| Home > SPECIAL THEME > 続・新世代の就業観 2003年8月 |
| 続・新世代の就業観インタビュー | |
リクルートワークス研究所 |
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自分らしさにやたらこだわる、状況や相手によって調子よく発言が変わる……。職場でそんな若者の態度に接したことはないだろうか。「自己は同心円状でなく、多元的だ」という前提でこれらの行動を眺めてみると、いろいろ分かることがあるようだ。青少年研究会(代表/高橋勇悦・大妻女子大教授)が実施した1992年と2002年の定点若者調査から読み取れた、自己の多元化やその変化の実態を、同研究会メンバーの浅野智彦・東京学芸大助教授に聞いた。
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| インタビュアー ワークス研究所 豊田義博 五嶋正風 |
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――浅野さんが所属する青少年研究会では都市部の若者を対象に、1992年と2002年に調査※を実施されたそうですね。どんなことが分かったのでしょうか。
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まず92年の調査からは、多くの若い人たちが多元的な自己を生きているということが読み取れました。例えば回答者の75.2%が「場面によって出てくる自分というものは違う」と考え、43%が「自分がどんな人間かわからなくなることがある」と感じていました。ちなみに2002年の調査では前者が78.6%、後者は45.9%に上昇しています。92年の調査に話を戻します。「複数の関係を隔離し、それぞれで異なる顔を使い分けつつ、その都度の関係にそれなりに没入する」ような、多元的な友人関係を好む若者は、その多元性の中でも自分らしさを感じ、自分らしさを貫くことが大事だと考える傾向があった。「それぞれの状況で出てくる顔に整合性はなくても、その場では自分らしいと感じていたのだから、それなりに自分らしい」と考えていたのではないかと思います。こうした若い人たちの間の多元的関係、多元的自己の広がりは、その後の別の調査でも指摘されています。 |
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※調査概要 1992年と2002年調査の概要 東京都杉並区と神戸市灘区、東灘区で、16歳から29歳の男女を対象に実施。身近な人間関係、大きな社会との関係、メディアをめぐる行動などについて質問。調査方法は92年が郵送、2002年は訪問留置。有効回答と回収率は、92年が1116、22.3%、2002年は1100、55%。 |
同心円モデルで見ると浅く感じる若者の友人関係 |
――多元的自己像はそれまでの自己像とどう違うのでしょうか。 |
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多くの人たちは自己というものを同心円型のモデルで考えていると思います。自己の表層には些末で表面的なものがあり、それが深層にいくに従い、実存的な核に接近していくというイメージです。当然人間関係も表層で付き合う浅い関係から、核同士が触れ合う深い関係へと進んでいくというように描かれます。 この同心円モデルで若い人の友人関係を見ると、浅いものに感じられる。「場面ごとに見せる顔が違うのは、本音を隠してその場を適当にやり過ごしているだけだ」と見えるからです。ところが多元的自己を前提に彼らの友人関係を観察すると、「場面ごとに自分らしさを見せているし、その限りでは本音を話し、それなりに深い関係をつくっている」と見えてくるのです。 |
――若い人たちの多元的な自己に、10年間で変化はあったのでしょうか。 |
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まず、「自分らしさがある」ということと「自分を好きだ」ということの関係が、この10年の間に強まりました。「自分らしさ信仰」が拡大しているといえます。 |
「自分らしく」のメッセージをあちこちから受ける |
――なぜそのように変化したのでしょうか。 |
「自分らしく」というメッセージをあちこちから受けるためでしょう。物を買うときにも、「これを消費すれば自分らしくなる」というメッセージを受け取るし、就職のときも「自分らしい仕事に就きなさい」といわれる。そういうメッセージを受け取り続け、内面化した若者がこの10年間に増えてきているのだと思います。 |
――ほかにも変化はあるのでしょうか。 |
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冒頭でも少し触れましたが、92年の調査では「場面によって出てくる自分というものは違う」と、「自分には自分らしさがあると思う」という2つの質問に正の相関があった。つまり「それぞれの状況で出てくる顔に整合性はなくても、その場では自分らしいと感じていたのだから、それなりに自分らしい」と考えられていた。ところが02年の調査では、この相関が非常に弱いものになってしまいました。 10年前は場面ごとに出てくる自分は違っても、そのどれもが自分らしいと感じられていたが、その感覚が消滅しつつある。自分らしいことと、場面ごとに出てくる自分が違うこととを、あまり関連づけなくなったということです。そして場面によって出てくる自分が違うのは、「やはり一貫性がない」と認めるようになってきたのです。 |
――自分らしさ信仰の拡大と、「一貫性のなさ」を認めること。なんだか両立は難しそうですが。 |
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そもそも10年前の「場面ごとに出てくる自分は違っても、そのどれも自分らしい」というのも旧来の常識ではわかりにくい感覚でした。これに対して、自分らしくありたい。一方で場面ごとに出てくる自分は違う。ならば「自分らしくありたい」ことと、「場面に合わせて出す自分を変える」ことを切り離して考えるのが02年の感覚ではないか。 自分らしさと関係がなくなれば、場面に合わせて自分を変えることへの敷居はより低くなります。「自分らしさ」主導の多元化から、「場面に合わせること」主導の多元化へ、多元化が一層徹底したともいえるでしょう。「どんな場面でも自分らしさを貫くことが大切」の肯定的回答が69.2%から55.8%に減ったのも、こうした変化を裏付けています。 とはいえ自分らしさ信仰が拡大していく中で、このような形での多元化を生きることはご指摘の通り難しさをはらんでもいます。自己の多元性が自己への否定的な評価と結びつきやすいのはそのためかもしれません。 |
自分らしさは複数あった方がモノは売れる |
――自己の多元化が進むのはなぜなのでしょうか。 |
消費社会化の進展が、大きな影響を与えていると考えます。物を売る側としては、消費者が自分らしさを複数個持っていた方が売りやすい。自分らしさが1つだと、ライフスタイルも1つで、商品は1個しか売れない。例えば TPO に合わせて全く違う服装をしてくれた方が、服はより売りやすいでしょう。恐らく1973〜74年以降ですが、かなり多くの商品が「自分らしさ」に照準を合わせた売り方を展開してきました。「こういう商品を身に着けるとあなたらしい」「こういう商品を消費すると本当の自分になれる」といったメッセージをずっと投げ掛けてきたわけです。しかし、どの特定の商品を消費しても「本当の自分が実現されてめでたし、めでたし」とはならない。もしそうなってしまったら、商品を売る側としては困るはずです。 以前、ある女性誌の内容を70年代までさかのぼって見ていく仕事をしたときに同じ雑誌の中に、コンタクトレンズと眼鏡の広告が載っていました。コンタクトレンズの方は「眼鏡を外して本当のあなたになる」という意味のキャッチフレーズを使っており、眼鏡の方は、「この眼鏡に換えて本当の自分になる」という意味のキャッチフレーズを使っていたのです。つまり、眼鏡をつけても外しても、本当の自分に到達できるというわけです。しかし実際には、どちらの商品によっても本当の自分には到達できないでしょう。 |
どれを消費しても本当の自分には到達できない |
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商品広告は「これを使えば本当のあなたになります」が、表メッセージ。ですが裏メッセージとして「しかしどれを消費しても本当のあなたには到達しませんよ」と同時に伝えてもいるのです。 |
――そういうメッセージに小さいころから触れ続けると、どうなるのでしょうか。 |
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一方では「自分らしさを追求せよ」というメッセージを受け取り続け、それが内面化していく。他方では、そのように内面化して自分らしさを追求しても、どこまでいっても「結局、本当の自分にはなれないじゃないか」というシニカルな感覚になるのではないか。 一方では自分らしさを追い求めつつも、結局自分らしさなんて、商品を消費している間だけのものだという醒めた感覚。そういう感覚が<自分らしさ信仰の拡大/自己の多元化>と結びついているように思います。 |
消費社会化の影響は就職においても避けられない |
――消費社会化の影響は、就業観にも表われるのでしょうか。 |
最近は、消費社会化の影響をより低年齢の段階から受けています。そういう若者たちが労働市場に参入するわけですから就職においてもその影響は避けられないでしょう。ひとつは「自分らしさが望ましい」というメッセージをストレートに受け取り、それに拘束されている場合。例えば自分らしい仕事に巡り合うまでは、フリーターを続けるという行動パターンを考えることができます。 また、自己の多元化により、場面によって違う顔を出す傾向が強い人たちにおいては、職場に軸足を置かないライフスタイルをとるケースも出てくる。極端な場合「趣味が重要なので、仕事はバイト程度でいい」という働き方を選択することもありえます。 |
その場面では素直な気持ちだった |
――職場で多元的な自己を持つ若者と接する場合、どんなことに気を付ければいいのでしょうか。 |
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例えば友達には職場と全く違う顔を見せているし、会社のほかの人に対しても、全く違う顔を見せているかもしれない。このことを理解すると同時に、でも、だからといって大人に対してうそをついていると思う必要はないという点です。 極端な例でいえば、私といるときはAさんの悪口をいっているが、Aさんといると私の悪口をいう人がいたとする。その人はどちらかでうそをついていると考えるのではなく、私といる場面の彼にとっては、Aさんの悪口を言うのが素直な気持ちで、Aさんといる場面では私の悪口を言うのが素直な気持ちなのだと理解した方が、彼らの感覚に近いのです。 |
| (2003年8月18日掲載) |
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