1990年代初頭から、多くの企業スポーツチーム(※1)の撤退が報じられている。
企業スポーツは、終身雇用や年功序列といった日本型経営から生まれた特徴的な仕組みであり、企業は選手を社員として雇用し、所有するスポーツチームで活躍してもらうことで、帰属意識の醸成や、広告宣伝媒体として活用してきた。
高度経済成長期には全国の企業に波及したが、景気が後退し経営のスリム化が叫ばれるようになると、多くのスポーツチームが廃部や休部に追い込まれたのである。業績不振が最大の原因であり直接的な契機となったわけではあるが、環境が大きく変化するなかで、従来企業スポーツに求められていた活用方法には限界があるともいわれる。
企業スポーツの役割は終わったのか、あるいは新たな経営的価値となるのか。企業スポーツの意義とその効果を考えたい。 

※1企業スポーツとは:企業が組織的に行うスポーツ活動のこと(実業団競技)

第6回 日立ソリューションズ

社員の気持ちをひとつにした障害者スキー部
多くの社員の支えによって、強くなる

「障害者スポーツへの取り組みは、最初から目指していたわけではなく、ある意味、偶然も手伝ってスタートしました」
と取締役常務執行役員・人事総務統括本部長の新美雅文氏は語る。
日立ソリューションズは、2010年10月に日立ソフトウェアエンジニアリングと日立システムアンドサービス(以下日立システム)との合併によって誕生した。
日立ソリューションズのスキー部は、合併以前は日立システムが支援してきた企業スポーツである。

スキー部への支援で社員の気持ちがひとつに

日立システムは2000年4月に、東京、名古屋、大阪の日立系列のIT企業3社が合併して誕生した会社だ。
「合併後、まずはどうやって社員を結束させるかを考えました。システムエンジニアの派遣という業務特性上、クライアント企業に常駐している社員も多いため、帰属意識や一体感が生まれにくいという背景もありました。その上、それぞれに個性が強い、地方色豊かな会社が合併したので、気持ちをひとつにする“何か”が欲しかったのです」(新美氏)
親会社である日立製作所が、スポーツを応援する風土が強かったこともあり、役員のなかでは、企業スポーツという声が聞こえるようになる。

2004年に日立システムは東証2部に上場。このとき、企業スポーツに対して新たな期待が加わった。
「多くの株主は、日立システムが日立系列の会社だということは分かっても、詳しい事業内容や特色を知らない。企業スポーツに取り組めば、認知度が高まって、株主も増えると考えたのです」(新美氏)
そのためには、予選敗退で注目もされないチームでは困る。さらに日立システムは、国内だけでなく、世界の市場で勝てる企業を目指していたこともあり、「企業スポーツも、世界を相手に戦って日の丸を揚げられるスポーツがいい」と考えた。日立システムの社内では、企業スポーツに取り組む機運が高まっていた。そんな時期に、障害者スキーと出合った。

当時の役員の一人が、障害者スキーの指導者として活躍していた荒井秀樹氏(現在、日立ソリューションズ・スキー部監督)と、同じ結婚式に出席した帰りの電車で、偶然、隣の座席に乗り合わせたのだ。当時、荒井氏は公務員として働く傍ら、複数の企業を回り支援を仰ぎながら、障害者スキーの組織化、選手強化に当たっていた。 1998年の長野パラリンピックで結果を残していた障害者スキーは、話題性も高く、世界で戦えるという日立システムが求めていた企業スポーツの条件を満たしていた。
「しかし、全役員がもろ手を挙げて賛成して始めたわけではないのです。上場したばかりなのだから、ほかにやることがあるのではないか。そうした意見が出ることを前提に、スキー部を推したい役員は、スキー部が社内外に与える効果を数値としてまとめ、必要性を訴求しました」(新美氏)

半数が後援会に加入。社員の思いがスキー部を強化

2004年11月にスキー部を創設。当初は200人から始まった後援会も、2010年には日立システム全社員の半数に当たる2600人以上の人が加入するに至った。
「選手は、障害があってもそれに負けないで結果を出していく。試合で実際にその姿を見た瞬間から、ファンになるようです。その感動が、どんどん広がっていきました」(新美氏)
後援会への加入だけにはとどまらない。社員の支援は競技技術の向上にまで及んだ。
「この会社には、データを精緻に解析する技術があって、そこで事業が貢献しました」(新美氏)
IT企業の強みを生かして、健常者用の動作解析のプログラムを障害者用に作り替えたのだ。脊髄損傷の選手の場合は、シットスキー(スキー板に座面を取り付けた専用の滑走用具)を用いるが、重心が定まるシットスキーでなければスピードが出せない。そこで、それぞれの選手の上体のバランスや、どこの筋肉が強くて、どこの関節が何パーセント動くのかなどを数値化。そのデータをもとに、メーカーに発注した。
「それまでのシットスキーは、ノルウェーからの輸入製品で、障害の程度に対応しない、鉄製の重たいものでした。データの収集、パソコン入力、動作解析など、日立システムの社員の力を借りて、世界で一番軽いシットスキーが完成したのです」(荒井氏)
ほかにも、選手の滑りをカメラで追うだけで、力のかかり方や速度、滑走フォームの細かな情報等を即座に計算、数値化するソフトを活用し、スキー部の技術向上に貢献している。
さらに、中学生のときから日立システムジュニアスキークラブに所属し、2010年6月に日立システムに入社した太田渉子選手は、フィンランドの高校に留学していた際、社員の有志からインターネット通話を利用して、英語や数学を教わったという。

なぜ、ここまで社員の心を引き付けるのか。
「一番は結果を出したことです。2006年のトリノパラリンピックで3つ、バンクーバーでは3つのメダルを獲得しました。また、現在のスキー部は、監督を含めて5人ですが、全員社員として雇用して、各部署に配属しています。将来第一線を退いたら普通の社員として一緒に仕事をするというのが、日立製作所の企業スポーツの基本であり、その伝統を引き継いでいるのです。試合や練習で年間220日から230日は業務に就けませんが、オフシーズンに仕事に取り組む真摯な姿勢や生活態度が、社員の心を引き付けるのだと思います」(新美氏)

スキー部の活動が障害者の未知の扉を開く

「合併後の新会社でも、後援会の会員数を早い段階で全社員数の5割にもっていきたい」と新美氏は意気込む。
「シットスキーを広めることで、雪が降ったら車いすで外に出るのが大変だった障害者が、自分の力で外出できるようになった。また、障害のある子どもを集めて、スキーに触れてもらうイベントを開催して、将来、パラリンピックで活躍したいと思う選手を育成したいと考えています。われわれの活動は、障害者に生きがいを与えられる可能性を秘めているのです」(新美氏)
結果を出し続け、さらにこうした情報を発信していけば、日立ソリューションズの社員の理解も得られるはずだ。
「日立ソリューションズの経営ビジョンに『未知の扉をひらく』という言葉があります。まさに、障害者に未知の扉を開いて障害者スポーツを盛んにすることが、当社のスキー部にはできると思っています。そのためにも、選手が、次の目標である2014年のソチ・パラリンピックに向かって頑張ることが、会社だけでなく社会全体に寄与していくのだと思っています」(荒井氏)

パラリンピックは、平行(Parallel)とオリンピック(Olympic)を合わせた造語で、「もうひとつのオリンピック」ともいわれる。以前はリハビリテーションや福祉の意味合いが強かったが、現在ではオリンピック同様に競技性が高まっている。多くの障害者スポーツの選手が、さまざまな企業に所属し支援の輪が広がれば、パラリンピックでの活躍も期待できる。また、そうした企業の取り組みが、障害者も健常者も同じ条件で生活できる社会を目指す、ノーマライゼーションへとつながるのだろう。(2010.10.08)

【協力=早稲田大学スポーツ科学学術院教授 原田宗彦氏】 
【Text=湊 美和】 

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日立ソリューションズ スキー部:左上から荒井監督、新田選手、太田選手。 左下から久保選手、長田選手
  






 
新田佳浩選手。2002年ソルトレークパラリンピック大会で銅メダルを獲得。2010年バンクーバーパラリンピック大会では、クロスカントリー10kmとクロスカントリー1kmの2種目で金メダルを獲得。障害は左腕肘下の切断。








久保恒造選手。2007年12月に荒井監督と出会い2008年に車椅子マラソンより転向。障害は脊椎損傷による下半身麻痺。
  








太田渉子選手。2006年トリノパラリンピックでは銅メダルを獲得。2010年バンクーバーパラリンピック大会で銀メダルを獲得した。障害は先天性左手全指欠損。







長田弘幸選手、バイアスロンの射撃の練習風景。
障害は脊椎損傷による下半身麻痺。








※クロスカントリースキーとは、専用のスキーとストックを使って滑走し、タイムを競う。男子、女子それぞれ立位、座位の競技があり、 さらに異なる距離の種類がある。バイアスロン競技は、クロスカントリースキーのなかに、射撃を組み入れたレースである。

   

 お話を伺った方 

会社概要

    ■設立/1970年9月 
■本社所在地/ 東京都品川区 
■事業内容/ソフトウェア・サービス事業、情報処理機器販売事業 
■従業員数/ 1万387人(2010年10月1日現在)
 取締役 常務執行役員
人事総務統括本部長
新美雅文氏
第1人事総務本部
人事総務部担当部長
スキー部監督
パラリンピックノルディックスキー日本代表チーム監督
荒井 秀樹氏


◇ 6回の連載を終えて◇

 この企画を始めるにあたり、早稲田大学スポーツ科学学術院教授・原田宗彦氏にご指導いただいた。まずは、この場を借りてお礼を申し上げたい。
原田氏の研究領域は、スポーツマネジメントやスポーツマーケティングを中心として、スポーツビジネス全般にわたる。なかでも、プロスポーツをひとつの柱に据え、リーグ全体の構造や経営、諸外国のプロスポーツとの比較、各チームのファンの意識や行動など、あらゆる視点から研究を進めている。日本のプロスポーツは、もともと企業スポーツから発展してきたという歴史があり、原田氏は企業スポーツについても造詣が深い。このたびは、企業スポーツの歴史だけでなく、経済的価値や将来のあり方などについて、ご指導を仰いだ。

企業スポーツは、社員の一体感の醸成、広告宣伝、社会貢献と、時代の要請に従ってその役割を広げてきたが、いずれもお金には換算できない価値であり、多くの経済効果をもたらした。企業が、スポーツによって得る効果を明確にし、強い意志をもって続けることで、新たな役割が創出されてきたのだ。今後は、社外へと向けた貢献がさらに期待される。
◆ 『企業スポーツは今』バックナンバー
  第1回 コマツ 『社会貢献は継続が大事 女子柔道ひとつにしぼって支援する』 
  第2回 新日本製鉄 『日本のスポーツ技術の向上のためにクラブチーム化でその意志を継ぐ』
  第3回 森永製菓 『ひとりのアスリートの雇用が一体感の醸成、会社の広告宣伝につながる』
  第4回 NEC 『企業スポーツの4つの価値を宣言 「コストセンター」から「バリューセンター」へ』
  第5回 JXホールディングス 『日本トップレベルの企業スポーツを通じて社員、子どもたちにエネルギーを供給する』
  第6回 日立ソリューションズ 『社員の気持ちをひとつにした障害者スキー部 多くの社員の支えによって、強くなる』

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