労働政策で考える「働く」のこれから企業の人材投資と転職増は両立するか

活発化する転職が能力開発を変える

冒頭のコラム『100年キャリア時代、転職を未来への「機会」にするために』で触れたように、近年、転職によるキャリアトランジションが増えている。100年キャリア時代には、転職という組織間横断のキャリアづくりはその重要性をより一層増し、さらなる拡大を見せることだろう。

そうした世の中において、組織内でのキャリアづくりに重点を置いてきた企業の能力開発の意義が問われ始めている。今回は、転職が当たり前の社会における企業の能力開発について考えたい。

組織コミットメントを追求する企業

まずは、企業組織を超えるトランジションである転職が当たり前の社会が、企業の能力開発に与える影響について考えたい。

企業は採用において、候補者と企業との相性のよさを勘案する。「組織コミットメント」という概念があるが、これは「組織の目標・規範・価値観の受け容れ、組織のために働きたいとする積極的意欲、組織にとどまりたいという強い願望によって特徴づけられる情緒的な愛着」※1などによって構成され、いわば"所属する組織との相性のよさ"を表す概念の1つである。組織コミットメントの高い社員は転職しにくいという傾向がはっきりしており※2、採用に際しては、これまでの経験や保有する技能に加えて、この組織コミットメントが入社後高くなりそうかを考慮に入れている企業が多いのではないだろうか。

辞めにくい・転職しにくい社員に対しては企業としても、研修やOJTなどによる投資を行っても十分なリターンを期待でき、長期的な人材育成・人事戦略を描きやすい。また、組織との一体感が生み出す、生産性向上や良好な勤務態度といった恩恵も企業は期待できる。こうしたなか、企業の能力開発に対する考え方については、たとえば、「労働者の能力開発方針は企業主体で決定する」とする企業は76.1%※3に達しており、企業が主導的に社員のキャリア形成を図るという傾向は依然として残っている。

個人のキャリア志向は境界横断で変幻自在に

個人の側に視点を移してみれば、社会・産業の変化が加速するにあたって、組織を頼みとしすぎない自律的なキャリアを志向することが求められており、単一の企業内での安定的なキャリアを志向する「組織内キャリア」に代わって、「バウンダリーレス・キャリア」や「プロテアン・キャリア」といった方向性がかねてより提示されている

「バウンダリーレス・キャリア」は1つの企業に限定されず、企業、職務、産業、国という境界を超えて展開するキャリアである。企業によってよりもむしろ市場や情報ネットワークによって評価されるという特徴を有する。シリコンバレーで活躍するIT技術者の分析を通じて生まれた概念であり、企業を横断的に移動しながらキャリアを形成していくキャリアである。

「プロテアン・キャリア」は、変幻自在なキャリアという意味である。組織ではなく個人が主体的にキャリア形成に取り組み、地位や給料などにより組織・他者から評価されることよりも、個人の仕事における満足度や成長感などの心理的成功を目指す。この心理的成功のためには、自分は何がしたいのかという「自己理解」と、これまでとは異なる環境への「適応」が必要であるとされている。

いずれの考え方にしても、企業横断的な移動(転職)との親和性の高さが見られる。個人の側には、特定組織への帰属意識以上に、自分自身のキャリアを追求するようになりつつある。現代において"自分で自分のキャリアを作り上げたい"という個人の傾向は強く※4(「自分で職業生活設計を考えたい」割合:68.0%)、キャリアの主導権についての考え方については、企業と個人で真逆の傾向を示している。こうなると企業にとって人材の定着は不確かなものとなっていく。

企業主導で行われてきた能力開発

こうしたキャリア観は、転職を厭わず自分でキャリアを設計し学習活動を行うことの重要性を強調するが、能力開発においては企業の役割はまだまだ大きい

現在、正社員の95.4%、正社員以外でも87.5%が勤務先の会社からの費用の補助を受けて自己啓発活動を行っている※5。また、個人の学習活動については、主な活動は「インターネットでの調べもの」や「読書」であり、「通学」や「セミナー受講」など本格的な費用負担が必要な活動は限定的※6であり、次の一歩を踏み出すための学び直しなどの活動を本格的に行おうとした際には企業のサポートが重要な位置を占めている状態である。自分でキャリアを設計することが重要視される現代においても、社会人の学びのサポート主体となっているのは企業である。

さらに、企業が従業員に対して直接行うOJTやOFF-JTによる能力開発は、日本における社会人のスキルアップの中核をなしている。たとえば、OFF-JTと自己啓発支援を比較すると、労働者1人当たりの企業支出額は4倍以上となっている※7。なお、OJTとOFF-JTではOJTをより重視するという企業は74.6%※8に上っており、日本における能力開発はOJTを基本としOFF-JTによって補われており、きわめて周辺的な部分を自己啓発が担っているいえるだろう。企業によるこうした能力開発によって、個人から自社に還元されやすい、企業内特殊技能を中心とした能力開発を行ってきたのである。

転職が当たり前の社会で
能力開発は企業主導のままでいられるか

このように社会に出てからの人のスキルアップは、現在においても企業が実施・支援ともに中心となっている状況がある。転職が増える時代において、企業の役割をどう考えればよいだろうか。

転職が容易になれば企業が能力開発、人材の育成を行う直接的な意味を喪失する。人材育成上の問題を抱えている企業のうち、43.8%が「人材を育成しても辞めてしまう」ことを問題点として挙げている※9

また、能力開発について企業が支出する費用について2006年と2016年を比較すると、企業の教育訓練費は1,541円から1,008円へと低下しており、給与以外の労働費用に占める割合でも1.8%から1.3%へと低下している※10。転職が当たり前の時代においては、企業主導の能力開発は当たり前ではなくなっていくのだろうか。

転職の一般化が企業の能力開発を再定義する

とはいえ、転職するなら企業は一切能力開発しない、とはなりがたいし、企業の役割を全て公的支援で担うことも現実味がない。ことの本質は、これまで企業が大部分を担ってきた能力開発機能を再構成する必要があるということである。

転職による人材の流動性が高まっていく今後、能力開発の主体とコストを誰がどのように分担するかは、100年キャリア時代には避けて通ることができないきわめて重要な課題となる。長期雇用の社会において、企業が果たしてきた能力開発の機能を分解して、ある部分は個人が、ある部分は公的に、そしてある部分は引き続き企業が担うような、能力開発の機能を再構築する必要に迫られているといえるだろう。

たとえば、企業横断的な転職が一般化するなかで、企業横断的な学びプログラム構築も求められていく。大学などが行っているリカレント教育プログラムのうち企業が評価できるものについては、企業が講師を派遣するなどインタラクティブなプログラム構成にしたうえで、企業の能力開発の一環として取り入れる。つまり、直接的なコストは企業が負担するが、コンテンツ開発や学習環境構築を一定程度公的な部門が担うといったような設計も可能である。

企業の能力開発力が、転職の重要尺度に

また、企業における能力開発投資の意義を再考する必要もあるだろう。議論の方向性の一つには、能力開発自体が可視化される仕組み作りがある。育てるだけ育てた個人が別の企業に転職してしまうのであれば、誰しも人材への投資を行わない。

能力開発への投資によって育成された人の力で直接的に業績が向上するということのみならず、投資自体が労働市場への訴求力となり人材獲得や定着に繋がる。たとえば求職者が企業の能力開発投資を評価するための制度づくりは必要な1つの要素である。

企業と個人の関係が問い直される

転職による人材流出をどう考えるかという問題は、企業と個人の関係性の再定義にほかならない。従業員への投資が企業の強さに繋がる、という長期雇用のなかでは容易に繋がった連環は、転職が当たり前の社会ではシンプルには繋がってくれない。人材が流動的な海外では、企業は優秀な人材の引き留めに大変なパワーをかけている。新たな仕組みづくりについて、議論を深めていく必要があるだろう。

※1 Porter, L.W., Steers, R.M., Mowday, R.T. & Boulian, P.V. (1974), Organizational commitment, job satisfaction, and turnover among psychiatric technicians.
※2 山本寛(2008)『転職とキャリアの研究』 など
※3 厚生労働省 (2016)「能力開発基本調査 平成28年度」 「企業主体である」「企業主体に近い」の合算、正社員対象
※4 同調査 「自分で職業生活設計を考えていきたい」「どちらかといえば、自分で職業生活設計を考えていきたい」の合算、正社員対象
※5 同調査 自己啓発を行いかつ費用の補助を受けた者のうちの割合
※6 リクルートワークス研究所 (2017)「全国就業実態パネル調査2017」
※7~9 厚生労働省 (2016)「能力開発基本調査 平成28年度」
※10 厚生労働省(2006、2016)「就労条件総合調査 平成18年、平成28年」

ご意見・ご感想はこちらから

中村天江
大嶋寧子
古屋星斗 (文責)

次回 『「高くつく転職」を生む隠れた制度』 12/22公開予定