2020年東京オリンピックにおける人材レガシーロンドンとリオデジャネイロに学ぶ、オリンピックの「人材レガシー」

リオ・オリンピックが先月閉幕した。四年後のオリンピックに向けて、東京では様々な取り組みが本格的に加速しつつある。2020年に向けて、労働市場では東京オリンピック関連の新規雇用が81.5万人分創出されると見込まれている(リクルートワークス研究所推計)。私たちはこの人材ニーズにどう対応し、そこから何を得ることができるだろうか。

本稿では2012年のロンドン・オリンピックと2016年のリオ・オリンピックに関するリサーチをもとに、オリンピックが労働市場に与える影響について考えていく。

図表1:東京オリンピックが生み出す人材ニーズ予測出所:リクルートワークス研究所「東京オリンピックがもたらす雇用インパクト」

オリンピックがもたらす持続的でポジティブな影響「レガシー」

過去のオリンピックをレビューする前に「オリンピック・レガシー(遺産)」という概念を紹介したい。レガシーとはオリンピックが開催地に与えるポジティブかつ持続的な影響のことを意味する。2002年以降、IOC(国際オリンピック委員会)はオリンピック開催地にレガシー・プランの策定を求めるようになった。2005年に開催地に選出されたロンドンは、公式にレガシー創出に取り組むことになった最初の都市である。

成長期の国家や都市においては、オリンピックを開催することによる経済効果や、関連したインフラ開発そのものが大きなレガシーとなる。1964年の東京オリンピックにおける新幹線や高速道路などの交通インフラ整備や国立競技場の建設などは典型例だ。日本はこの大会を契機として世界におけるプレゼンスを大いに高め、その後の経済成長にはずみをつけた。

だがこうした経済成長型レガシーが期待されるのは、成長途上の国家や都市に限られる。成熟都市において同様の成果は期待できない。では、成熟都市の代表格であるロンドンはどのようなレガシーの構築を目指したのか?

オリンピックを「社会課題解決の契機」としたロンドン

結果的にロンドンは、オリンピックを社会課題解決の契機として活用するという戦略をとった。競技会場のロケーションひとつをみても、この戦略は徹底されている。ロンドン・オリンピックの選手村や主要会場が置かれた東部地区は、最も貧困層が多いとされるエリアだった。大会終了後、新たに建設された施設の多くは住居や学校、そして新たな雇用を提供するビジネスセンターなどに転用され、地域住民の生活の質的向上に寄与している。

ロンドンが建設物などのハード・レガシー以上に重要視したのが、人に焦点を当てたソフト・レガシーである。ロンドン市行政は、大会開催によって発生する人材ニーズを、労働市場における弱者に分配した。市内の無業者7万人に対しトレーニングと就業機会を提供し、実際に6万8,900人が雇用を得たとされる。またロンドン組織委員会も、自身が直接雇用した約8,300人のスタッフや約7万人のボランティアを通して、人材レガシー創出に取り組んだ。そのひとつがダイバーシティ(多様性)とインクルージョン(社会的包摂)である。図表2に示すように、組織委員会は障がい者やLGBTなどの雇用目標を設定し働きやすい職場環境づくりに努め、全てのダイバーシティ項目について目標を達成している。

図表2:ロンドン・オリンピック・パラリンピック組織委員会の雇用目標
出所:"Olympic Jobs Evaluation" 2013 SQW, Mayor of London

ダイバーシティ目標はメインスタジアムなどの建設現場にも適用され、人材レガシーを生み出した。ロンドンの建設現場では伝統的に男性が労働者のほとんどを占めていたが、この現場に女性が参画することによって、職場のイメージが大幅に変わったという。従来は男性でないと難しいと思われていた重機の取り扱いなどのシーンで女性が活躍することにより、企業側の意識と採用行動が大きく変化したそうだ。また、安全基準の向上もレガシーのひとつとされる。注目が集まるメインスタジアムの建設現場などで高い安全基準を適用することで死亡事故ゼロを達成したことは、建設業のイメージをさらに向上することにつながったと評価されていた。

"Games Makers"と呼ばれたオリンピック・ボランティアも大きな人材レガシーだ。もともとボランティア文化が根付いているイギリスだが、ボランティア人口は年々減少傾向にあった。しかしロンドン・オリンピック以降は一転増加し、スポーツイベントをはじめとした様々な地域イベントの現場でオリンピック・ボランティア経験者が活躍しているという。ボランティアについても「全ての人に機会が開かれていること」が徹底されており、障がい者のボランティア活動を支援するためのサポート・ボランティアも募集されていたという。

なお大会終了後、約7万人のボランティア・データベースは"Team London"と名を変え、ロンドン市行政に引き継がれた。地域のボランティア・ニーズと担い手をマッチングする機能をオンライン上で引き続き提供することにより、ロンドンの市民社会を下支えしている。

こうした取り組みはロンドン市民からも評価されているようだ。BBCによるオリンピック事後調査によると、7割近くの市民が「経済効果はなかった」と回答する一方で、同じく7割近くが「税金の使いみちとしては悪くないものであった」と評価している(ComRes "BBC Olympics Legacy Survey")。アスリートの活躍と相まっての高い満足度だと思うが、成熟都市におけるオリンピック開催において、経済効果以上の社会的意義を訴えた点が一定の評価を得ていると考えられる。

成長途上のリオデジャネイロでも重視された「人材レガシー」

先日閉幕したリオ・オリンピックでも、ロンドンに続いてレガシーが重要視されていた。ロンドンや日本と比較すれば成長途上にあるリオデジャネイロでは、レガシー・プランは経済成長や開発を重視したものとなっている。代表的なレガシーはBRT(バス高速輸送システム)や地下鉄新線などの交通インフラである。主要会場周辺地区においても、新たなホテルやショッピングモールが多数建設されるなど開発が進められた。

こうしたハード・レガシーが目立つが、リオデジャネイロも人材レガシーの創出に取り組んでいた。現地の課題としてまず挙げられるのは治安である。ファベーラと呼ばれる貧困地区は犯罪の温床となっており、貧困の連鎖を断ち切り犯罪を未然に防ぐ取り組みを必要としていた。産業面では、観光都市であるにもかかわらず英語をはじめとした多言語対応が進んでいなかった。これらの課題に対応し、ファベーラの若者を対象とした就業トレーニングや、ホスピタリティの最前線を担うタクシー運転手への英会話トレーニングなどを提供することで、労働市場の社会的包摂やスキルの高度化に積極的に取り組む様子がみられた。

ボランティアもリオ・オリンピックの大きな人材レガシーとなる可能性がある。宗教的なものを除けばブラジルにはボランティアという習慣が薄く、人員募集に苦労すると予想されていたが、ふたを開けてみれば2014年のボランティア仮登録開始から3カ月で、7万人の枠に25万人以上の応募があったという。その後の業務の見直しによってボランティアの動員数が約5万人まで削減されたり、いざ大会が始まってみると約1万5,000人が姿をみせなかったりなどのトラブルもあったが、他では得難い体験をしたボランティアは、今後開催される様々なイベントでも活躍していくだろうと期待されている。

ロンドンとリオのオリンピックにみられるように、現代のオリンピックではソフト・レガシーが重視される傾向が強くなっている。特に成熟した先進国におけるオリンピックは、経済発展が期待しにくいぶん、その開催意義を強く問われる。2012年のロンドンはオリンピックを契機に地域の社会課題解決を目指すという新たなレガシーのあり方を示した。人口減少・高齢化で世界を先行する日本では、どのような人材レガシーを生み出すことができるだろうか。

客員研究員 石川孔明

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