲作、畑作、水産、養豚、さらには農業の枠を超え、ICTを使った地方創生関連へと拡大。アグリガールも3年間で約100名へと増加し、自治体、JA、ベンチャー企業などを巻き込み、結びつけては各地で成果をあげていった。
メンバーは入社10年目以上が半数を占めるが、1〜3年目も2割近くいる。新入社員で参加する例も多い。その1人、ドコモCS新潟支店法人営業部(ドコモCSは地域での業務を一元的に担う子会社)のアグリガール035、松本英里子に会いに新潟へと向かった。

東奔西走するアグリガール

Photo=鈴木慶子、勝尾仁

松本が運転する車に同乗し、日本酒の人気ブランド「越乃寒梅」の蔵元、石本酒造へ。松本の新潟での取り組みは、社長の石本龍則とのふとした出会いから始まる。
入社初年の2015年、新潟支店に仮配属された松本は「新潟のためになることがしたい」と、地元企業を飛び込みで回っていた。石本酒造を初めて訪ねたのは11月。担当者が不在で、後で再訪することにして、隣の駐車場にいた男性たちに「近くに昼食をとれる店はないか」と尋ねた。そのなかの1人が石本で、一緒に食事をすることに。「ドコモの技術で役に立ちたい」「困りごとはありませんか」。熱心に話す松本に石本は耳を傾けた。
石本酒造では、酒米を他県から調達するのではなく、地元での栽培に挑戦しようとしていた。翌12月に本配属になり、アグリガールとなった松本は水田センサー「パディウォッチ」の利用を提案。酒米栽培での利用は県内では前例がないため、実験を開始することにした。
良質な米を育てるには、水田センサーのどのデータを、どう活用すればいいのか。農業は未知の世界。松本はゼロから学びながら、農家、石本酒造、地元JA、県の担当部署、県立醸造試験場を回っては、何が課題で、どんな情報が必要なのかを聞き出し、実験のサイクルを回していった。
そんな松本の活動を知った瀬戸と有本は、支援のため、東北で水田センサーの活用で先行していたドコモ東北支社のアグリガール005の金田直子を紹介。金田の助言も得ながら、稲の刈り取り時期を台風が到来する前に的確に割り出すなど、実験は着実に成果をあげていった。水田センサーの活用は、全県規模で行われるほかの品種の酒米の栽培プロジェクトへも広がった。松本が話す。
「水田センサーは業務効率化の効果を前面に打ち出しています。でも、私はもう一歩踏み込んで、どうすれば酒米の品質向上に役立てられるかを示したかった。それが、本当に新潟のためになる付加価値だと思ったからです」
松本について、石本はこう語る。
「何かを生み出したいという情熱を秘めた松本さんがいたから、実験を続けられた。出会ったときから、一緒に取り組みたいと思わせる熱意を感じさせる人でした」
取材に訪れたのは2018年3月下旬。松本は4月からドコモ九州支社への転勤が決まっており、その日は石本酒造への最後の訪問日でもあった。
「あとは後輩のアグリガールが引き継いでくれます」
別れ際、社員一人ひとりをハグする姿が印象に残った。
松本と金田のように、アグリガールは日常的にメールやSNSなどで情報を共有し、組織の違いを超えて連携し合う。「アグリガールのなかでもメンターの関係が生まれている」(瀬戸)という。
松本と石本のように、顧客との間でも仕事の利害を超えた共創の関係が生まれる。アグリガールでは「夢を共有する」という意味で「ラブリーな関係」と表現する。「名刺に『アグリガール002』とあるだけで、お客さまに関心をもっていただき、一気に距離感が縮まる。会話でも、みんな『すごいです』『素敵です』といったポジティブな言葉で自分の気持ちを素直に伝える。すると、コミュニケーションも円滑になって仕事もどんどん進む。スピード感はそこからも生まれるのです」(有本)

IoTデザインガール発足

また、大手IT企業との違いを瀬戸はこう表現する。
「IT企業の方々は、システムをお客さまに説明する際、難しくなりがちです。一方、アグリガールは、『メールが来ますよ』『田んぼに置くだけですよ』と簡単に伝える。いわば技術と現場をつなぐ『通訳』です。農業のICT化やIoT(モノのインターネット)化に関心のない人たちにも理解を広めるには、そんな通訳が必要なのです」
技術と現場をつなぐ「通訳」。その位置づけが、2017年、アグリガールにさらなる進化をもたらした。総務省が地域でのIoT化を推進する自治体や企業を支援する「地域IoT官民ネット」の設立総会で、アグリガールの事例発表を求められた瀬戸と有本は、総務省に1つの提案をした。日本全体でIoTの普及促進に取り組む女性を育成する「IoTデザインガール」のプロジェクトを立ち上げる。これが承認されたのだ。
設立総会には、約40の企業・団体からIoTデザインガールの1期生が集合。以降、65名が6チームに分かれ、ワークショップを重ねて、IoTの企画提案を練り上げていった。2018年には2期生の活動がスタートする。
最初は2人だけだったアグリガールの活動が、国を巻き込むプロジェクトへ。そこへ、新たなメンバーが次々集まってくる。その意味合いを瀬戸はこう話す。
「完全に男女平等になったら、アグリガールもIoTデザインガールもなくなるでしょう。でも、今は『ガール』というくくりが使えるので、上手に使って、社会課題を1つでも多く解決していきたい。アグリガールであることで、仕事で成果を上げられて、同時に生きがいややりがいも見つけられる。こういうことを本当の働き方改革というのではないでしょうか」(文中敬称略)

Text=勝見明

消耗戦より機動戦が重要
知的機動戦を戦うには利他と共感力が問われる

野中郁次郎氏
一橋大学名誉教授
戦い方には消耗戦と機動戦がある。消耗戦は物量で圧倒して勝つ。トップダウンの階層組織が適する。機動戦は迅速な意思決定と兵力の移動・集中により戦う。状況に応じてあらゆる手段を駆使する戦略がとられ、自律分散的なネットワーク組織が向く。孫子は機動戦を説く。農業ICT化で大手IT企業は大規模投資で消耗戦を展開し、後発で弱小部隊のドコモは機動戦で戦った。興味深いのは、アグリガールという女性社員の非公式ネットワークが機動戦の第一線を担ったことだ。
新潟の松本氏は石本氏との初対面のときから、顧客の懐に飛び込み、思いを共有する伴走者となった。それは孫子が最善とする「戦わずして勝つ」の究極のあり方を思わせる。
瀬戸氏と有本氏はわずか2カ月の速さで自治体、ベンチャー企業を巻き込み、農作業効率化の実証プロジェクトを立ち上げた。機動戦によって国家戦略特区への注目を集め、それを突破口に、各地のアグリガールをはじめ、営業部隊を動員して全国展開する。機動戦で一点突破した後、消耗戦に転じ、最後は勝つという一点突破全面展開の戦略的シナリオだ。
アグリガールに学ぶべきは機動戦の戦い方だ。企業社会ではとかく、組織の階層が重視されるが、アグリガールは役員と共感で結ばれたメンターの関係を介して階層を飛び越える。同じく共感で結ばれたネットワークをめぐらせ、横の連携もとり、垂直水平両方向で知識創造の機動力を発揮する。
相手と向き合う際も、分析的にとらえようとすると傍観者的になりやすいが、アグリガールは相手への共感から入るため、知の共有が加速される。また、アグリガールは、権力志向や利己の意識ではなく、「人のために役立つ」という共通善を志向するため、多様な当事者を引きつける引力をもつ。権力志向の強い組織はサイロ化しやすいが、アグリガールがかかわると、利他の心とそれにもとづく共感力によって、サイロの壁が溶けていく。
一人ひとりが知的機動戦により、多種多様な組織や人々を結びつけ、巻き込んでいくには、アグリガールに見られるように、利他や共感といった、人間の生き方に根ざした人間力が問われるのだ。
働き方と生き方は重なる。人間は生き方が満たされたとき、真に知的生産性を発揮する。昨今の働き方改革の議論は働く「量」ばかりに集中するが、問題は「質」だ。その点、アグリガールは働き方改革につながるとの瀬戸氏のとらえ方は正鵠を射る。
野中郁次郎氏
一橋大学名誉教授
Nonaka Ikujiro 1935年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。カリフォルニア大学経営大学院博士課程修了。知識創造理論の提唱者でありナレッジマネジメントの世界的権威。2008年米経済紙による「最も影響力のあるビジネス思想家トップ20」にアジアから唯一選出された。『失敗の本質』『知識創造企業』など著書多数。