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1990年代初頭から、多くの企業スポーツチーム(※1)の撤退が報じられている。 ※1企業スポーツとは:企業が組織的に行うスポーツ活動のこと(実業団競技) |
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第2回 新日本製鉄
日本のスポーツ技術の向上のために かずさマジックの前身は新日鉄君津硬式野球部。現在は、千葉県君津市、木更津市、富津市、袖ケ浦市の「かずさ4市」で活動するクラブチーム(※2)であり、新日鉄はそのメーンスポンサーである。 所有から支援へ。新日鉄は、2000年からスポーツとのかかわり方を変えた。それは半世紀も前から「スポーツ振興」を真剣に考えてきた企業の新たな決断であった。 ※2クラブチームとは、会員による個人会費や後援会組織、支援企業などからの広告料収入、地元自治体などからの支援によって運営されるスポーツチーム スポーツを社会で支える 「2000年ごろは、リーグ戦に参加するチームや協会に加盟するチームがどんどん減っていった時期でした。本来であれば、社会全体で支えていくべきスポーツが、企業の業績に左右されてしまっていたのです」と人事・労政部労政・福利厚生グループリーダーの佐藤一郎氏は語る。 すでにサッカーは、1993年に日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)が発足し、地域や企業が支援することで、競技の人気や選手の待遇が飛躍的に上がっていた。 「Jリーグのように、みんなで支える運営にしていかなければ、日本のスポーツ競技は将来立ち行かないのではないか。そう考えたのです」(佐藤氏) 2000年、新日鉄100%出資で株式会社ブレイザーズスポーツクラブを設立。多くのスター選手を擁する新日鉄堺バレーボール部は、男子初のプロバレーボールチームとも言える堺ブレイザーズとなった。 「選手のなかには新日鉄から出向している者もいますが、ブレイザーズスポーツクラブが選手の雇用や興行の運営をしています。運営費はサポーターからの協賛金やスポンサー収入など。青少年の育成やママさんバレーの手伝い、福祉活動などを通じて、サポーターを増やしています。もちろん、新日鉄がメーンスポンサーであることは変わりありません。広告宣伝費を払って、ユニホームに社名を入れてもらったり、ことあるごとに新日鉄に関して発言してもらっており、かかわりは持ち続けています」(佐藤氏) 堺ブレイザーズは、2005年Vリーグ優勝、2009年2010年Vリーグ連続準優勝と、チームの運営形態が変わってもなお高い戦績を挙げている。 競技によって支え方を変える 翌2001年にラグビー部を「釜石シーウェイブスRFC」として、2003年には名古屋と君津の硬式野球部をそれぞれ「東海レックス」「かずさマジック」としてクラブチーム化した。ラグビー部と野球部は、バレーボールに比べると知名度がなく収益事業は難しいとの判断から、株式会社ではなく任意団体である。「複数の企業で選手を雇用してもらうことで、支援の輪を広げているのがラグビーです。仕事はきちんと17時までやって、夜練習します。スポーツと仕事の両立という昔ながらの社会人スポーツの形です」(佐藤氏) 一方、野球のクラブチーム化は、ほかの競技にも増して難しかった。何より選手の確保に苦労した。実は、社会人野球の合計チーム数は、1950年ごろから300強とほぼ変わっていない。1990年代に大手企業の野球部の活動休止が相次いだものの、中小企業のチームやクラブチームは増加しているのだ。チーム数は減っていないので、どうしても企業名を冠したチームに選手の人気は集中する。 「われわれが最大スポンサーであることは変わりないのに、新日鉄の腰が引けているように思われて、なかなか選手が集まりませんでした」(佐藤氏) しかも、野球は体制変更後なかなか成果を出せなかった。松中信彦選手(現・福岡ソフトバンクホークス)や渡辺俊介選手(現・千葉ロッテマリーンズ )などを輩出し、高い戦績を残していたチームが、クラブチームにしたことが原因で弱くなったように言われた。 「しかし、『スポーツは社会で支えるもの』という思いをぶらさず、愚直にやり続けていたら、最近結果が出てきたのです」(佐藤氏) 前述の通り、かずさマジックは都市対抗野球7年ぶり8回目の出場を果たした。選手は君津市周辺で働いており、試合当日は応援する人々のために君津発水道橋行きの臨時電車が出たという。地域に密着した市民球団として浸透してきたといえるだろう。東海レックスも、来年の都市対抗野球出場を狙えるところまできている。 ところで、新日鉄が支えるスポーツのなかで、柔道部だけは、会社所有の伝統的な運動部である。全日本柔道連盟がクラブチームの加盟を認めていないためだ。 「組織の運営形態が変わらない柔道部でも、2000年代前半はチーム事情が非常に苦しい時期でした。優秀な選手が辞めた時期と世代交代とが重なり部員数が半減。ほかの運動部がクラブチーム化していくなか、新日鉄は柔道から撤退するのではないかと関係者の間で不安が広まった時期でもありました」 と人事・労政部労政・福利厚生グループ・マネジャーの岡泉茂氏は語る。 「スポーツ支援の新しいかたちを追求する」という会社の言葉を信じるしかない。優秀な選手が採れないなか、残った選手で踏ん張った。当時、岡泉氏は選手兼監督として柔道部を支えた。結果はついてきた。2010年全日本実業柔道団体対抗大会(男子)で10年ぶり30回目の優勝を手にしたのだ。 「会社の中で柔道部のような専門部(柔道部の活動が会社業務の一環)や支援を受けている運動部は、結果を出すことが大事。10年間なかなか結果が出せず、試行錯誤を続けてきたなかでの団体優勝は、自分たちが信じてきたことは正しかったという証しだと思っています」(岡泉氏) スポーツを支えてきた歴史がベース スポーツとのかかわり方を変えたことは、社員にはどんな影響があったのだろうか。「チーム名から社名が消えたので、寂しいといった声は聞きます。とはいえ、北京五輪では堺ブレイザーズの選手が出場し、岡泉も女子柔道のコーチとして出場したので、壮行会を本社で開いたら、大勢の人が集まった。新日鉄の社員は、会社がスポーツを支援していることを誇りに感じているのです。また、今年の新入社員が東京で研修をしているとき、ブレイザーズのVリーグの優勝がかかった試合を観戦させたら、大応援団になりました。一緒に応援するだけでも楽しいのです。支援していることが、社員の帰属意識や一体感の醸成に自然につながっています」(佐藤氏) しかし、なぜ、スポーツを支えることに、そこまでこだわるのか。 1960年代まで、オリンピックに出場する選手の多くは企業に所属しており、日本のスポーツを支えるのは企業という時代があった。その時代に、新日鉄の前身である八幡製鉄や富士製鉄は、気概を持ってスポーツ振興に取り組んでいた。「それが源流」と佐藤氏は語る。 「鉄鋼業は経営状況が厳しい時代が長く続き、スポーツよりも本業だという機運がありました。そのなかでもスポーツ支援をやめなかったのは、スポーツを支えてきた企業としての長い歴史があるからです。新日鉄が過去にやってきたことが、どんな形で世の中に貢献してきたかを振り返り、その上で日本のスポーツの将来を考え、自分たちなりに出した答えが、所有から支援へという形だったのです」(佐藤氏) クラブチーム化へとかじを取ったときは、大手企業のスポーツからの撤退が騒がれた時期だったこともあり、新日鉄もやめるつもりだとの誤解が広がった。しかし、結果が出始めた今では、もう昔話だ。 2010年4月、文部科学省副大臣・鈴木寛氏が「スポーツ立国戦略」の策定に向けた現地調査として、堺ブレイザーズを視察。スポーツを社会で支える取り組みが、また1歩進んだ。(2010.09.03) 【協力=早稲田大学スポーツ科学学術大学院 教授 原田宗彦氏】 【Text=湊 美和】 |
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お話を伺った方 |
会社概要 |
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■設立 /1950年 ■本社所在地/東京都千代田区丸の内 ■事業内容/製鉄事業、エンジニアリング事業、都市開発事業など ■売上高/連結3兆4877億円 (2009年3月期) ■従業員数/1万5503人(2009年3月末現在) |
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| (写真左) 人事・労政部 労政・福利厚生グループ マネジャー 岡泉 茂氏 元柔道部員 1995年世界選手権大会95kg級3位 2009年12月まで新日鉄柔道部監督 2010年4月より現職 |
(写真右) 人事・労政部 労政・福利厚生グループリーダー 佐藤 一郎氏 |
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