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  Home > SPECIAL THEME > 新世代の就業観 2002年10月
 新世代の就業観インタビュー 2
SPECIAL THEME Works Institute
リクルートワークス研究所
現在、日本には200万人を超えるフリーターが存在するといわれる。彼らについてよく語られるのが、「働く」ということが、個人の生活や人生と有機的に結びついていない「就業観の欠如」という問題だ。このインタビューでは、「就業観の欠如」の根底にあるものを明らかにしたいと考えている。2回目は、実際の若年者を間近で見ている方ということで、公認会計士、税理士など資格取得の学校を経営するTAC株式会社の齋藤博明社長に話を聞いた。彼が警鐘を鳴らす「現代の教育危機」とはどのようなものなのか。インタビュー録から読み取っていただきたい。
新世代の就業観インタビュー第2回 一番の教育は、考える力を身につけてやること TAC株式会社社長 齋藤 博明氏
インタビュアー:ワークス研究所 研究員 菊池将
若年者から感じられる「悩む力」の低下
――斎藤社長は、資格の学校TACの経営者として、公認会計士や税理士などを目指す大学生や若年社会人などに接する機会があると思います。彼らと直接話をされて、齋藤社長が感じる印象についてお聞かせください。
齋藤 TACで学んでいる学生の半数以上は大学生か現在社会人になって2〜3年の人、あるいは、資格取得に専念している人などです。若年者が多いわけですね。私は、現在もう直接教える立場にあるわけではありませんが、講演などはよく行っており、スピーチが終わった後は、必ず彼らと自由に話をする場を設けています。
齋藤氏 写真
そういうディスカッションや悩み相談、また、自社の新卒者の採用の場などを通して、彼らに感じるのは、総じて「悩む力」が低下しているのではないかということです。
――齋藤社長がおっしゃられている、「悩む力」とはどのようなものでしょうか?
齋藤  「人生に対して、どのように生きるのか?」というのは難しい問題です。しかし、これに対して自分なりに答えを考えないと、次の成長がなくなり、先に進めなくなる。難解な問いであるが故に、それに立ち向かうには、「悩む」ことが必要になる。何回となく繰り返される「悩む」試みが、特に若年時には必要ですが、この「悩む力」が現在の若年者では低下しているように思える。自分が体験したもの、大事にしたいものへの問い掛けが少なくなっているように思えます。
その結果、答えを出すのを先へ先へと延ばすようになって、モラトリアムに陥ったり、安易に人に答えを求めるようになったりというケースが多くなっていますね。
何でこんな簡単なことを聞いてくるんだろう? 何でこんなつまらないことを聞くんだろう そう思わせる相談を持ち掛けられることも多いんです。本当に悩んでいるかどうかは、話を聞けば分かる。本当に悩む前に安易に人に答えを聞く傾向がある。短絡的というか、答えをすぐ求めるような直線的な思考になっているようです。
「悩む力」の低下に影響する、「教育の質」低下
――「悩む力」の低下は、なぜ起こったのでしょうか?
齋藤氏 写真
齋藤 私の学生時代は、みんなもっと真剣に人生について考えていたと思います。私の場合も、キーになったのは、「早く自立する」という思いでした。精神的にも経済的にも自立したくて、家から出るために、自分で学習塾を経営しました。この「自立」を通して「悩む力」を磨いていったように思えるのですが、今の若年者からは、この「自立」という概念がすっぽり抜け落ちているように思われます。
その要因としては、いわゆるパラサイトシングルという、子供の「甘え」を容認する親、少子化などで自立を必要としなくなったなどの社会変化も挙げられますが、最も重要なものは「教育」の質の低下だと考えています。
教える力のない教師がつくる異様な世界
――実際に、「教育」の質の低下を感じた例はありますか?
齋藤 私は、中学校などでよく講演を依頼されます。そのときに実感するのは、先生たちの能力の低下です。彼らは、全くビジネス社会を知らないので、彼らから出てくる質問は、だいたい「会社などでは何が重要なのですか。やっぱり人間関係ですよね」などと自分で勝手に納得してしまうようなものが多いです。
ほかの要素、例えば、職業専門能力を磨くことが重要なのだと話しても、彼らにはそれを理解する能力がないので、「やはり、大事なのは人間関係だ。だから、とにかく嫌われないようにしろよ」と生徒に教えることになります。先生がこの調子ですから、生徒にも「ビジネスの現場ではどんなことが起きているのだろう」などと想像する力が養成されません。社会で起こっている物事や、他人と自分がどのように違っているのかなどは、考えようとしない。人と違うのはタブーとされているので、そこには踏み込まないという「世間教」が支配する形になります。
学校の先生の集会などを見ると、ぞっとしますよ。みんな人から嫌われないようにと、にこにこしていて、誰からも文句が出ないという一種異様な世界です。みんなと仲良くしていなくてはいけないという、仲良しだけど「悩む力」の欠如した社会、それが今の学校なのですね。
今、現場で教壇に立っている先生に、本当に教える力がなくなっている人が多いです。根底にあるのは、彼らが、社会とほとんど接点を持っていないことですね。社会の先生で社会を知っている人が果たしてどれだけいるんでしょうか? 先生にはどんどん想像力がなくなっている。自分の経験していないことを実感することができない。何が大事で、何を守って生きていかなくてはいけないのかということを、教えられないんですね。
考える力、悩む力を伸ばすための試み
――「悩む力」を養成するために、齋藤社長がTACで取り組んでいる試みにはどのようなものがありますか?
齋藤 TACでは、生徒が自分で先生を選ぶという仕組みにしています。われわれは、生徒には自分で良い先生を選ぶ権利があるという前提に立っています。その結果、生徒に選ばれた先生というのは、結果的に生徒に「悩む力」や「想像力」を養成できる人物であることが多い。今の中学校や高校には、そのようなシステムがないので、結果的に、全く教える力のない先生でも、いつまでも先生を続けることができるという、非常に野蛮なシステムがはびこっているわけです。そういう先生に教えられることは、本当にかわいそうなことですよ。学校と社会との大きな乖離は、ここに生じているんですね。
また、TACでは、毎回行われるミニテストと、月単位での実力テストの実施で、確実に復習させる仕組みをつくっています。一見単純かつ昔ながらの手法と思われるかもしれませんが、これが、実は「考える力」を磨くためには効果的なんですね。つまり「悩む力」、ここでは「本気になって考える力」といってもいいですが、それを身につけるには、何度も身体で覚えさせて反復させるのが、結局は一番の近道なんです。算数だろうが、文章だろうが、体ごと勉強させて、何度も何度も反芻させて、効果を体感させるしかない。 自分で突き詰めて考える癖をつけさせるというのが、一番の教育だと考えています。
論理的思考の道筋を磨けない「ゆとり教育」
――TACでは、学力向上のために、「テスト」に非常に重きを置いているようです。なんとなく、最近の「ゆとり教育」という流れに逆行しているように思われるのですが……。
齋藤 受験は本当は大事なことです。合格者にご褒美を与えるという制度を何でみんながこんなに攻撃しなくてはいけないのでしょう? 重箱の隅をつつくような問題などが悪いのであって、受験自体は合格という明確な動機付けを与える優れた制度です。実際の社会や生活と結び付いたもの、「考える力」と結び付いた受験が行われるのであれば、全く問題ないのです。
齋藤氏 写真
「ゆとり教育」というものの弊害はたくさんありますよ。例えば、今はあまり作文を書かせない。個人の価値観が入ってしまうからという理由らしいんですが、本当は小学校のときから作文を書かせるべきです。文章を書くためには、どういう結論にしようかと構成を考えます。そして最後まで行き着くための訓練が必要になるわけです。この訓練が重要なんです。
また、算数でも答えに至る思考経路が重視されるべき。こうした論理的思考の道筋が養成されるべきですよ。現在の教育では単に、選択能力だけを見ていて、本当に必要とされるべき力が軽視されているようです。徹底的にひとつの問題を何度も何度も考えさせて、ちゃんと答えにたどり着くように、鍛えるべきだと思います。これは教育の現場で十分に可能なことなんですよ。なのにそれができていない。受験戦争が厳しかったときなどは、確かに単に知識だけの詰め込みという側面もありましたが、難しい問題に遭遇したら、努力して解答を出すという手順も守られていました。ところが、現在はその手順すら守られなくなっているように思われます。
こうした論理的思考の道筋を磨く訓練は、実はそんなに難しいものではないのです。しかし、現在の先生を見ていると、自分自身がそういう訓練を積んでいないために教えられない人が多いようです。今の先生のうち、半分は入れ替えが必要かもしれませんね。千葉県などは現役の先生のうち、親も教員だったというのが半数もいる。こんな動脈硬化を起こしているような教育現場ではだめです。徹底した血の入れ替えが必要なのではないでしょうか。
考え抜く力=「工夫の心」は、座禅で培われた
――齋藤社長は、どのように「考える力」を養成したのでしょうか
齋藤 私は大学のとき、座禅を徹底的にやりました。座禅のときには「公案」という問いを老師から与えられ、それを心に留めてずっと考え続ける作業を行うのです。悩んで悩んで考え抜いて、また否定される。この「悩む」試みを続けていると、そのうち頭で考えても分からないことも、体を使って考えれば分かるようになるという世界に到達するんです。
同じように、作文でも算数でも、答えが出るまで徹底的に突き返し、繰り返し取り組んで答えを出せば、本当に理解したということが体感できるようになると思っています。ただし、そのためには、徹底的に考え抜いて「工夫」することが重要なんですね。
――座禅で培われたものは、実際の社会に出てどのようにつながり、役に立ちましたか。
齋藤 座禅で培ったのは「工夫」の心、物事を工夫して考えるということです。ところがこの工夫というのは、本当に体ごと立ち向かって、全身全霊を傾けて考察しないと物にならないんですね。この世界に入って、幾多の競合企業、ライバルと立ち向かうという境遇になったときに、私に道を与えてくれたのは、座禅で培った「工夫」という徹底的に考え抜く力でした。
工夫の精神が生んだ、独自の事業戦略
――会社をつくり、伸ばしていく上での工夫の例とは、具体的にはどんなものでしょうか
齋藤 事業戦略を作るときに、どのようにして戦略を作るか? これはどこの市場に着目するかということ、さらに、他の企業がどこもやっていないことをやらなくてはいけないということです。まず、公認会計士の専門学校を考えたときはこんな具合でした。当時、会計士の勉強をしていたのは社会人が中心だったのです。
しかし、私はまだ開発されていない大学生の市場があるのではないかと考えました。そこで、彼らを会計士の市場に呼び込む方法を徹底的に考え抜きました。工夫の精神です。で、大規模なビラ配布部隊を組織して、全国の大学入試の際に盛んにビラを配りました。そのビラのタイトルは「プロフェッショナルへの招待」というものです。職業人として生きるということがいかに大事か、それを伝えたかった。大学に入って、大学を出て、それで終わりというのではなく、大学に入ったときに職業専門家として生きていく道もあるのだということを伝えたかったのです。
ほかにも大学生協の中にTACの講座の受講受け付け窓口をつくったり、大学1年からでも入れるプログラムをつくったりと、工夫が生み出した市場創出へのアイデアを次々と実践しました。これが、ひとつの社会的なブームになっていく。後にダブルスクールと呼ばれるものです。市場を開発するには本気になって考えて、機会、ユーザー、市場を見極めなければいけない。これに座禅で得た「工夫」すなわち「悩む力」が役に立ったんです。本当に困って困って考え抜くと、答えが見えてきます。結果として会計士の市場をおさえることができました。
その後も、大手がひしめく税理士の業界、情報処理の業界、そして現在はe-ラーニングの世界の市場開発を手掛けていますが、基本姿勢は変わりません。e-ラーニングでは「やって楽しい。続けられる」というコンセプトを重視して、現在も徹底的に悩み抜いています。
今の若い方にはぜひ知ってほしいのですが、孤独の中で自分をつくっていく、工夫して自分で考えるということを若いうちにしないと、自分の人生を誤ってしまいます。よく考え、工夫してください。そして自分が体験したことを、どういうことだったのか、よく反芻して成長してほしいと思います。
プロフィール 齋藤 博明(さいとう・ひろあき)

公認会計士、税理士など資格取得の学校などを経営する、TAC株式会社代表取締役社長。1951年年生まれ。75年、東北大学経済学部経済学科を卒業し、78年に公認会計士第2次試験合格。80年、TAC(旧称:東京アカウンティング学院(株))を設立、代表取締役社長に就任。
(2002年10月29日掲載)

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