2020年東京オリンピックにおける人材レガシー「おもてなし」成功のカギを握る、オリンピックの人材戦略

「おもてなし」を阻む人材不足と語学の壁

飲食・宿泊・観光業といった「おもてなし産業」は、東京オリンピックにやってくる観光客の満足度に大きな影響を与える。大会の招致段階でも「おもてなし」を軸としたPRが展開されていたが、実際に日本のホスピタリティは世界的に高く評価されており、オンライン宿泊サイトBooking.comの調査では、タイに次いで世界第2位となっている(※1)。

しかしながら、この「おもてなし」の水準を2020年の東京でも維持できるかどうかは、これからの人材戦略にかかっている。なぜなら訪日外国人旅行者数が急増するなかで、ホスピタリティにあふれたサービスを提供する人材が、量と質の両面において圧倒的に不足しているからだ。

近年の訪日外国人旅行者数の伸びは著しく、2013年時点の1,036万人から、2015年にはほぼ倍増の1,974万人(※2)まで増加した。こうした急成長を背景に、日本政府は2020年に2,000万人としていた訪日外国人旅行者数の目標値を、2倍の4,000万人へと上方修正している。

こうした人気の高まりが、足元の人材不足を加速している。帝国データバンクの調査によると、「飲食店」の85.7%が「非正社員が不足している」と回答しており、その割合は全業種中トップである。そして「旅館・ホテル」の同回答は59.4%で第3位となっている(※3)。有効求人倍率でみても、「接客・給仕の職業」は3.61と、全職業平均の1.52を大きく上回っており(※4)、人材を確保したくてもできない実情がうかがえる。

また、質の面で懸念されるのは語学力だ。総務省と観光庁が実施した調査では、訪日外国人旅行者が「旅行中に困ったこと」の第2位は「施設等のスタッフとコミュニケーションがとれない(英語が通じない等)」だった(※5)。続く3位は「多言語表示(観光案内板等)」となっており、訪日外国人旅行者をもてなすには、一定以上の語学力が必要であることが分かる。

ホスピタリティ産業全体の底上げを図ったロンドン

これまでのコラムで紹介してきたように、ボランティアや警備業界においては、過去のオリンピック開催都市の取り組みが参考になった。しかし、ホスピタリティ産業についてはやや状況が異なる。例えば、2012年の開催地であったロンドンは、MasterCardによる世界渡航先ランキング(渡航者数、2011年)で第1位となるなど世界トップクラスの観光都市であり(※6)、観光客に対応するインフラがもとから整っていた。かつ母国語が英語であるため、多言語対応という課題はそもそも存在しなかった。

このように量・質ともに観光客対応が進んでいたロンドンは、さらにオリンピック期間中には中心地の混雑を緩和するため、市民に外出を控えるよう呼びかけた。このキャンペーンが効きすぎたせいか、開催期間中の飲食店の売上は、スポーツバーを除けば全体的に平年を下回ってしまったという(※7)。

ロンドンの取り組みから見習うべきは、オリンピックを人材育成の機会として活用した点である。ホスピタリティ産業の担い手には中小企業が多く、訓練への投資が後回しになりがちだ。そこで現地では、ホスピタリティ産業全体のサービス水準を向上させるため、業界横断のトレーニングを実施したのである。

ホスピタリティ産業の担い手育成に取り組む非営利組織People 1stは、大手ホテルチェーンや飲食店、公的職業紹介所であるJobcentre Plusと連携し、就業支援プログラムを実施した。このプログラムはオリンピック終了後も続いており、これまでに数千人以上が訓練を受けている。

テクノロジーの活用が進むリオデジャネイロ

2016年の開催都市であるリオデジャネイロも、ロンドンほどではないにせよ、多くの人が集まる観光都市である。世界的に有名なリオのカーニバルには毎年約100万人近い観光客が訪れる。リオ・オリンピックの観光客数が117万人だった(※8)というから、カーニバルとほぼ同規模である。また、オリンピックの開催時期は観光客数が落ち着く冬であったため、閑散期を埋める役割を果たしていた。したがって、ホスピタリティ産業としてオリンピックに特別な対応が必要だという状況ではなかったといえる。

しかしながら多言語対応が必要という点については、リオデジャネイロは東京と似たような課題を抱えていた。多くのタクシー運転手は英語を話せないため、移動には苦労がともなった。また、レストランには英語表記のメニューが用意されていたものの、スタッフの英語力が伴わず、多言語対応が進んでいるとはいえない状況であった。

リオデジャネイロでは、こうした言語の壁をテクノロジーで解消しようという動きがみられた。前述のタクシー運転手から、ホテルの清掃担当者まで、スマートフォンの翻訳アプリを利用したコミュニケーションを試みていたのである。現時点では翻訳の精度が十分とはいえないものの、簡単な意思疎通には問題がなかった。こうしたツールを使いこなせているのは、普段から外国人観光客に慣れているリオデジャネイロならではかもしれない。

また、Uberなどの配車アプリの普及も、多言語対応に一役買っている。通常、タクシーを使う場合には、行き先を伝える必要がある。だが配車アプリを利用すれば、前もって行き先を伝えることができ、決済も事後にクレジットカードで精算されるため、その場では特に会話をする必要がない。実際に、現地語が話せないためにタクシーの乗車を断られることが度々あったが、配車アプリを使うようになってからはこうした不便はなくなった。

業界横断の人材育成とテクノロジーを活かした「おもてなし」

これまでみてきたように、訪日外国人旅行者が急増している日本と、ロンドンやリオデジャネイロでは観光都市としての成熟度合や前提条件が異なる。しかし、学ぶべき点は大いにある。キーワードは、人材の育成とテクノロジーだ。

ロンドンでは、ホスピタリティ産業が業界横断の取り組みとして、若者の就労支援を進めていた。人材不足が顕著な日本においては、さらに積極的に潜在的なおもてなし人材の育成を進めていくべきである。ここでいう潜在的な人材とは、学生や主婦、高齢者など、現在就労していないが、潜在的に労働意欲のある人材のことをいう。人材ニーズが逼迫している対象や地域を避け、比較的余剰傾向のあるところから調達することで、既存のビジネスとの競合を避けることができるし、新たな労働力を掘り起こすこともできる。オリンピックの話題性は、こうした機会にこそ最大限活用すべきだろう。

また、リオデジャネイロの事例にみられたように、テクノロジーを活用することで省人化とおもてなし水準の向上の双方を追求していくことも必要だ。いまから4年後には、さらに優れた翻訳ツールが実現しているかもしれない。だが、それを使いこなせる人材をトレーニングして増やさなければ、せっかくのツールも役に立たない。

招致の象徴であった「おもてなし」を単なる合言葉に終わらせず、訪日外国人旅行者に日本のファンになってもらえるかは、これからの取り組みにかかっている。

客員研究員 石川孔明

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