| Home > SPECIAL THEME > 続・新世代の就業観 2003年5月 |
| 続・新世代の就業観インタビュー | |
リクルートワークス研究所 |
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「真性団塊ジュニア世代」。文字通り団塊世代の子どもたちを指す言葉だ。消費社会研究家の三浦展氏は、これまでいわれている団塊ジュニア世代より5歳ほど若い若者たちこそ、団塊世代の子どもが多くを占めると説く。大卒なら、まさに入社2、3年目から6、7年目あたりの若者たちだ。彼らの就業観に、団塊世代の親たちはどんな影響を与えたのだろうか。親子の関係を中心に話を聞いた。
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――三浦さんは著書『マイホームレス・チャイルド』の中で「真性団塊ジュニア世代」という定義をされています。これまでいわれている「団塊ジュニア世代」と、どう違うのでしょうか。
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これまで「団塊ジュニア世代」といえば、第2次ベビーブーム世代と同じ意味で、1971〜74年に生まれた世代を指していました。ですが、言葉の意味通り「団塊世代の子ども」と解釈すると、71〜74年に生まれた子どもたちが中心ではないことがわかりました。これは男女が結婚する時期がずれていたためで、団塊世代の男女いずれかが親である子の数が、全出生数の半数以上となるのは73〜80年です。2001年に大学を出た人は、団塊世代の父親を持つ確率が最も高くなります。これまでいわれていた「団塊ジュニア」より5歳ほど若い人たちが「真性団塊ジュニア世代」だと定義したのです。こう考えると、いろいろな若者の風俗流行が説明しやすくなります。ファッションでいえばコギャル、ルーズソックス、茶髪。ヒット商品ならたまごっち、プリクラ、携帯電話などは、彼ら、彼女らが高校生時代に火をつけたものです。 |
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お金や出世のためでなく、それ自体面白いから働く
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――その真性団塊ジュニア世代と、団塊世代。親子関係にはどんな特徴があるのでしょうか。
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1955年から75年まではアメリカ型の大衆消費社会を目指し、郊外中流核家族のモデルが確立される時代でした。右肩上がりで、みんなが豊かになることを目指した。その大きな潮流の中で育ったのが団塊世代です。一方「真性団塊ジュニア世代」が育った75年以降は、高度経済成長を通り過ぎ、既に豊かになっていた時代です。「豊かになるために働く」という意識は希薄になっていった時代といえます。 お金などの目的のための手段を重視するのではなく、それ自体面白いことを求める価値観を社会学ではコンサマトリーといいます。逆に、手段重視の価値観をインスツルメンタルといいますが、これまでは働くとか勉強することがインスツルメンタルな行為だったのが、「真性団塊ジュニア世代」が働きだした今は、コンサマトリーな、それ自体が面白いからする行為にどんどん変わってきているのです。 団塊世代の親は「しつけが甘い」などといわれますが、その根底にあるのはインスツルメンタルよりコンサマトリーでありたいという気持ちではないでしょうか。団塊世代以前の親は「自分は貧乏だから子供は豊かにしてあげたい」と思ったが、それ以降の親は「自分はインスツルメンタルな人生だったが、子供にはコンサマトリーな人生を歩ませたい」と思う人が増えた。親もそういう世代になってきていることが、その子どもたちの人生観、勤労観に影響を与えていると感じます。 団塊世代以降の親は、あまり勉強しろといわないようです。くだらない受験勉強で、失ったものもたくさんあるというか、その時間をもっと別のことに使えばよかったという思いもある。子どもにはその選択肢も残してやりたい。 |
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職場で厳しく、家で甘いのが団塊世代の父親
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――一方で、親としての団塊世代と、職場の上司としての団塊世代は少し様子が違うようです。職場では厳しかったり、若者に対して物分りが悪かったり。
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やはり団塊世代も、基本は近代主義なのでしょうね。だがそれによって切り捨てた部分への思いは一応、忸怩たる思いで持っている。インスツルメンタルとコンサマトリーでいえば、今の若者は5対5か4対6でコンサマトリーが勝つが、団塊世代は7対3ぐらいでインスツルメンタルが勝つ。昭和ヒトケタ世代は9対1でインスツルメンタル。つまり昭和ヒトケタ世代は家でも会社でも厳しいわけです。会社では厳しくても家では甘いのが団塊、家でも会社でも甘いのが団塊ジュニアといいますか(笑)。
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――ここまでの話は父親が中心だったと思いますが、母親の役割はどう変わったのでしょうか。
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今の50代は専業主婦率が最も高い世代で、いわば「母親」から「主婦」になった世代といえます。「母親」という言葉の私のイメージは、いつも働いていて、子どもの世話をする暇、遊ぶ暇などない人。子どもが泣いたらおんぶして、家事をする人です。
一方「主婦」は、家電によって家事が省力化され、1日何時間かは暇ができて、たまにはケーキを焼く暇もあるという人。今の65歳以上は、恐らく結婚当初には家電が揃っていなかった。それに対して新婚道具として家電が曲がりなりにもあり、アメリカ的なあこがれの「ママ」である専業主婦が最も多くなったのは、今の50代でしょう。生産力、労働力としての母親ではなく、消費生活としてのマイホームでの幸福感の演出家としての役割になったのです。 だから、子どもにとって、今の50代から45歳ぐらいまでの母親がいる家庭は、非常に快適なはずです。しかしあまりガミガミ言わない母親だから、ひきこもりやパラサイトにもなる。 |
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自分らしく。でも大学には行ってほしい
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――「教育ママ」といいますか、子どもの進学にはうるさい母親が多いように思いますが。
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学歴を重んじる傾向は非常にある。ただ高学歴志向の意味合いが、団塊世代より前の世代とは少し違うのではないでしょうか。貧乏から抜け出すためというよりは、ブランドとしての高学歴志向が強いのではないか。だからかえって学歴が自己目的化している。学歴自体の自己目的化は、団塊世代の女性で強くなったと思います。彼女たちは進学しようと思えばできた状況だったが、自分には学歴がない。できれば学歴を手に入れたかったと。この世代の女性にはまだまだ進学を阻まれた人がたくさんいます。能力的、経済的状況は進学できたのに、親が「女は進学するものではない」とか、「短大にしておけ」とかいって。 |
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私はあの人よりも勉強ができたのに、親に金がなく、あるいは親の価値観が古くて高卒で終わった。また大学に進学した人でも、弁護士、医者、教師といった一部の職業についた人を除けば、お茶くみで終わってしまった人が大半でしょう。だから学校人生、職業人生にはいろいろ不満があった。そういう意味で、団塊世代女性は高学歴志向が強くなったのではないか。実際に高卒の女性は、大卒の女性よりも子どもを大学に進学させた率が高いという調査結果もあります。
しかも母親が主婦になり、生活が楽になった分、子どもの進学にエネルギーを投じた。夜の10時でも車で塾の送り迎えをする暇ができてしまった。昔だったら、その時間は家事で大忙しですよ。 彼女たちは子どもに対し、一方では「自分らしく、自分の好きなことをやっていいのよ」といいつつ、他方では「大学は出てね」という。それが嫌だったという若い人は多い。だいたい子どもがグレるというか、親に不満を持つのは、そういう二律背反があるときではないでしょうか。「大学なんて出なくたって、立派に父ちゃんも母ちゃんも頑張ってるよ」または「自分らしくなんて甘いこといってるんじゃない、学歴がないとどうしようもない」と、どちらでもすっきりいえれば、子どもは親にあまり不信は抱かないと思います。 団塊世代には、そういうダブルスタンダードがある。父親に多く見られる、職場と家庭におけるコンサマトリーとインスツルメンタルのダブルスタンダード。母親は高学歴志向と自分らしさ志向の両方を追い求めるというようにです。 |
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なにごとも「広く浅く」に見える理由
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――団塊世代の親に育てられた「真性団塊ジュニア世代」に話を移したいと思います。仕事への取り組み方に限らず、趣味、友人との人間関係など、なにごとも「広く浅く」に見えます。それはなぜなのでしょうか。
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主従というか、主と副といった関係が私たちに比べもっと弱いのでしょう。全部等価で、価値相対主義。例えば関川夏央さんが朝日新聞に書かれていましたが、東京大学の大学院生が「ドストエフスキーって誰ですか」といったそうです。大学院生ともあろう者がドストエフスキーを知らないことは恥ずかしい、という価値観がそこにはない。
彼らにとっては『少年ジャンプ』の漫画家の名前を知らないのも、ドストエフスキーを知らないのも同じこと、恥ずかしくないわけです。そういう相対化された価値観を持っている。だとすると、やるべきことと、したいことの区別もあまりないのではないかと考えられます。すべては「したいこと」といいますか。「ドストエフスキーを知っている」ということは、今の若者にとっては趣味になってしまって、それは「あ、ドストエフスキーが好きなんだ」ということにしかならない。 |
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ドストエフスキーを知っているのは「あ、好きなんだ」
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――「身に付けるべき教養」といった感覚がないということでしょうか。
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大学を出たなら、ドストエフスキーぐらいは知っていて、1冊ぐらいは読んでおくのが当然だという意識はない。「好きなんだ」になってしまう。いわば教養の崩壊です。これまでは物質的に豊かになることと、西洋の文物、教養を身に付けることは一致していた。テーブルマナーを知ること、カラーテレビを買うこと、出世をすること、中流化とはそれらを身に付けることを意味していた。
ところが今の若者は最初から中流だった。少なくとも物質的にはそうだった。その状態で10年、20年生きてきたから、目指すものが何もない。ある人はドストエフスキーを読んでいる。それは好きだからだ。ある人はマンガを読む。それも好きだからだ。同じ価値だということです。ドストエフスキーが教養で、漫画は違うとは思わない。 そのようにあらゆるものが非常に平面的に、強弱なく、等価値で置かれている。だから、勉強も好きだからやるものだと考える。働くのも好きだから働く。嫌いなら働かない。正社員になること、アルバイトすること、遊ぶことへの距離感が、全部同じなのではないでしょうか。どっちかが中心とか、主だということが昔と比べてなくなってきている。「働くことは働くが、忠誠心は持ちません」というのとは、また違うのです。よくアンケートであるような「仕事中心か、余暇中心か、両方か」というようには、仕事をとらえていないと感じます。「そんな聞き方をすること自体がおかしい」と。「みんな中心に決まってるじゃん」と考えるわけです。昔は、仕事をしないのはおかしいことだった。そして余った時間にマンガを読んだ。今は働いている人は好きで働いてるんだと思っている。逆に、好きでもないのに働くのは不思議でたまらないのでしょう。 |
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プロジェクトは成り立つが、組織は成り立たない
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――そうなると、例えば一丸となって目標に進むような組織をつくりたいなら、仕事を好きな人を探し出し、集めるしかないことになりますね。
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だから、プロジェクトは成り立つが、組織は成り立たなくなってきているのでしょう。プロジェクト型でなければ、質の高い仕事はできなくなる気がします。NHKの「プロジェクトX」で描かれる話には、基本的には組織への忠誠が感じられるが、今の若い人にそれを求めるのは難しい。プロジェクトでは熱く燃えたけど、終わったら「はい、さようなら」となりそうな気がします。燃えたい気持ちはあるのでしょうが。
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――大きく燃え上がるためには、ぞうきんがけ的な仕事の経験も必要だと思うのですが。
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ぞうきんがけをしないと、やはり燃料はたまらない。いきなり火はつかないという難しさがある。どうやって基礎体力というか、ぞうきんがけをさせて、自分の中の根っこを深く掘ってもらうか。それさえできれば、あとはプロジェクト単位でも職業生活はできるのでしょうが。
今の時代、高校、大学を出てすぐ就職させるのは大変困難です。就職予備校ではないが、いろんなぞうきんがけが体験できる機関がいるのだと思います。こんなぞうきんがけがあるのか、こんな便所掃除もあるのかと体験できるような。 企業はこれまで自前のOJTでやってきたが、企業にその体力もなくなってきたし、若者もやる気がない。そうなると、リクルートのような第三者の企業か、NPOか、行政機関が運営する「働くのは面白そうだ」と思わせるような機関、正社員になりたいフリーターに職業生活の習慣を身に付けさせる機関が必要でしょう。 30歳までフリーター生活では、そもそも朝7時に起きて、8時に会社行ってという癖がつかないまま終わる。学生でもアルバイトばかりしている子は、昼に起きて、夕方4時から朝10時までアルバイトして、1日1食しか食べない。そんな若者はたくさんいます。そんなんじゃフリーター確定なんだけどね(笑)。ルーティンで働くという癖をつけず、不規則にアルバイトをする癖がつくと、いつになっても正社員にはとてもなれないと思います。 正社員で働きたいけど雇ってもらえないなら、雇われたときに役立つような生活習慣をつけてあげるべきです。ある場所に行けば、いろんな仕事があり、無給だが9時から5時まで働かせてもらえるような。そこで癖をつけ、スキルも身に付ける。目標がまだ決まってない人のための職業生活習得学校とでも言うのでしょうか。NPOが協力し、会社を定年退職した人などが教える立場になれば、コストもそんなにかからないでしょう。 |
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今の日本は荘子が説いた社会のよう
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――職業生活の習慣をつけてあげないと、戦力にならない若者が増えている。悪い社会になりつつあるのでしょうか。
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そうは思いません。生きるため、お金のために働かなくていい社会というのは、実は理想社会ですよね。逆にいえば、何のために働くのかが分からなくなった社会であり、初めてお金のため、生きるためではない、働く意味を問わねばならない社会になったのだと思います。
この間中国から来た留学生に、印象深い感想を聞きました。「日本の若者は素晴らしい。金のために生きていないし、勉強しようとも思っていない。みんな自分が一体何者か、自分は何になりたいか、何をしたいかだけを考えている。これはまるで荘子※のようだ」と。 |
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――すごい例えが出てきますね。
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理想社会ではあるが、荘子は勤め人には向かないですよね(笑)。孔子は向いてるけれども。だからちょっと社会性は弱いし、大人が補強してあげる必要があるのだと思います。
※荘子 中国、戦国時代の思想家。儒家の思想に反対し、あるがままの万物の道に従うことが、真の自由な生活だと説いた。その思想は老子と合わせて老荘思想と呼ばれている。 |
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| (2003年5月8日掲載) |
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