成功の本質第91回 テクニクス/パナソニック

「機能価値」より「感性価値」に徹した
ピアニス卜でもあるリーダーの手腕

新生テクニクスのフラッグシップモデル、リファレンスクラスR1シリーズ。フロア型スピーカー、ネットワークオーディオプレーヤー、パワーアンプで構成される。価格は全部で500万程度
Photo=パナソニック提供

ジャズが流れ始めた。音は左右のスピーカーから出ているのに、真ん中で生演奏しているような錯覚に陥る。JR大阪駅前、グランフロント大阪にあるパナソニックの高級オーディオブランド「テクニクス」の試聴室。プレーヤー、アンプ、スピーカー2本、合わせて約500万円のセットの音の再現力に圧倒される。イヤホンに慣れた若い世代は初めて聴く音の響きに感動するという。
テクニクスは彼らの親世代には憧れの的だった。高音質のハイファイ(*1 )ステレオが普及し始めた1965年、松下電器産業(当時)は専用ブランドで市場に参入。既存のレコードプレーヤーはモーターの回転をターンテーブルにベルトで伝えたが、双方を直接つないだダイレクトドライブ方式を世界で初めて開発し、その名を馳せた。以降も「世界初」「世界一」を連発。1970年代には「車はベンツ、ハイファイはテクニクス」を標榜し黄金期を迎えた。
やがて「映像の時代」に入ると市場は縮小。2000年ごろから商品開発は実質的にストップする。ー方、ダイレクトドライブのプレーヤーはDJが曲を流しながら手で回転を変え、リズムを刻む奏法に適したため、世界中で愛用された。これも2010年に生産中止。ブランドは途絶えた。

テクニクス復活宣言

小川理子
パナソニック 役員 アプライアンス社 副社長 兼 ホーム工ンターテインメント事業部長 兼 テクニクス事業推進室長
Photo=太田未来子

4年後−。2014年9月、ベルリン。欧州最大の国際家電見本市IFAの会場にピアノの生演奏の音が響いた。正面に文字が浮かぶ。「Rediscover Music/Technics」。テクニクスが音楽を再発見する。演奏を終えた小川理子(みちこ)が開発責任者としてステージに立ち、「テクニクスの復活」を宣言した。音響技術者でプロジャズピアニスト。「男性優位、技術優位」のオーディオ業界で、技術と音楽、両方を知る女性がリーダーを務めたこと自体、新生テクニクスが音の価値を再発見する意思を示していた。
「惑星直列」−小川はテクニクスが復活できた理由を惑星が太陽に向かってほぼ一直線に並ぶ現象に例える。テク二クスという太陽に向け、惑星たちが直列していく。最初の動きは技術者たちの草の根的な活動だった。核となったのは井谷哲也。1980年入社。テクニクス初のCDプレーヤ一を手がけた。その後は映像系に移るが、2010年、オーデイオ系開発もまとめて統括するようになり、井谷のまわりに音にこだわりを持つ同志が集まり始める。
ITの進歩で、ネットからCDをはるかに上回る情報量のハイレゾ(*2)音源を入手できるようになった。「今ならテクニクス時代の人間も多少残っている。高級オーディオ機器をつくれる最後のチャンスかもしれない」。同志たちは自主的にアンプの試作を開始。その技術を使ってミニコンポを商品化すると、高く評価してくれた海外の評論家から、「テクニクスブランドで出しては」との声があがった。
高評価を得たことで、商品企画や営業部門も自信を持ち直線上に並び始める。事業化を社長の津賀一宏に上申。津賀は一度は押し戻したが、内外で依然テクニクスの認知度が高いことを知り、GOサインを出した。2013年8月、プロジェクト発足。社内公募に「また音響をやりたい」と幅広い人材が集まった。半年後の2014年3月27日、事業方針説明会で津賀は社員に向け、「機能重視から感性重視ヘフォーカス」を明言。具体的な取り組みとして「テクニクスの復活」をあげた。2日前、開発責任者の辞令を受けたばかりの小川は、それを聞いて異動の意味を納得した。本人が話す。
「デジタル時代の差別化戦略として感性価値を追求する。会社をどう改革するか、大局から判断したのでしょう。私はテクニクスの感性価値を高めるためのラストピースとして選ばれたのです」

(*1)ハイファイ High fidelity (高忠実度)の略で、再生される音が原音に忠実であることを指す。
(*2)ハイレゾ High resolution (高解像度)の略で、従来のCDよりも音が志密度であることを指す。

リーダーの役割は「音の決裁」

3歳でピアノを習い始め、音大進学も勧められた。母親が妊娠中によく歌った童謡を聴くと特別な感情がわいたことから人体に関心を持ち、大学では生体電子工学を学んだ。「音にかかわる仕事」を求め、1986年、松下電器の音響研究所へ。先進的な音響技術の開発に携わったが、バブル崩壊後、組織は解散。心の隙間を埋めるようにジャズピアノを弾き始め、やがてプロデビュ一を果たす。仕事ではネット事業、ついでCSR活動にかかわっているとき、異動の辞令が下りた。
「音への情熱と技術を持った技術者に、ここまで行こうと目標を示し、この音ならいけると判断する。音の決裁。私の最大の役割でした」(小川)
2014年5月に着任。IFAでの発表まで5カ月。試作を試聴すると「30点以下で何の感動もなかった」。小川は「音と技術とデザインのどれもが世界最高水準」を「ブランドのフィロソフィー」に掲げた。そして、「いい音とは何か」を「音が生まれる瞬間のエネルギーと生命力を感じ、長く聴き続けても心地よいと感じる」と定義。この定義をもとにサウンドコミッティと呼ばれた評価会で技術者たちとの「バトル」が繰り返された。小川が話す。
「音の生命力が感じられなければやり直しです。重要なのは伝える言葉でした。私はリスナーと技術者の橋渡し役で、この音がどの物理特性(波形など)、どのスペック(設計方法)に関連するのかが伝わるようにしなければなりません。イメージを言葉にして共有することがいちばん困難でした」(小川)
ー方、技術者たちはどう受け止めたのか。1978年の入社以来、テクニクスの製品開発に携わった三浦浩ーは海外の工場から参加し、具体的なものづくり面の統括を担当した。三浦が話す。
「理想の音に対する感じ方は同じでしょう。ただ、理想に対し、商品化においてどの程度の『いい音』にするか、どのくらいの価値を実現するかで違いが出る。それを合わせていくのが難しい問題でした」
技術全般のリーダ一を務めた井谷も、「ダメ出しのあとは小川の言葉をもとに、原因は回路なのか部品なのか落とし込んでいく。人間の耳に聞こえても測定値に表れないものもあり、そこはまさに感覚で判断するしかない世界でした」と語る。
機能価値であれば数値などで客観的に目標を示せるが、感性価値は主観の問題になる。実際、「最初は主観と主観の間に距離があった(小川)。それをどう合わせていったのか。小川が話す。
「常に音を介在させ、感じたことを言葉で表現し、それがスペックで解決されると主観の距離が近づいた感じがした。このフィードバックを何回もやっていくと、互いに『あ、これだ』と思うところに到達する。それが音の決裁をする瞬間でした」

世界中から2万5000名の署名

テクニクス復活の象徴となったレコードプレーヤー、SL-1200GAE。「変わることなく、すべてを変えた」がキャッチコピーだ。価格は33万円。
Photo=パナソニック提供

女性を意識したマイクロコンポ。OTTAVA SC-C500。正面と左右270度に音が広がる独自の工夫が凝らされている。価格は20万円。
Photo=パナソニック提供

こうして迎えたIFA2014。テクニクスの復活が発信されると、思わぬ動きが起きた。かつて人気を誇ったテクニクスのプレーヤーSL-1200シリーズは累計350万台を売り上げた。海外の熱烈なファンがネットで世界中に呼びかけて2万5000名もの署名を集め、生産再開を求める嘆願書を送ってきた。技術の断絶を理由に反対論が多いなか、小川は開発を決断。ここでまた奇跡的な惑星直列が起きる。
まず、レコード針を取りつけるトーンアーム。1970代にプレーヤー工場で工場長務めた人物が大阪でベンチャー企業を興し、ここに元部下のOBたちが集まっていた。モーターの技術もグループ企業の元社員が起業した会社にあるのを探し当てた。彼らは進んで参加してくれた。社内にもプレーヤーの修理を一人で黙々と引き受けていた職人肌の技術者がいた。最新デジタル技術も加え、蘇ったSL-1200GAEが2016年4月、1200限定予約受付される、33万円という価格が国内300台は30分で完売。海外分も9月までに全台数が売れた。
小川は若い世代、特に「オーディオ=男の趣味」という観念の外にいる女性層にもテクニクスの「いい音」を知ってもらうための駒も打った。開発のコンセプトは「牛乳パック大のスピーカーで部屋中に音が響き、どこにいてもいい音が聴ける」。「重くて大きいほどよい音が出る」という音響の常識に反したが、それが逆に知恵を生んだ。通常は前方に向けるスピーカーユニットを上下に向けるなどの数々の発明につながる。2015年11月、欧州でクリスマス商戦用に先行販売したマイクロコンポ(日本での価格20万円)は「OTTAVA(オッターヴァ)」(オクターブの意)の愛称がつけられた。
「3年間で核となる商品カテゴリ一を確立」の戦略どおり、テクニクスは2016年までに、旗艦のリファレンスクラス、OTTAVAなど普及版のプレミアムクラス、中間のグランドクラスを揃え、欧米を中心に23カ国に展開。ついには世界最高峰のオーケストラとのコラボレーションヘと結びつく。

ベルリン・フィルとの協業へ

井谷哲也
パナソニック アプライアンス社 ホームエンターテインメント事業部 テクニクス事業推進室 CTO/チーフエンジニア
Photo=太田未来子

三浦浩一
パナソニックアプライアンス社 ホームエンターテインメント事業部 テクニクス事業推進室 主幹
Photo=太田未来子

2016年末、バナソニックはベルリン・フィルハーモニ一管弦楽団からのオファ一を受け、技術開発協業契約を締結。ベルリン・フィルのコンサート映像のネット配信事業において、高い技術力を買われ、映像ではパナソニック、音響ではテクニクスが協業することになった。その一環として、テクニクスの若手技術者がベルリン・フィルに派遣され、現地で音響の文化と技術を学ぶ試みも始まった。現在、社内でただ1人の女性役員となり、家電の社内カンパニー、アプライアンス社副社長へと昇進した小川が話す。
「かつての技術者は科学の領域から先、芸術には踏み込まないとの考えがありました。しかし、顧客と感動を共有するには芸術を深く理解しなければなりません。ベルリンに派遣される若手が新しい発見を次の商品に活かしてくれるでしょう」
パナソニックはなぜ、テクニクスを復活させることができたのか。1つにはブランドカの強さがあったのは事実だろう。問題はそこにどんな価値を付加するか。旧ブランドは機能価値では最高級だったが、新たに感性価値で差別化する。そのとき、使い手の感性とつくり手の技術を自らの言葉で結びつけ、技術者に明確なベクトルを示して力を集中させることのできるリーダーがいかに重要かをわれわれは学ぶべきだろう。(文中敬称略)

Text=勝見 明

家電メーカーは「質の経営」を目指せ
多様な人材による相互主観性が知を生む

野中郁次郎氏
一橋大学名誉教授
20世紀、家電メーカーは「量の経営」に邁進し、「機能競争」に明け暮れた。それが21世紀に入り、「質の経営」が求められるようになっている。
デジタルの世界は大規模投資の勝負となり、行き着くところ価格競争に陥る。パナソニックのプラズマテレビの失敗はその典型だった。津賀一宏社長は家電事業を「質の経営」に転換し、デジタル時代だからこそ「感性価値」というアナログの知に差別化の源泉を求めた。そのシンボリックな取り組みがテクニクスブランドの復活だった。
では、どうすれば感性価値を高めることができるのか。小川氏はサウンドコミッティにおいて、技術者たちと「今、ここ」の文脈を共有し、ともに音を体感しながら、知的対話を触発する共体験の場を重視した。そこには互いに主観を共有する「相互主観性」のプロセスを見ることができる。
それぞれ違う主観を持った当事者が向き合い、対話を通して相手の主観を一度、受け止める。そのうえで自分の主観も入れ込むことにより、1つ上の次元の「われわれの主観」を生み出す。これが相互主観性だ。次元の高い主観を持つことにより、技術者たちも「経験知の引き出し」を駆使し、発想をジャンプさせる「跳んだ仮説」により矛盾を解決する。相互主観性のプロセスをスパイラルに回しながら、「あ、これだ」と感じた瞬間に各自の感覚質が一致し、皆の思いが形式知に変換され、新たな価値が創造されていく。
このプロセスでは互いに経験の幅が広く、経験の質量が豊富であるほど大きな価値を生むことができる。その点、刮目すべきはパナソニックの人 材の多様さだ。技術者とピアニストの二足のわらじを履くリーダー。草の根で研究を始めるほど音にこだわりを持つ技術者たち。部長職をなげうってテクニクスの販売の第一線に立った人物もいたという。多様な人材を許容する自由な風土が現場にあるからこそ、OBたちも馳せ参じたのだろう。
相互主観性は小規模のベンチャー企業では成り立ちやすく、感性価値も生み出しやすい。ただ、大企業であっても経験の質量豊かな多様な人材が知的機動力を発揮すれば可能なのだ。ベルリン・フィルヘの技術者の派遣も人材を育てる。テクニクス復活は21世紀の「質の家電メーカー」におけるアートとサイエンスを総合するイノベーションの1つのモデルを示している。
野中郁次郎氏
一橋大学名誉教授
Nonaka Ikujiro 1935年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。カリフォルニア大学経営大学院博士課程修了。知識創造理論の提唱者でありナレッジマネジメントの世界的権威。2008年米経済紙による「最も影響力のあるビジネス思想家トップ20」にアジアから唯一選出された。『失敗の本質』『知識創造企業』など著書多数。